八幡山城 [3/4] 目指せ安土城越え?秀吉渾身の本丸南面 高石垣を見よう。

八幡山城前回までの八幡山城 訪問記。

ロープウェイで山頂へ。本丸は瑞龍寺、遺構ほぼ無し。北の丸跡と西の丸跡で城跡と無関係な残念モニュメントを見て、出丸跡へ。出丸跡は草ぼうぼうで何も無いが、出丸の周囲の石垣を見に行ってみよう。


<訪問記>

出丸跡からスタート。出丸跡の郭上にはボウボウの草しか無いが、出丸跡の周囲には石垣が残るという。下に降りる道を探す。

hachiman2-7060出丸跡の出口(階段)の脇に、草が少し切れて坂道になっているところがあった。ここから下に降りられそうだ。

hachiman2-7062下に降りると、出丸跡の盛り土を固める石垣が姿を現す。さすがにすごい草ボウボウだが、それでもところどころ姿を見せてくれている。出丸周囲の道はかなり細いが、頑張って奥まで行ってみよう。

hachiman2-7068石垣は高いところで8−9段が積まれているが、かなり土に埋もれてしまっているのだろう、低いところだと3段ほどしか地表に出ていない。

hachiman2-7070s石垣に沿って出丸跡のどんどん奥へ。本丸や二の丸に比べて出丸の石垣はかなり荒々しく積まれている印象。

hachiman2-7074出丸の端っこ。かなり斜めに積まれている。

hachiman2-7075角を曲がって南側へ。。。草ぼうぼうや倒木が激しくなってきて、暑いこともあってこれ以上は断念して出丸探索はここまで。縄張図によると、この前に山麓に降りる山道があって、その途中には中世寺院の墓地跡があるとか。

hachiman2-7076帰りも石垣を見ながら。先ほど上から覗いた場所はこの草が切れているあたり?

hachiman2-7080出丸跡から西の丸跡へ戻る道すがらにも石垣がある。西の丸でも出丸でもない中間地点のようで、このあたりにも小さな郭があったようだ。

hachiman2-7087出丸跡から戻ってきた。では西の丸跡から再度ロープウェイの方面へ戻り、二の丸跡(売店 兼 休憩所がある)へ向かおう。その道中には本丸の立派な石垣がかなりの規模と距離感で楽しめる。

hachiman2-7088上の方に見えてきた本丸石垣。南面のこのあたりも櫓台跡か、複雑に折り曲げられている。

hachiman2-7089本丸南面、櫓台の出っ張りを下から見上げる。下の方は土に埋まっている。

hachiman2-7090しばらく土砂崩れで流れてしまった場所を越えて、また本丸石垣が始まる。ここは道沿いの下まで石垣が続いていることがよく分かる。

hachiman2-7091本丸南東部石垣。本丸虎口(瑞龍寺の山門があったところ)の真南あたりか。比較的大きめの石が緩やかにしかしかなり高く積み上げられている!

hachiman2-7092本丸南東部の高石垣。かなりの急峻な八幡山の山頂にこれだけの高石垣を築き上げたのは並大抵の工事ではなかったと思うが、旧織田家臣群の中でまさにトップを独走していた秀吉の意地か、亡き信長公(安土城)を越えるという意思の現れか。などと妄想しながら石垣を見て歩く。

hachiman2-7094本丸南東部石垣。ここの残りはとても良く、この規模の石垣の城壁がずーっと続く。

hachiman2-7095そして微妙に折れ目がつけられている場所もある。

hachiman2-7097ちょっとした横矢掛けとも言える、石垣の折れ曲がり。その向こうはまた高石垣の長い城壁が続く。

hachiman2-7098本丸東南石垣の折れ曲がり部。見どころが多すぎてなかなか先に進めないの図。これもまた一興。石垣好きにはたまらない場所だ。

hachiman2-7100それにしても石垣に積もる腐葉土と枯れ草がすごい。ハイキングコースではあるがそれ以外の場所はあまり整備されていない印象。にも関わらず各郭に変なモニュメントを設置したりして、これだけの遺構があるにもかかわらず整備の方向性が歴史ファンにはガッカリな城跡、という印象をもってしまった。近江八幡市教育委員会は史跡指定を目指していると何かで読んだが、果たして。

