長篠城 [1/3] 巨大な土塁と堀切が残る激戦地 “長篠城跡” へ。

長篠城は、武田軍vs織田徳川軍の激戦で知られる「長篠の戦い(設楽原の戦い)」の前哨戦の舞台として知られる城。現在の豊川(下流には吉田城がある)の上流部、寒狭側と大野川の合流部の断崖上に建てられた堅固な城で、徳川・武田の領地の境目にあることから両者による交戦が度々行われた。天正三年(1575)、徳川領だった長篠城を武田勝頼が大群を率いて取り囲んだことで始まった「長篠の戦い」では、守る徳川方が織田方に援軍を要請、鳥居強右衛門の活躍もあって織田の援軍が無事到着、戦場は設楽原(したらがはら)へと移った。そこで武田軍は多くの重臣を失う大敗北を喫し、勝頼は何とか脱出するも、武田家の滅亡のきっかけとなった。長篠城は合戦後、損壊が激しいことから廃城となった。

長篠城<基本データ>
●名称: 長篠城 (Wikipedia)
●所在: 愛知県新城市 (マップ)
●築主: 菅沼元成 / 奥平貞昌
●築城: 永正五年(1508) / 天正三年(1575)
●遺構: 土塁、堀切、井戸、曲輪跡


<訪問記>

戦国史を語る上で決して外せない長篠城。川沿いの断崖上に造られ、土ベースの平城ながら開発にも負けず、比較的良好に遺構が残っている城といえる。

訪問記では、ここ長篠城跡と、鳥居強右衛門の磔場跡、そして武田方の老将・馬場美濃守の墓へ参ります。

nagashino-2626a-2749sまずは長篠城跡へ。鳥居強右衛門の強烈な磔姿を描いた巨大な看板がいやでも目に入る。歴史を知らない人にとっては、なんだこの絵は!?となるインパクト。

nagashino-2626b-2730インパクト大の「長篠の戦い」巨大看板。籠城/決戦、”命にかえて使命をはたす” 鳥居強右衛門の最期! この看板の奥が、長篠城跡のある長篠城址史跡保存館の入口となる。

nagashino-2627駐車場へ。奥の白い建物が、長篠城址史跡保存館。訪問時は3月、桜と城址はよく似合う。

nagashino-2628まずは予習(復習?)。長篠城址史跡保存館を見学しよう。と、その前に、保存館前に沢山建っている説明板から。

nagashino-2628a-2631巨大な「長篠戦図」。陸軍参謀本部が編集した日本戦史の中から、長篠役を基本にして両軍の配置を示したもの。右のほう、青い凸に囲まれた川の合流地点に「長篠城」、中央あたりに赤い凸が一列に並んでいる場所が決戦場となった「設楽原」。なお設楽原古戦場跡にも同日に訪れたので、レポートは別ページでまとめます。

nagashino-2629長篠の戦い 史跡めぐりコース。長篠城跡の近隣にある史跡一覧だ。これは役立つ。川を背にして、正面右前の山上「医王寺」が、長篠城を攻める武田勝頼の本陣跡(未訪問)。大手門跡の少し先には、武田方の殿(しんがり)を務めた馬場美濃守の墓もある。川の向かい側には、単身城を抜け出し信長本陣で援軍を確認、城へ帰る途中に武田軍に捕まり”援軍は来ない”と嘘の情報を城内へ伝えるよう武田方に強要されるも”援軍は来る!”と叫んで籠城軍の士気を喚起した(そして城は耐えた)という忠義の武士、鳥居強右衛門(とりい すねえもん)の「磔死の碑」もある。

nagashino-2630長篠城址 説明板。奥平貞昌は長篠城主(徳川方)。城内から出土した貴重な現物や、参戦武将子孫に伝わる火縄銃、各種古絵図など、いろいろ貴重なものが展示されているという。

nagashino-2631a-2666では史跡保存館へ。210円也。

nagashino-2633史跡保存館 入口。土蔵風の白漆喰な造りだ。

nagashino-2635中に入ると大きな門扉が展示されている。「亀姫屋敷の門」。説明板によると、長篠の戦いの翌年に城主 奥平貞昌の正室となった家康長女・亀姫の屋敷の門。解体保存されていたが、復元してここに展示されている。なお長篠城は合戦で著しく損壊したため廃城となっており、亀姫らが暮らしたのは新たに造られた居城「新城」の方。

nagashino-2636a-2658保存館 内部の様子。ところ狭しと貴重な品々が展示されている。なお場内は写真撮影OKだが、主に個人から提供されている品々は掲載NGとの注意書きがあり、ややこしいので古絵図・古文書の類は掲載を見送った。現地でぜひ見ていただきたい。幾つか問題なさげなものを紹介。

nagashino-2654長篠の戦い(設楽原の戦い)といえば「鉄砲」。最強と言われた武田騎馬軍団(という言い方も後世のものらしい)を、馬防柵で抑え、大量の鉄砲(火縄銃)を多段に並べて連射してしとめたといわれる。信長は、武田氏との決戦に備えて、全国から鉄砲を大量に調達したという。

nagashino-2657設楽原の敗戦後、河原を敗走する主君 勝頼公を守るため河原への入口を死守した老将 馬場美濃守。その最期のシーン。なお最期とされる場所(川が見下ろせる高台の上)は史跡として残っているという。設楽原訪問時に訪れてみよう。

nagashino-2660保存館入口にある、鳥居強右衛門 磔図の立体模型。右下の網の部分は、川を登って城に戻る途中、川に仕掛けられた罠にひっかかり武田方に見つかったシーンか。

では保存館を出て、場内の散策をしよう。

nagashino-2661保存館は主郭跡の隣の曲輪「帯郭跡」にある。正面には巨大な空堀が!

nagashino-2662「要害の長篠城」説明板。要衝(重要な拠点)であり、要害(攻撃が難しい場所)であった。看板の裏手に見える堀と土居は天正三年に築かれたもので、右手に門と土橋があり、更に土居(=土塁)と堀が伸びていたが江戸期に壊されたという。堀の土を掻き上げて土塁とし、堀には水を引いていた。堀も土居も直線的ではなく、何度も折れ曲がっている。

nagashino-2665本丸の周囲を囲む巨大な堀。当時は水堀だった。右側の一段と高い場所が、主郭跡(の周囲の土居)。

nagashino-2668「内堀趾」。今居る場所は本丸へ向かう土橋の上。

nagashino-2669土橋から本丸へ入るところに、古い史蹟碑と説明碑が建っている。

nagashino-2670本丸左側には、内堀を掘ったときに掻き上げられた土で出来た巨大な土居(土塁)がある。土塁に上がれるようなので、上がって内堀を見下ろしてみよう。

nagashino-2671土居の上にあがると、かなり古そうな長篠城址碑があった。

nagashino-2673と思ったら、大正七年建造だった。

nagashino-2674本丸土居の上から見下ろす、内堀。幅広く、深い!

nagashino-2676土居は複雑な本丸の周囲に築かれている。土居の奥へ。ちなみに奥からでも本丸側へ降りることが出来る。

nagashino-2678土居の一番奥は神社が鎮座しているようだ。お参りしていこう。

nagashino-2679と思いきや、「城藪稲荷様 移転のお知らせ」。城址が史跡として保存されるためここから約8分のところにある大通寺へ移転されたとか。

nagashino-2681お稲荷様跡あたりから、複雑にカーブする内堀を見下ろす。お見事。

nagashino-2682眼下には、線路が走っている。城の遺構をぶった切っているとか。後ほど下に降りて見てみよう。

>> 長篠城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2015年3月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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