玉縄城 [2/4] 住宅街の中にひっそり残る、太鼓櫓奥の巨大堀切へ。

玉縄城前回までの玉縄城 訪問記。

玉縄城址 遺構探索会に参加。三代城主 北条綱成が建立した龍宝寺からスタート、長屋門を経て、七曲りから平場へ。城下が一望の良い場所だ。続いて焔硝蔵跡へ。


<訪問記>

七曲坂 途中の平場よりスタート。

tamanawa-5447平場より、更に丘の上へ斜面に作られた階段を伝って上がる。

tamanawa-5451更に伸びる大手道は途中で塞がれ、立ち入り禁止になっていた。残念。この先は堀切へと続き、太鼓櫓・焔硝櫓の下方脇を通って、大手門へと至る。現在はこの先の旧道は封鎖され、代わりに大手門へ直接向かうルートが新しく作られている。

tamanawa-5453立ち入り禁止エリアの先の旧道をのぞき見。立ち入り禁止エリアなので草は殆ど刈られておらず、ボウボウ。獣道の様相だ。

tamanawa-5454a-5450旧道の代わりに造られた、斜面を直接登る道。上に物見櫓のような建物が建てられていて、一見こちらも本物か?と思ってしまうが、この道は当時はまったく無かったものとのこと。ついでに上の櫓のような建物も、あの土地を所有する人の倉庫らしく、紛らわしいが城跡とはまったく無関係。残念。

tamanawa-5456では新道を通って上へあがる。あがったところに玉縄城想像図とともに説明板が建っていた。現在は「七曲り」の先にある小さな門あたりに居る。右へ進めば太鼓櫓・焔硝櫓跡へ。左へ進めば大手門跡。太鼓櫓・焔硝蔵跡は通常時も見学可能だが、太鼓櫓脇の大堀切跡、および大手門跡より先の城内は通常時はすべて立ち入り禁止。本日は、探索会ということで、すべて見学可能。まずは太鼓櫓方面へ。

tamanawa-5458先ほどの看板がある場所の真上が、太鼓櫓跡となる。階段をあがる。

tamanawa-5460階段の上は小高い丘の削平地となっている。如何にも見張り台がありそうな場所だ。奥に説明板あり。

tamanawa-5463何だかリアルで、よく描き込まれた玉縄城 想像図。中央上の広い部分が主郭部、その下に大手門があり、その右下あたりにあるちょっと小高い場所が太鼓櫓だろう。今、そこにいる。

tamanawa-5464七曲り坂、太鼓櫓推定値 説明板。

tamanawa-5465太鼓櫓跡。木々が生えているが、全て伐採すれば、かなりの眺望が期待でき、物見や太鼓による呼び出しにピッタリの場所だろう。

tamanawa-5466s手前には「焔硝蔵」の新し目の説明板もあった。ここは太鼓櫓なので、この看板の真下のエリアが焔硝蔵跡となる。

tamanawa-5468s太鼓櫓跡から、焔硝蔵跡を見下ろす。真下の削平地が焔硝蔵跡だ。

tamanawa-5469a-5511太鼓櫓跡から降りて、少し奥に行ったところにあるこの門扉の奥が、焔硝蔵跡となる。通常は閉じられているとのことだが、本日は探索会で開放されていた。いざ、奥へ。

tamanawa-5470s焔硝蔵跡。ここだけ綺麗だが、当然一面草木が生い茂っていたので、今回の探索会に向け玉縄城址まちづくり会議の皆さんが草刈りをされたそうだ。おつかれさまです。

tamanawa-5475そして焔硝蔵跡の奥、太鼓櫓跡(左の土塁の上)の真下には、尾根を断ち切る巨大堀切が残る。

tamanawa-5482太鼓櫓・焔硝蔵跡脇の巨大堀切。Vの字が美しく残る。

tamanawa-5487鎌倉もののふ隊の女武者殿と、巨大堀切。ここを通りたくば、某を倒してみよ! ちなみに具足は手作りとのこと。すごい!

tamanawa-5493堀切を先に進むと、ここは七曲りから続く堀切道になっているようで、先ほど通れなかった封鎖された旧道の先が、ここに通じているそうだ。

tamanawa-5494倒木で通れないのかと思いきや、その先に鉄条網で封鎖されていた。残念。道が崩壊していて危ない、とかだろう。

tamanawa-5500a-5516太鼓櫓、堀切跡から、更に大手道を進む。今やただの住宅街だが、実は、ここが「旧 大手門跡」だという。分かりづらい! ガイドの方によると以前はまだ大手門跡らしい感じだったらしいが、坂の上にテニスコートを造成するとかで全て埋めてコンクリートの壁にしてしまったので、まったく大手門には見えなくなってしまったのだとか。残念無念。家の間の細い路地からテニスコート方面へ向かう事ができるものの、校内敷地になるため、普段は厳重に封鎖されている。本日は探索会のため、鍵が開けられていた。

tamanawa-5514ここが旧大手門跡だと分かる、唯一の手段がこの簡易説明パネル。しかしこのパネルも玉縄城址全体の話をしていて、大手門のことは書かれていないが、上の絵が、実は復元大手門のジオラマ写真だという。ジオラマは龍宝寺の資料館にあるとのこと。後ほど見に行ってみよう。

では、大手門跡下から、城内主郭部(清泉女学院校内)へ進む。

tamanawa-5521sコンクリートで固められた斜面の脇の坂道を登って、テニスコートへ。左側の斜面は元主郭の土塁(を固めたもの)か。

tamanawa-5522sガイド氏いわく、この斜面の中央部がやや凹んでいるのは、旧大手門のため土塁が切られていたためだ、とのこと。うーん、そう言われると、そう見えなくも無い、と言えないことも無い、かもしれない、と思う。

tamanawa-5524坂道の上へ。主郭はすっかりテニスコート。このまま道に沿って奥へ進めば主郭奥へ進むのだが、その前に左側の野原部分に注目。

tamanawa-5525a-5533なんと、主郭を囲んでいた土塁跡と思われる土の盛り上がりが残っていた!

tamanawa-5526ではテニスコートに沿って奥へ。途中ある石段の上が、諏訪壇などの主郭最高部にあたる。主郭中心部はご覧のとおりテニスコート等になってしまったが、諏訪壇などの櫓台はそのまま残されているという。ちなみに石段横の石垣は遺構では当然なく、ただそれっぽく作っただけのもの。

tamanawa-5529では石段を上がって、主郭最高部の諏訪壇 等を見に行こう。

>> 玉縄城 [3/4] へ続く。<<

訪問時期:2015年10月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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