鵜殿城 : 土塁がよく残る小高い丘の上の南北朝時代の城郭跡。

鵜殿城 [うどのじょう] は、12世紀頃に周辺を治めていた鵜殿氏の城跡で、小高い丘の上に土塁で囲んだ削平地を擁する、中世山城である。現在は「ふるさと歴史館」に付随する町の歴史公園となり、展望台およびコースターなどが設置されているが、山頂の削平地および土塁はよく残る。山頂から南西方向には熊野川越しに新宮城が見えるハズだが、残念ながら展望台は東側(の工場地帯)に向かって建てられており、新宮城は見えない。

鵜殿城<基本データ>
●名称: 鵜殿城 [うどの じょう]
●所在: 三重県南牟婁郡 (マップ)
●築主: 鵜殿氏
●築城: 12世紀頃
●遺構: 土塁、曲輪跡


<訪問記>

udono-9220a-9247新宮城から熊野川を渡ってすぐのところにある鵜殿城跡。立ち寄るには持って来いの場所だ。ふるさと歴史館、あるいは、矢渕中学校の裏山を目指そう。ここが、ふるさと歴史館横の公園。赤いコースターが目印。この裏山が鵜殿城跡となる。

udono-9221a-9246コースター横の、この階段から城跡へあがる。

udono-9222a-9244登り始めて5分ほどで山頂へ到着。周囲を土塁で囲まれた城跡で、階段をあがって土塁を越えることが出来る。やや分かりづらいがこの手前には堀切っぽい凹みも見られた。では中へ。

udono-9228a-9231s鵜殿城 主郭跡。削平された郭の周囲を見事な土塁が囲んでいる。郭の真ん中に建っている説明板を見てみよう。

udono-9229鵜殿城跡 説明板。城の周囲を土塁が囲み、北側と南側(先ほど登ってきた方向)に空掘を掘っている、とある。城主とされる鵜殿氏は南北朝時代、南朝から北朝に転じたことが原因で南朝側から攻撃を受け、4日間に及ぶ攻防の末、南朝軍を追い返した、とある。その後 南北朝は統一し、鵜殿氏も三河へと移り、鵜殿城は役目を終えたようだ。

udono-9235郭の中をぐるっと回ってみる。土塁が美しく残っている。

udono-9236史跡公園として山頂郭の草刈りなどを定期的に行っている模様。すばらしい。

udono-9238s土塁の上に登って主郭を取り囲む様子を撮影。

udono-9240ぐるっと一周。小さな城だが、往時は堀も深く土塁も高かったのだろう、4日間もの南朝軍の攻撃を耐えぬいた堅城であった。

udono-9241a-9234展望台からの眺望。工場地帯。工場の向かいの熊野川の水がめちゃくちゃ汚いのがすごく気になる(奥の海の色との違いに注目)。

udono-9245帰りに、下から見た赤いコースターの入口を発見。ここを滑って降りる勇気はなかった。。。

新宮城のお供に、是非。

訪問時期:2015年7月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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