八幡山城 [4/4] 山麓に残る秀次公館跡と、関白姿の秀次公銅像へ。

八幡山城前回までの八幡山城 訪問記。

ロープウェイで山頂へ。本丸は瑞龍寺。北の丸跡・西の丸跡の残念モニュメントを見て、出丸跡の石垣を散策。本丸南面の高石垣を堪能してから、二の丸の展望台の展示コーナーへ。これから下山して、秀次居館跡へ向かいます。


<訪問記>

hachiman2-7220sロープウェイ駅へ戻ってきた。八幡城址駅。

hachiman2-7221ロープウェイ駅の二の丸側から向かって左側に、建物脇にひっそりと「下山道」。マップによると途中で道が二分し、片方は八幡公園へ、もう片方は日牟禮八幡宮へ通じるようだ。山麓まで約30分。

hachiman2-7228ロープウェイに乗って下山。360度のパノラマ!

hachiman2-7229ロープウェイ駅降りたところにあった、付箋紙に筆ペンで書かれた案内パネル。秀次公と、各郭の説明などが書かれている。こういうの大好き。

hachiman2-7231s-park続いて、八幡山麓にある秀次公および重臣たちの居館跡へ行ってみよう。現在は「八幡公園」の奥に位置するので、まずは公園を目指そう。ロープウェイ駅から歩いて10分ほど。

hachiman2-7232八幡公園内にあった史跡マップ。地図の右側が公園部、左側の黄色が「家臣団館群」、最上部のオレンジが「秀次居館跡」。公園の中央部には秀次公の銅像が建つ。ちなみに公園南部に建つ「近江八幡図書館」の二階に「八幡山城展示室」があり出土品などが展示されているという情報を聞いて訪問してみたが、何と展示室は閉鎖中(臨時閉鎖ではなくずっと閉めている印象だった)。残念。

hachiman2-7233気を取り直して居館跡へ行ってみよう。公園の西側へ。大手道の様子、山麓方面。

hachiman2-7235s大手道、山上方面。突き当たりが秀次公居館跡。左右に重臣たちの屋敷跡が広がるようだ。

hachiman2-7240大手道をあがる。途中 右側にあった郭へ。ここまでは石垣は見られなかったがここから(正確にはこの1段上から?)石垣が積まれていた。少し散策してみよう。

hachiman2-7241秀次家臣館跡の石垣。草ぼうぼう。ここより上の館跡は竹林になっているようだ。

hachiman2-7242a-7265秀次家臣館跡の石垣。

hachiman2-7243秀次家臣館跡の石垣を横から。

hachiman2-7244a-7264家臣居館跡を越えて、秀次公居館跡へ向かおう。ここからは本格的に竹林ゾーンへ。

hachiman2-7247大手道の突き当たり部分。この正面の石垣の「上部」が秀次居館跡となる。

hachiman2-7248秀次公の側近館跡だろうか、秀次公居館跡の1つ下の郭の石垣。隅石はかなりの巨石が使われている。

hachiman2-7250大手道突き当たり部分の秀次公居館跡石垣、隅部。草ぼうぼうだが、かなりの巨石と算木積みによる堅固な石垣が積み上げられている事がわかる。

hachiman2-7252秀次公居館跡、石垣。この上(右から回りこむ)が秀次公居館跡なのだが、道が崩壊していて登れそうにない。

hachiman2-7253秀次公居館跡の1つ下の郭へ行ってみる。小さな石段があり、立派な屋敷が建っていたような雰囲気が残る。

hachiman2-7254重臣館跡へ。中は残念ながら竹林の様相。

hachiman2-7257竹林の奥へ行ってみたがやはり竹林だった。下をのぞき込むと、ここにも石垣が積み上げられていた。下に降りて見てみたいが、降りたところで密度の高い竹林でろくに見えないだろう。

hachiman2-7262秀次公居館跡は道崩壊とヤブで諦めて、下へ降りる。先ほど見た家臣の屋敷跡から、秀次公の銅像が建つ公園部へ繋がっているようだ。

hachiman2-7266a-7273秀次公銅像へ。戦功を上げている武将ではあるが、銅像は関白姿だった。

hachiman2-7266b-7272銅像の傍らに建っていた豊臣秀次公 説明板。14歳で秀吉の養子となり、18歳で近江43万石の八幡山城主となる。23歳で織田信雄の跡をつぎ尾張100万石の大大名となり、八幡山から清須城へと移封。翌年ついに関白に登りつめるも、26歳のときに拾(後の秀頼)が生まれると、28歳にして謀反の冤罪により高野山蟄居、そして切腹、一族斬首という酷すぎる処断が下される。豊臣家終わりの始まり。5年後には関ヶ原、そして20年後には秀頼切腹の運命となる。

hachiman2-7266c-7268秀次公の銅像を見ていこう。関白の装いだが、意外と精悍な顔つき。

hachiman2-7267左側から。

hachiman2-7269右側から。

hachiman2-7270後ろから。

秀次公にお参りした後は、城下町へ。街中を流れる「八幡堀」を巡ってみよう。お堀めぐりもあるが、今回は堀に沿って歩いてみた。

hachiman2-7281a-7290八幡堀 説明板。城を守る水堀であったと同時に、琵琶湖から物資を城下へ運ぶ木貴重な交通網(運河)でもあった。

hachiman2-7282s八幡堀ではお堀めぐりもやっている。引っ切り無しに船が通っていた。堀沿いの道は整備されていて、堀を眺めながら歩くだけでも楽しい。

hachiman2-7286堀が大きくカーブしている場所へ。一番の見所か。

hachiman2-7293八幡堀 説明板。上のカーブのところの近くに建っていた。昭和30年頃になると八幡堀はドブ川のようになり、埋め立てられようとするも、市民運動で清掃が行われ、保全活動により埋め立てられることなく無事現在も近江八幡の街を文化・観光面で支えている。左上の酷い状況の八幡堀の写真に驚いた。

hachiman2-7305s八幡堀に沿って歩く。堀際の犬走りのような場所も歩くことが出来る。

hachiman2-7311sしかし犬走り部はかなりグチュグチュになっている場所もあるので要注意。左右の石垣は当時のものか。

hachiman2-7322おまけ:城下町には古い建物が多く残る。そのうちの1つ、旧八幡郵便局 局舎。明治時代の著名なアメリカ人建築家(後に帰化)ヴォーリズによる建築で、1921年(大正10年)竣工。現在は郵便局ではなくギャラリー等として活用されているとか。

訪問時期:2015年6月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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