hachiman2-7101とか考えているうちに本丸東側へ。この飛び出し部は二の丸から本丸へ上がる虎口を形成している部分のひとつ。凹部に土がたまりまくって、ここから上がれてしまいそうな感じすらする。

hachiman2-7102本丸東部の虎口櫓台石垣。

hachiman2-7104本丸東部の虎口櫓台石垣。この石垣に沿って前へ進むと二の丸→本丸虎口へ。

hachiman2-7105a-32虎口前から右へ曲がって、二の丸へ。二の丸は現在 売店兼展望台 が建っている。汗だくなのでここで飲み物を調達して涼ませてもらおう。一階が売店、二階が展望台 兼 休憩所。

hachiman2-7107a-7118二階へ。中央に階段があり、その壁面等を使って八幡山城に関するパネルや出土品などが展示されていた(一部なぜか美少女アニメの展示コーナー?があり、そこだけ異質だった)。上に貼ってあるのは近江ゆかりの戦国武将たち。主役の豊臣秀次公を筆頭に、織田信長、浅井長政、京極氏に六角氏、井伊直政と近江をかつて治めた戦国大名クラスから、藤堂高虎、石田三成、蒲生氏郷、そして明智光秀と錚々たるメンバーが並ぶ。光秀は丹波のイメージが強いが、謀反時は琵琶湖と京とを抑える織田家最重要拠点の一つである 坂本城 の城主だった。

hachiman2-7109八幡山城の解説コーナー。歴史、コラム、秀次公一族の最期を描いた悲劇絵巻と、出土品の数々。10分で分かるまとめっぷりがステキ。

hachiman2-7110八幡山城 歴史。18歳で43万石の大大名となり、城だけでなく八幡堀などの城下町形成にも大きく寄与したが、側室茶々に秀頼が生まれた太閤秀吉により謀反の冤罪疑義をかけられ、切腹の後 無残にも一族郎党皆殺しに処されてしまう。

hachiman2-7111八幡山城 一口話。43万石から100万石、そして関白まで上り詰めた秀次公だったが、太閤秀吉により切腹させられ、その後は摂政関白に掛けた「殺生関白」などと言う流言も出たという。しかし実際は(欠点はあるものの)かなり有能な関白だったのではと言われている。

hachiman2-7113秀次公一族の悲劇絵巻。これは高野山に蟄居していた秀次公の元に、太閤秀吉から賜死の命(つまり死刑)が降ったことを知らせに来たシーンか。

hachiman2-7114a-7117そして、秀次公の首級を前に、三条河原にて妻妾公達が斬首されるシーン。首を斬る役人たちも涙にくれている様が描かれている。酷すぎる。秀吉は日本一の出世男として関西を中心に人気があるが、それでも太閤以降の秀吉は、千利休や秀次への強引な切腹命令、無謀な朝鮮出兵など、受け入れ難い「暴君」だったと捉えている人も多いようだ。

hachiman2-7115続いて出土品コーナー。本丸から出土した軒丸瓦。なお金箔瓦は山麓の秀次館跡から大量に出土したという。

hachiman2-7116本丸跡から出土した和釘。

hachiman2-7120八幡山城遺跡パネル。詳細な縄張図と、発掘現場の写真など。

hachiman2-7121より詳細な内容の八幡山城 歴史。

hachiman2-7122山頂城郭部分と山麓居館部分の説明。二の丸から本丸へ向かう瑞龍寺の山門があった道は、現場では分からなかったが、平虎口が連なる構造となっていたようだ。

Part4では山麓居館跡を散策します。

>> 八幡山城 [4/4] へ続く。<<

訪問時期:2015年6月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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