松坂城 [2/2] 巨大な石垣と多聞櫓に囲まれた堅固な本丸跡を巡る。

松坂城前回までの松坂城 訪問記。

大出世を遂げた蒲生氏郷公渾身の、野面積みの高石垣がふんだんに残る松坂城。表門跡から二ノ丸へ入り、陣屋跡、中門、移築本居邸を経て、本丸下段へ。石垣はほぼ完存で、角ごとに設置されていた櫓跡を見て回る。


<訪問記>

本丸下段 散策中。(松坂城は本丸が上下二段構成という変則的な形状をしている)

matsusaka2-34藤見櫓跡の向かいの本丸側石垣に、大きな穴があいていた。ちょうどその真下に井戸のように丸く石が組んであることから、当時の排水口かと思われる。ちなみに穴を正面から見ると向こう側まで通じていた。

matsusaka2-35本丸角の石垣。角っこの石は長辺と短辺が交互になるように積み重ねられている「算木積み」と呼ばれる高度な形式。城の入口部分(人目に付く場所)に比べ、城内の限られた内輪の人しか見ないこのあたりの石垣は、やや粗い野面積みのようにも思える。

matsusaka2-36本丸敵見櫓跡下あたりの石垣。The野面積みという丸い石と、The算木積みという四角い石のコントラストが逆に美しい。

matsusaka2-37上本丸の西側にあたる曲輪は「きたい丸」と呼ばれている。周囲は石垣に囲まれており、下は森。

matsusaka2-38良い眺め。ここは角櫓跡。

matsusaka2-39「きたい丸」外周石垣の外側は、木々生い茂る森。

matsusaka2-40このように「きたい丸跡」はぐるりと石垣塀が囲っている。当時は、四隅に設置された各櫓間を、多聞櫓が繋いでいたのだろうか。

matsusaka2-41「きたい丸跡」中央付近は梅林となっている。お城の中は市民公園にすべく植樹サれていることが多い。春に来ると美しいだろう。

matsusaka2-42いよいよ本丸跡 上段へ。石碑奥の丸い金網は井戸跡を覆うもの。水はなかった。

matsusaka2-43本丸跡 上段 全景。ここも周りを多聞櫓で繋いでいたか。

matsusaka2-44蒲生氏郷が建てた天守台は、本丸北西の角に残る。

matsusaka2-45天守台の上には「天守閣跡」の石碑が立つ。ここには蒲生氏郷が建てた3層の天守があったが、紀州徳川家 所領時代の1644年に、暴風で倒壊したと伝わる。

matsusaka2-47天守台のすぐ横には敵見櫓跡。傾いた石碑を見ると「夏草や兵どもが夢の跡」が思い出される。夏草じゃなくて傾きし碑か。

matsusaka2-46本丸上段を取り巻く多聞櫓台跡。複雑に折り曲げられている。

matsusaka2-48本丸の櫓跡から隣の櫓跡まで、多聞櫓跡を辿って進んでみる。道が細くて、結構怖い。

matsusaka2-49s本丸東南角は「金の間櫓跡」。蒲生氏郷のイメージでは秀吉みたいに金ピカな櫓を松坂城に建てたとは考えにくいが、秀吉麾下の大大名(になる前だが)の氏郷に秀吉が金の瓦か何かを与えて、これを使えと言った可能性はある、か。金の間、なので瓦ではなく室内の装飾が金、ということか。うーむ。

matsusaka2-50「金の間櫓跡」には「松阪開府の碑」が建っていた。裏には「蒲生氏郷公開府390年記念」とあった。390年。。。あと10年待てなかったのか。

matsusaka2-51本丸から下本丸へ降りようとすると石段の横に綺麗な石碑が。
「桜・青葉・紅葉・・・心のふるさと 松阪城址」。
春夏秋どの季節に来ても楽しめる城址。イイネ。

matsusaka2-52本丸からは、中御門跡を通って裏門側へ抜けると、一気に南側の三の丸跡(御城番屋敷)までたどり着くことが出来る。そのルートで下城しよう。

matsusaka2-53本丸から中門跡へ通じる石段。振り返ると、まるで安土城のよう。

matsusaka2-54適度に苔むした石垣。ほっとくとすぐ草ぼうぼうになる石垣、ここまで綺麗に保たれているのは市民の皆さん等々の整備作業の賜物だろう。おつかれさまです。

matsusaka2-55こちらは本丸下段から「金の間櫓跡」へ上がるための石段。ショートカットのため普段は固い扉が閉まっていたのだろうか。

matsusaka2-56そして裏門跡へ。こちらも2度曲がる「食違い虎口」。

matsusaka2-57ひっそりと建つ裏門跡の石碑。

matsusaka2-58裏門跡を出たあたりから、隠居丸跡(本居宣長旧宅が建つスペース)の石垣を見上げる。堂々たる石垣。この先の三の丸は土塁だったらしいので、この石垣が三の丸から見える最初の石垣。蒲生氏郷、ひいては秀吉の権力の強さを示すに十分な立派さだ。

matsusaka2-59裏門跡を出てまっすぐ南へ進むと、先ほど二の丸から見下ろした「御城番屋敷」へたどり着く。整然と並ぶ緑の塀が美しい。なおこれらの長屋には今も一般の方が住んでおり、見学用の西棟北端の部屋以外の屋内見学は出来ない。(訪問時はたまたま休業日の月曜だったので見学できず) 再訪したい!

matsusaka2-60御城番屋敷の説明板。江戸末期に松坂城の御城番として赴任した際に建築され、明治維新後は旧城番たちは「苗秀社」を設立し、今なお社員は直系の子孫から成るという。

matsusaka2-65長屋横には、城内 隠居丸跡から移築された松坂城唯一の現存建造物である「米蔵」がある。

matsusaka2-61御城番屋敷から松坂城を見上げる。毎日石垣を眺めながら長屋に住む。すごい。

matsusaka2-62御城番屋敷から更に南へ進むと、「松坂城古今絵図」という看板が立っていた。このあたりが三の丸の最も外側だったあたりになるそう。今は学校や住宅が建っていて、城下町の名残はほとんど無い。城の周りをぐるっと堀が囲んでいたが、今や大半が埋められている。堀の名残かもしれない小川が残るとか。

matsusaka2-63こちらがその元堀の川か。当時の外堀は幅15〜30m、総延長2kmあったが、明治初期に埋め立てられたとのこと。

蒲生氏郷公が大名に出世する過程で築いた一大城郭、松坂城。建物は無くとも、その巨大な石垣と複雑な構造は、城とは何かを歩きながら体感できる素晴らしい「リアル教科書」だと思う。結構な広さのため訪問時は全てを回りきれなかったのが悔やまれる。いずれ近くの伊賀上野城とセットで再訪したい!そんなステキ城跡でした。

訪問時期:2013年9月
撮影機器:SONY NEX-C3
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