八幡山城 [2/4] 北の丸址・西の丸址に立つ残念なモニュメント。

八幡山城前回までの八幡山城 訪問記。

ロープウェイでラクラク山頂へ。降りるといきなり目の前に巨大な二ノ丸石垣がお目見え。本丸は秀次公の菩提寺となり城の遺構は無し。二ノ丸石垣、本丸石垣を見ながら北の丸を目指す。


<訪問記>

hachiman2-7023a-7031北の丸へ到着。北東部がよく見える展望台になっている。

hachiman2-7023s「北の丸址」の看板。石碑もいいけど、こういう看板もいい感じ。秀次公が旗印で用いたと言われる家紋「沢瀉(おもだか)」が上に記される。

hachiman2-7027北の丸阯からの眺望、北東方面。天気が悪いので残念だが、ここから「安土城跡」と「観音寺城跡」が見えている。どの山か分かるだろうか?答えは次の画像。

hachiman2-7027s北の丸跡から見た、安土城跡と観音寺城跡。

hachiman2-7028現地にはラミネートされた眺望説明シートが置いてある。毎日ちゃんと売店の人らが拭いてくれているのだろう、実に綺麗だ。

hachiman2-7028a-22おまけ:2013年に八幡山城を訪問したときは快晴で、同じ北の丸からでもこんなにはっきりと遠くの山々が見られた。

hachiman2-7029a-7026同じく北の丸跡から北西方向を見る。こちらからは琵琶湖が見える。

hachiman2-7030a-7132北の丸跡には「里山ハイキングコース 八幡山縦走コース」として、八幡山から尾根沿いに北へ進んで「近江北之庄城跡」を通り、百々神社へ抜けるルートが説明されたパネルがあった。北之庄城跡も登城したがレポートは別ページにて。ここでは縦走コースの途中で見られる北の丸跡の周囲の石垣だけご紹介。北之庄城へ行かない人でも縦走コースに少しだけ降りて見る価値があります。

hachiman2-7030a-7133縦走コースの入口はこの「百々神社方面縦走路」の看板が指し示す山道。北の丸の周囲に沿って道が伸びる。

hachiman2-7030a-7134しばらく進むと、北の丸の周囲を形成する土塁に築かれた石垣が見えてきた。

hachiman2-7030a-7136北の丸跡の外周石垣。

hachiman2-7030a-7137北の丸の北東端の石垣。まっすぐ一直線に十数段の石垣が積み上げられている。

hachiman2-7030a-7138北の丸の北東端の隅石部。こちらは二ノ丸石垣と異なり、石の長短辺が交互に積み上げられた「算木積み」となっているようだ。積まれた時代が異なる可能性あり。

hachiman2-7030a-7141北の丸の北東端 石垣の全景。山道はこのまま北の丸から離れるように山の奥へ進んでいく。この前に中世山城「近江 北之庄城跡」が残る。そちらの紹介は別記事にて。

hachiman2-7031a-7030では再度北の丸へ戻り、今度は本丸の北側を通って西へ向かう。

hachiman2-7032本丸北東端の隅石。この迫力! しかしやはり先ほど見た北の丸隅石と異なり、算木積みではないように見受けられる。上は隅櫓部だろうか、本丸から少し飛び出している。

hachiman2-7034本丸石垣に沿って西へ。横矢掛けというには少し浅いが、石垣に凸部が付けられている。

hachiman2-7035石垣をガン見しながら西へ。前を見ながら歩かないと危ない!

hachiman2-7036大小の石を複雑に組み合わせながら積み上げた、荒々しい本丸石垣の様子。

hachiman2-7040西ノ丸手前までやってきた。主郭石垣とは少しお別れ。北西端の隅石はなかなかの鋭角っぷり、そして、算木積み?

hachiman2-7041a-7086s西の丸址へ到着。北の丸に比べてこちらのほうが開けているようだ。眺望も良いからか、ベンチもある。

hachiman2-7042西の丸全景。琵琶湖が一望。

hachiman2-7043西の丸からの眺望。天気が悪くて見えづらいが、右側が琵琶湖、左側の田んぼ部分は元は琵琶湖で戦後に埋め立てられた干拓地。中央の琵琶湖と陸地の境目にそびえる山は中世山城「水茎岡山城跡(すいけい おかやま じょうあと)」。佐々木六角氏系の城で、当時は琵琶湖に浮かぶ小山に建てられた「湖中の浮城」だったという。

hachiman2-7050そして、二の丸址に立つ謎のLOVE。さっきの本丸跡の四つ葉のクローバーといい、載せなかったけど北の丸址にもハート型のモニュメントがあり、何なんだという感じでスマホ検索。どうやらこういうことのようだ。地域の活性化、少子化の解消という目的には大いに賛同するが、由緒ある歴史遺産にこれを置くという発想が、実に残念。ちなみにコンクリートのような見た目だがたぶん発泡スチロール製(触ると分かる)。秀次公もガッカリ。

hachiman2-7051a-7083さて、気を取り直して、西の丸址から伸びる山道を通って「出丸」へ向かおう。分かりづらいが、この看板を目印に、山道を降りる。

hachiman2-7053a-7077しばらく坂道を降りると、広い場所へ。整備が余りされておらず、草ぼうぼうだが、ここが「出丸」跡。

hachiman2-7055出丸跡から山上の本丸方面を見返すと、草木の間から瑞龍寺の本殿の屋根が見える。当時はここから八幡山城の本丸建造物群がよく見えたことだろう!八幡山城跡で往時の姿を感じられる好きなスポットの1つ。

hachiman2-7057出丸跡からの眺望。北の丸・西の丸ほど眺望のための草木が狩られたりしていないため、僅かな木々の間から見えるのみ。当時はちゃんと草木も刈られ、山麓の様子がよく見えたことだろう。

hachiman2-7058出丸跡の内部は殆ど見るべき場所はないが、実は出丸跡は周囲に積まれた石垣が一番の見どころ。出丸の上から端っこを見てみると(落ちないよう注意)、確かに石積みが残っていることが分かる。出丸の周囲に降りられる場所を探してみよう。

>> 八幡山城 [3/4] へ続く。<<

訪問時期:2015年6月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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八幡山城 [2/4] 北の丸址・西の丸址に立つ残念なモニュメント。” への2件のフィードバック

  1. こんにちは。

    これは酷いですねぇ。江の島の様にカップルのスポットになった所に肖りたいのはわかりますが、あれも自然発生的にああなったのであって、当初はむしろカップルが残していく南京錠の対策に地元の施設が追われて迷惑するくらいだったんですよね。その辺の順序を取り違えてしまっていると思いますし、作り置いたものが低予算でいつでも撤去できそうなものになっている辺りに、本気でやる気があるのかなとも感じますし…。

    1. kanageohis1964さん、こんにちは。いつもコメントありがとうございます。
      おっしゃるとおり、目的と手段が逆転している印象があります。趣旨に賛同するにしても、もっと”歴史遺産”に相応しいアウトプットの方法があったと思います。行政なのか近江鉄道なのかどこが設置を推進したのかは分かりませんが、近江八幡市内には「安土城」「観音寺城」「八幡山城」と言う日本有数の歴史資産があるにも関わらず、そのいずれもが価値を最大限活かした状態になっていない(しようという意思もまったく見えない)ところが実に残念です。チョット辛口すぎかもしれませんが、それだけのポテンシャルを秘めた場所だと思っています。

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