吉田城 [2/2] かつて四つの隅櫓を支えていた本丸石垣を見よう。

吉田城前回までの吉田城訪問記。

豊橋公園内の駐車場から散策スタート。豊川沿いに歩き、堀跡や腰曲輪跡を見て回る。石段をあがって本丸へ。模擬櫓は閉館していた(日曜のみ開館)。


<訪問記>

本丸内よりリスタート。

yoshida-2583a-2577隅部の石垣。地面にも何がしかの礎石のような石列も見られるが、このように植樹のための石も並べられており、何が何だか分からない。

yoshida-2584a-2587s本丸南東の辰巳櫓へあがるための石段。しっかり残っている。

yoshida-2585a-2594少し印象の異なる石垣もあった。

yoshida-2585b-2596本丸中央部に高い立ち木があったので、それと模擬櫓のツーショット。変な感じ。。。

yoshida-2586では入ったときと逆方向の、本丸南側の虎口から出てみよう。正面に見えているのは、本丸南西部の「千貫櫓」台跡。石垣が、斜めにカットされている。

yoshida-2589南御多門跡の石碑。斜め石垣の下。

yoshida-2589a-2597千貫櫓の外側は、石垣が二段構成になっていた。その前に、木で出来た説明板がある。

yoshida-2590吉田城 説明板。池田輝政が築城を始めるも工事半ばで姫路へ転封、そしてその後は譜代大名が小禄で入ったため工事が出来ず、未完成のまま明治を迎えたとある。豊川を背後にした「後ろ堅固の城」と呼ばれる。

yoshida-2591また、吉田城の石垣には様々な刻印が刻まれた石材が多く含まれるという。本丸内の石垣の「刻印の場所」一覧図。こんなに詳細が描かれているのは珍しい!またなぜ一大名が築いた城の石垣に多数の刻印があるかというと、天下普請で築かれた名古屋城の石垣の余りを使ったからとある。後でこの図を頼りに見に行ってみよう。

yoshida-2592古絵図に描かれた、在りし日の吉田城本丸の姿。各隅部に櫓。南御多門はまっすぐだけど枡形になっている。北御多門は折れ曲がり枡形。右下に見える黄色いのは二の丸御殿(茅葺き屋根)。

yoshida-2600南御多門跡を出て土橋へ。このあたりに、南枡形の入口にあたる軽めの門があったはずだが、遺構は見当たらない。

yoshida-2600a-2598土橋の上から見下ろした、本丸堀。かなり深い、広い。右側に持っている土を掘ればもっと石垣が出てきそうな雰囲気。

yoshida-2601土橋の二ノ丸側入口のところに「冠木門跡」という小さな石碑が建っていた。

yoshida-2602二ノ丸跡。完全に、公園。

yoshida-2603明治以降、吉田城跡は兵部省の管轄となり、軍隊が置かれた。名古屋鎮台 豊橋分営所 歩兵第118聯隊、が設置されていた。二ノ丸には「此処に歩兵第百十八聯隊ありき」の立派な石碑が建つ。

yoshida-2604二ノ丸から見下ろした、複雑な形をした堀。

yoshida-2605-s二ノ丸の北東部にある「金柑丸」へ。二ノ丸は本丸と違って全体的に土塁づくり、だ。ここは金柑丸から三ノ丸へ抜ける虎口跡。

yoshida-2605a-2607金柑丸に建っている吉田城 説明板。

yoshida-2606金柑丸の現在の様子。豊城神社が鎮座している。

yoshida-2608歩兵第十八聯隊之址 石碑。

yoshida-2609金柑丸跡の小さな石碑と、豊城神社の石鳥居。奥には銅像が建っている。

yoshida-2610豊城神社の鳥居の奥へ。拝殿の代わりに、銅像が建っている。

yoshida-2612なんと、神武天皇の銅像だった。なぜ吉田城跡に神武天皇が? そういう場合は、銅像の台座の説明板を読もう。

yoshida-2613a-2611吉田城跡 豊城神社 神武天皇像の説明板。説明板によると、この像は明治27年の日清戦争記念碑上に建てられており、元は像・碑ともに歩兵十八聯隊 八町練兵場にあったものという。像は、誰が造ったかは不明ながら、身体が古代武人を模していて、顔は明治天皇の御尊顔としたと伝わる。太平洋戦争後、練兵場は閉鎖され、像も撤去され長らく居場所が無かったそうだが、昭和40年にここ吉田城跡の金柑丸を「仮の御座所として」設置に至った、とある。吉田城と神武天皇の直接的関係はないが、明治期の国民の共有観念であった「建国の意識」「愛国心」「敬神崇祖の伝統」を体現する伝統的芸術品を何とかここに設置した、という流れのようだ。

yoshida-2614では金柑丸から三ノ丸へ。これは三ノ丸側から見た金柑丸への虎口跡。

yoshida-2615三ノ丸は二ノ丸をぐるっと囲むように存在していたが、金柑丸から入ってすぐのところには三ノ丸会館が建っていた。他は美術館、市役所、中学校などの敷地になっている。三ノ丸堀は埋められ道となったが、一部土塁などが僅かに残るようだ。

yoshida-2617三ノ丸土塁の一部の例。南側にも(道沿いに)いくつか残るという。今回は未訪問。

かつて三河の要衝だった吉田城跡。市街地ながら本丸・二ノ丸が良好に残り、本丸は石垣と空堀がほぼ完全に残っている。建物が全て失われてしまったのが非常に残念だが、次回訪れることがあれば模擬櫓の開館時(日曜のみ)に再訪して展示物を見てみたい。再訪したら、追記します。

訪問時期:2015年3月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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