佐和山城 [再訪] 藪の二ノ丸、本丸南斜面の石垣、発掘中の大手口へ。

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佐和山城 再訪記 (2015.6)。

前回 (2014.6) 訪問時には見られなかった「二ノ丸」「本丸南斜面の現存石垣群」「大手口 (もう少し奥)」に行ってきました。その部分のみ訪問記として追加アップします。

・前回の訪問記 (2014.6)
__ 佐和山城 [1/5] 石田三成公座像がある龍潭寺横から城跡へ。
__ 佐和山城 [2/5] 龍潭寺山門は由緒ある五本線入り。西ノ丸は竹林
__ 佐和山城 [3/5] 本丸周囲に僅かに残る天守台石垣の残骸。
__ 佐和山城 [4/5] 佐和山城の北側を横断する”かもう坂通り往還”へ
__ 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築大手門は必見


<訪問記>

sawayama3_map(サンライズ出版「近江の山城ベスト50を歩く」p.67 より引用、加筆。)

まずは前回訪問できなかった「二ノ丸跡」へ向かおう。二ノ丸へは塩硝櫓跡などがある「西ノ丸」の東奥、水の手の谷の奥に広がる。その奥には三ノ丸跡もあるようだが、余り状態は良くないようだ。赤線のルートで訪問しよう。

sawayama3-7467先ほどの縄張図のとおり、目指す「二ノ丸」は西ノ丸の東側尾根沿いにある。塩硝櫓跡から谷を隔ててちょうど二ノ丸のある尾根筋が見えそうなので、まずは遠景を見てみよう。塩硝櫓跡へ。

sawayama3-7468a-7473相変わらず発掘?調査中の「塩硝櫓跡」。謎の穴が開けられている。さながら地下迷宮状態。

sawayama3-7470塩硝櫓跡の曲輪の奥から、谷の向こうの尾根筋を見る。あそこが「二ノ丸」「三ノ丸」跡だが… どう見ても只の山にしか見えない。

sawayama3-7480塩硝櫓跡から上へは三段の曲輪が連なっている(図では下段・中段・上段曲輪と記載)。この看板は「西ノ丸」にあったもの(図の上段曲輪)だが、二ノ丸方面が記載されていない。二ノ丸へは上段曲輪あるいはその上の土塁の奥を進めば到達できそうだ。

sawayama3-7483「西ノ丸(上段曲輪」」奥の土塁。まっすぐ階段の方へ進むと本丸跡へ通じる。この土塁の奥を左へ曲がれば、二ノ丸方面。

sawayama3-7485西ノ丸奥の土塁を、上側から見る。かなりの高さの土塁だ。

sawayama3-7486a-7512西ノ丸の奥から、二ノ丸へと向かう。途中 土砂崩れにより西ノ丸への道は崩壊し…とあったが、なんとなく奥へ通じる道が見える。

sawayama3-7487a-7511・・・のも束の間、ほとんど斜面になる。一面シダ植物。滑り落ちないように奥へ進む。

sawayama3-7488a-7507最初の削平地へ。縄張図によるとここはまだ二ノ丸ではなく、本丸の下段曲輪(帯郭)のようだ。更に下を目指す。

sawayama3-7489もう1段下へ。ここまでが本丸下の帯曲輪、この下に続く細い道の奥に、二ノ丸跡があるようだ。

sawayama3-7491s削平地の下を覗き込む。藪ヤブ。道は特にないので、降りれそうな角度の場所を見つけて降りる。

sawayama3-7494s帯曲輪から二ノ丸方面へ続く道、というか、草むら。冬場だともう少しマシかもしれない(訪問時は6月)。

sawayama3-7499二ノ丸最初の削平地。櫓台のような土塁が目立つ。

sawayama3-7501二ノ丸 最初の削平地と、その奥(本丸側)の土塁。

sawayama3-7502s二ノ丸へ続く細い道へ。更に一段降りる形になる。

sawayama3-7503降りようとしたが、此処から先はこれまでにも増して藪がスゴイ。右側の方は道があるような気もするが、左側 (縄張図の「水の手」) は完全に森。

