吉田城 [1/2] 天然の要害・豊川を背に築かれた近代城郭跡へ。

吉田城跡は三河国(現 豊橋市内)にある近世城郭跡で、今川氏〜徳川氏の支配を経て、秀吉期には池田輝政が城主となり、現在に残る城跡のベースを築いた。関ヶ原後に池田氏は姫路へ加増転封となり、吉田城は譜代大名が交代で城主を務める城となった。現在は豊橋公園となり、本丸を中心として多くの石垣・空堀が残り、一角には鉄御櫓(外観は模擬)が再建されている。

吉田城<基本データ>
●名称: 吉田城 (wikipedia)
●所在: 愛知県豊橋市 (マップ)
●築主: 池田輝政
●築城: 天正十八年(1590)
●遺構: 石垣、土塁、堀切


<訪問記>

あの姫路城を建てる前の池田輝政が築いた近代城郭「吉田城」を訪問した。豊橋市立美術館に吉田城のパンフレットがあるようだが入手し損ねた。美術館HPにパンフPDFが置いてあるので参考に。

吉田城跡は現在 豊橋公園 となっていて、東半分が野球場や競技場など、西半分が城跡となっている。その中央あたりに駐車場があるので、そこにクルマを停めて散策スタート。

yoshida-2542駐車場の横に広がる芝生公園。ここは三ノ丸の更に外側の城下町エリア。

yoshida-2543では芝生公園から川の方へ伸びる道を通って、城の北側へ回りこむ。

yoshida-2544三ノ丸部分へ到達したのだろうか、突然石垣が現れた。その手前には、堀跡と思われる凹み。

yoshida-2545三ノ丸(右側)と城下町(左側)とを遮る堀跡。薬研堀のようにも見えるV字型だが、埋もれているだけかもしれない。

yoshida-2548続いて二ノ丸と本丸を隔てる堀跡へ。本丸側は大きくカーブを描いている。よく見ると二段構成になっている。犬走り?

yoshida-2550堀内を散策してみよう。一番奥まで行くことが出来る。右側が本丸、左側が二ノ丸(金柑丸)。奥には土橋が渡っている。

yoshida-2552堀内を歩いていると何やら石で組まれた土台のようなものがあった。何だろう?

yoshida-2552a-2554二ノ丸と本丸とを繋ぐ土橋の石垣。

yoshida-2553土橋と本丸側の石垣。本丸の石垣は古いのか、比較的 小さめの石が緩やかに積み上げられている。

yoshida-2555堀底を土橋側から見返す。

yoshida-2557堀から出て、本丸の北側を石垣に沿って歩く。右側は、もう豊川。

yoshida-2558s石垣の奥まで行くと、本丸の北西端に建つ模擬櫓が見えてきた。実際にはこの位置に当時「鉄御櫓」が建っていたが、昭和29年にその場所に大垣城天守を模したと思われる模擬建造物が再建された。昭和の復興はこういうケースが多い。

yoshida-2559先ほど通って来た、本丸石垣と豊川との間の道は「腰曲輪」跡だという石碑が建っていた。よく見ると、もう1段下(豊川沿い)に道がある。

yoshida-2561腰曲輪のもう1段下の川沿いの道へ降りる石段があった。降りてみよう。

yoshida-2562豊川沿いの道から見る、腰曲輪の石垣。正面の石垣が少し出っ張ったところには「川手櫓」と呼ばれる櫓が建っていた。古写真も残る。

yoshida-2563同じく豊川沿いの道から見る、腰曲輪の石垣、東側。この場所は当時は豊川の水面だった(明治の古写真より)。

yoshida-2564腰曲輪へあがる石段。ここまで豊川の水面だったようだ。いわゆる水手門。

yoshida-2565当時の豊川水面上から、腰曲輪越しに鉄御櫓(模擬だが)を見上げる。古写真を見ると当時は腰曲輪上に左右に長い多聞櫓のような建物があったため、仮にここから見上げたとしても、このような姿は見られなかった。

yoshida-2567腰曲輪にあがって、川手櫓跡。礎石のみが残る。

yoshida-2568腰曲輪から模擬櫓を見上げる。櫓よりもその下の石垣に注目。本丸部の石垣より角度は緩やかで、使っている石材のタイプも異なることが一目でわかる。資料によると、模擬櫓の土台の石垣は、吉田城(近代城郭)を築いた池田輝政時代の石垣だとか。

yoshida-2570模擬櫓の西側の、本丸堀。ココはかなり広い堀跡がそのまま残る。

yoshida-2572そして模擬櫓下の石垣。時折川原石のような丸い石も埋め込まれているが、たいていは黄色いゴツゴツした小さめの石が積み上げられている、かなり古いタイプの石垣だ。

yoshida-2573では腰曲輪から本丸へ上がろう。石段をあがると道は左へ折れ曲がり、虎口が形成されている。

yoshida-2574本丸北の虎口跡。ここには大きな櫓門が建っていた。

yoshida-2575北御多門跡、の石碑。礎石は土に埋もれてしまっているのか、見当たらなかった。

yoshida-2576北御多門跡を越えて、本丸内へ。本丸周囲にはしっかり石垣が残り、内部は植樹され公園と化している。当時の古絵図を見ても、本丸周囲には石垣があり四隅に櫓が描かれているが、中央部には何も描かれていない。資料によると、以前は将軍上洛時用の本丸御殿があったようだが、宝永大地震(1707)で倒壊した後は再建されなかったとある。

yoshida-2579a-2583では、いやでも目立つ模擬櫓を、まず見ておこう。

yoshida-2580入口へ行くと、閉まっていた。どうやら日曜しか開館していないようだ。中には吉田城のジオラマや古写真などが展示されているという。右側の太すぎる柱に驚く。

yoshida-2581a-2579模擬櫓の前にはかなりの巨木が立っており、その麓に「鉄御櫓跡」の石碑が建っていた。

yoshida-2582a-2578模擬櫓の向かって右側には、北御門を形成する櫓台らしき場所がある。今は塀で覆われ豊川方面の展望台となっているが、当時は(古絵図を見ると)北御門へと続く多門櫓か何かが建っていたように見える。

>> 吉田城 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2015年3月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!

ページの一番上に戻る