玉縄城 [3/4] 校内遺構の最大の見どころ、諏訪壇下の土橋を見よう。

玉縄城前回までの玉縄城 訪問記。

玉縄城址 遺構探索会に参加。龍宝寺からスタート、七曲坂から太鼓櫓跡、巨大堀切、そしてテニスコート造営で破壊された大手門跡地を通って主郭内へ。Part3では主郭最高部の諏訪壇等を探索します。


<訪問記>

テニスコート横の主郭部よりリスタート。

tamanawa-5535テニスコートから伸びる長い石段を上がる。テニスコート部が主郭主要部で、この上が主郭周囲に築かれていた櫓台群のようだ。看板が見える。

tamanawa-5537「諏訪壇下の堀の址」説明板。この先さらに石段を登ると主郭最上段の「諏訪壇」へ到達するが、その一段下のこの場所には、諏訪壇の周囲に築かれた堀等が見られるという。是非行ってみよう。普段は立ち入り禁止エリアだが、ちゃんと説明板が設置されているのは有難い。説明板によると、諏訪壇周囲の堀は「すっかり埋まっている」が、その奥の「土橋」および「竪堀」は残っているという。

tamanawa-5538恐らくこの道も元堀、か。堀底道。

tamanawa-5540ぐるっと諏訪壇の周りを回って奥へ。恐らく今通っているところが堀跡。確かに、少し、凹んでいる。

tamanawa-5556堀跡を遮るように造られた、土橋。諏訪壇から降りてきて、堀を渡って、奥の土塁の上へ到達するための道か。これはよく残っている。

tamanawa-5560土橋を土塁側から。右奥が竪堀跡となる。落ちないように、覗いてみよう。

tamanawa-5542土橋から覗いた、諏訪壇奥の竪堀跡。急激に落ち込んでいる。竪堀の奥は三角の曲輪になっていて、七曲坂を見下ろす見張り場のような場所ということだが、草ぼうぼうでよくわからなかった。ガイド氏の話によると、七曲坂から見上げた時に見える白い旗はこの下に建てられており、ここは来年度の整備(草刈り等)予定地域とのこと。

tamanawa-5565a-5573では主郭最上段の「諏訪壇」へ向かおう。堀跡から更に上に上がると、白い看板があるところへ。ここの奥が諏訪壇。

tamanawa-5566a-5574平成27年8月に建てられたばかりのピカピカの説明板。ここには当時、北条綱成公が玉縄城の守護神として勧請した諏訪神社があったという。諏訪壇は主郭(テニスコート)から更に20m高い場所に位置する。

tamanawa-5568諏訪壇内部。特に何も無く、草もある程度は刈られているが手前以外は草ぼうぼう。細い道に沿って奥に進むと先ほど見た堀跡が真下に見られるが、それも草が多くて余り良く見えない。

tamanawa-5569a-5567足元に唯一あったのは、三等三角点。

tamanawa-5580sでは諏訪壇を反対側に降りて、玉縄城址の碑を見に行こう。看板に沿って石段を降りる。

tamanawa-5581階段を降りていると清泉女学院の校舎が見えてきた。校舎のある場所も元主郭か。

tamanawa-5583階段の下まで降りると、階段の脇にポツンと城址碑が建っていた。

tamanawa-5584玉縄城址の碑。明治時代に建てられた碑は漢文が多いが、これは大正時代に建てられた碑で、碑文も日本語になっていた。

tamanawa-5588s城址碑を見たら、そのまま脇の細い通路を通って奥へ進む。普段はここも立入禁止のようだが、今日は扉が開けられていた。

tamanawa-5589しばらく進むと、右に曲がる道が出てくる。まっすぐ進むと行き止まりだ。右へ。

tamanawa-5593しばらく進むと、やや高く盛り上げられた曲輪へ到達する。

tamanawa-5598ここも広くて見晴らしの良い場所だ。看板が建っているので見てみよう。

tamanawa-5598a-5595「蹴鞠場(けまりば)」説明板。江戸時代の書物「新編相模風土記稿」に「諏訪壇の北に麻里計場等の名あり」と記載されていることから、蹴鞠場とされるが、江戸時代も末期になって地元の伝承等をまとめた風土記なので、正直あやしいと思う。歴代の城主たちが蹴鞠をした場所です、と看板では言い切っているが…。なお蹴鞠というと平安時代の貴族の遊びという印象が強いが、室町期の武家でも嗜みの一つとして和歌や茶の湯などと合わせて蹴鞠もあったと言われる(長宗我部氏や島津氏の文書にも出てくる)。

tamanawa-5599説明板の終盤にも記載があるとおり、「蹴鞠場」曲輪の周囲には土塁が築かれていた。土塁の上を通りながら曲輪を一周してみよう。

tamanawa-5600結構残りが良い蹴鞠場の土塁。

tamanawa-5601a-5609これは、いい土塁。

tamanawa-5602なお蹴鞠場の中央部はこのとおり草ぼうぼうのままなので、土塁の上を通るのが全体が見渡せて良い、か。土塁を崩さないように注意。

tamanawa-5606蹴鞠場の奥に建っていた「まりけばと月見堂の間の堀切」説明板。この説明板の真下に、堀切跡が残るという。この堀切の向こう側には「月見堂」と呼ばれる曲輪跡も残るとか(今回は未公開のため未訪)。

tamanawa-5607蹴鞠場と月見堂の間の堀切を、蹴鞠場土塁上から見下ろす。樹木が生い茂っていて、堀なのはわかるが、正直よく見えない。

tamanawa-5612s蹴鞠場からぐるっと回って再度 城址碑のところに戻ってきたところで、柵から外に出て、校内散策は終了となった。おつかれさまでした。

イベントはここから再度 龍宝寺へ戻って、午後のシンポジウムとなる。龍宝寺には玉縄城址の出土品やジオラマなどが展示されている場所もあるので、そちらを見に行ってみる。

tamanawa-5622清泉女学院から龍宝寺へ戻る途中に見かけた、鎌倉市立植木小学校の校門。この巨大な冠木門!豪快な小学校だ。

Part4では龍宝寺境内にある玉縄城の出土品、ジオラマ等を御紹介。

>> 玉縄城 [4/4] へ続く。<<

訪問時期:2015年10月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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