sawayama3-7505角度を変えて色々見てみるが、これは流石に進めそうにない。二ノ丸探索は冬に再々挑戦するとして、ここまで。

続いて、本丸斜面に残る石垣跡を見に行こう。有名な2段の隅石 (本丸東側) ではなく南側斜面上にあるという。

sawayama3-7513佐和山城 本丸跡。説明板に掲載されている縄張図を見てみよう。

sawayama3-7513a-7521佐和山城 本丸跡 説明板。縄張図に注目。

sawayama3-7513b-7521a-map佐和山城 本丸周辺 縄張図を拡大、加筆。資料によると、本丸南斜面の石垣は、千貫井戸の上と言われる。黄色丸の部分あたりか。千貫井戸側からは上がれないので、本丸東側の小さな曲輪から並行移動して向かう。なお元々は本丸周囲全体を囲んでいたと言われる佐和山城の石垣も殆どが彦根城に利活用され、殆ど現地には残っていない。

sawayama3-7514a-7541佐和山城 本丸跡。東端から見返す。このあたりが天守台跡と言われるが、跡形は全くない。

sawayama3-7515a-7540本丸跡から東側へ降りる。降り口にあるこの巨石が目印。下の曲輪へ。

sawayama3-7516a-7539下に降りると、右側に「石垣 →」と書かれた案内板が立っている。これは著名な「2段の隅石垣」のこと。今回は南斜面に残る石垣跡を見に行く。ちょうどこの看板の左奥あたりに草の切れ目がある。

sawayama3-7517a-7538草の切れ目。ここから斜面を並行移動すれば、奥へ進めそうだ。

sawayama3-7520a-7536斜面を奥へ進む。かなりの急斜面なのだが、何とか奥へ進むと、奥に石垣跡らしい複数の石が見えてきた。

sawayama3-7523よく見ると手前にも石垣の裏込石のような小さな石も見られた。本丸面からの距離感はこれぐらい。

sawayama3-7527ここから向こうの石垣跡まで、掴まる木も無い状態だが、何とか落ちないように頑張って行く。ちなみに滑り落ちると千貫井戸あたりに出る。

sawayama3-7528到達! 佐和山城 本丸南斜面に残る 石垣跡。右の方は石垣というより石を積んだだけのようにも見えないこともないが、左の方は土に埋まっていることから石垣跡だと思いたい。

sawayama3-7531もう少し近づいて見てみる。殆ど石垣が残らない佐和山城において、僅か10個ほどの石積みだが、実際に見つけてみると感慨深いものがある。しかし これだけの急斜面でも完全に取り払った石垣のうち、なぜここだけ残したのだろうか?

本丸南斜面石垣はここまで。最後に、大手口を再訪しよう。大手門の内側は武家屋敷群になっていて、発掘調査も行われたと聞く。その跡も見られれば。

sawayama3-7549佐和山城 大手門跡へ。左側には彦根城のロゴ入りテントが置いてある。発掘調査関連か。まずは説明板を見てみよう。

sawayama3-7550佐和山城 大手口跡(大手門跡)説明板。大手門は前回見に行った、彦根キャッスルロード内の宗安寺の赤門だと言われる。

sawayama3-7550a説明板に掲載されていた縄張図をアップ。近江鉄道の線路が大手道を縦断している。大手道は途中から「通行できません(破線部)」となっている。詳しい人に聞くと、赤線ルートでは斜面崩壊もあって登城は不可能、登るなら線路を越えてから右側の「三ノ丸」へ取り付くルートがいいとか。

sawayama3-7552大手口を越えて土塁内へ。発掘調査が行われた跡が残っていたが、発掘面にはビニールシート(穴の中の黄色い部分は土ではなくシート) が敷かれ、さらにその上に大量の水が溜まっているという状況。現地説明会に行かれた方の話によると、シートの下には武家屋敷の周りを囲っていた石積みや、階段跡などが見られたという。いずれは埋め戻してしまうのだろうか。

ちなみに正面の山が佐和山城跡。左右に尾根が鶴翼のように広がり、正面の山の奥には天守が建っていた。まさに城の正面!

sawayama3-7553では少しだけ大手道を進んでみよう。今は畑地となってしまった大手口内だが、それでも城跡に向かってまっすぐ伸びる道が残る。

sawayama3-7555しばらく進むと足元に「この先、佐和山城跡」の看板があった。「電車に注意!」とあるということは、散策のために線路を横切ることが前提ということか。

sawayama3-7556看板の少し先あたり、大手口半ばから見た佐和山城の正面。もう少し草が枯れた時期になったら、是非大手道からの登城にチャレンジしてみよう。

訪問時期:2015年6月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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