八幡山城 [1/4] 急峻な八幡山の山頂にそびえ立つ高石垣を見よう。

八幡山城は、”本能寺” 後に天下で秀吉が台頭していく中、かつての主君の居城だった安土城のすぐ南隣りの八幡山に甥の羽柴秀次の居城として築いた山城。近江の中心城にしようと秀吉自身が縄張りに関わったが、安土山に比べ急峻過ぎたため山上の詰城と山麓の居館部に分かれてしまう”岐阜城”風となった。城下町は安土城下を移設し巨大な城下町を形成、琵琶湖から水を引いた八幡堀を築いた。その後改易された織田信雄に代わり秀次が尾張を所領すると秀次居城は清州城へ移り、八幡山城は京極氏の所領となる。文禄四年(1595)に秀次事件が発生すると、京極氏は大津城へ移され、八幡山城は破壊されてしまった。山上詰城跡および山麓居館跡には巨大な石垣が残り、八幡堀を始めとする城下町の風情も残る。

八幡山城<基本データ>
●名称: 八幡山城 (Wikipedia)
●所在: 滋賀県近江八幡市 (マップ)
●築主: 豊臣秀次・豊臣秀吉
●築城: 天正十三年(1585)
●遺構: 石垣、曲輪、八幡堀、秀次居館跡


<訪問記>

まずは八幡山頂の詰城跡へ。山頂へはロープウェイと、居館跡横から続く登山道(約30分)の2ルートがある。今回は同行者が多数居たため無難に往復ロープウェイ。登山道沿いにも遺構が残るのか、また一度確かめに行きたいところ。

hachiman2-6972ではロープウェイへ。往復880円。片道でも買える(490円)ので歩いて上がって疲れたら件はロープウェイも、あり。

hachiman2-6973あっという間に山頂へ。ロープウェイからはなかなか眺望もよく、琵琶湖だけでなく安土城、繖山(六角氏 観音寺城)、水茎岡山城跡など近隣の城跡もよく見える。

hachiman2-6975山頂の駅へ到着。右の石垣の上は二ノ丸にあたる。左へ進むと西ノ丸・北の丸方面へと続く。まずは左側に巨大な手書きマップが掲げてあるのでルートを確認しよう。

hachiman2-6976八幡山山頂案内図。本丸跡は「村雲門跡 瑞龍寺」境内(秀次の母が建立した秀次菩提寺を移築したもの)となっている。二ノ丸は展望館になっているようだ。では今回はまず左へ進路を取り、本丸跡の菩提寺を拝観してから、北の丸、西ノ丸、出丸、そして二ノ丸と巡ることにしよう。下山後は秀次館跡、八幡堀を見に行く。

hachiman2-6977では進路を左の道へ。右側に巨大な二ノ丸石垣がそびえるが、季節柄 草木が盛大に生えていてここからは少し見づらい。見やすいポイントもあるので今は先へ。

hachiman2-6981少し先へ進むと二ノ丸の石垣の折れ曲がり隅部がよく見える場所へ。築条時期は1585年、織豊期の石積み技術が発展する過渡期で、石垣も自然石をそのまま積んだ野面積み、隅部の算木積みは行われていない。石垣の反りも無く直線的に積み上げられているが、少し孕んでいるのか中央部が膨らんでいる。

hachiman2-6982二ノ丸石垣の隅部。かなりの巨石が隅部に配置されている。八幡山はハイキングコース上は整備されているが、石垣やコース外の遺構部はほぼ放置の印象をもった。

hachiman2-6983お願い地蔵尊。

hachiman2-6984お願い地蔵を越えて奥へ。右側の石垣が、二ノ丸の端っこの石垣か。

hachiman2-6985正面奥の石垣の上が本丸。道は本丸を避けるように右と左へと分かれる。右へ行くと本丸(現 村雲瑞龍寺)および北の丸へ。左へ行くと西ノ丸および出丸へ。まずは右へ。

hachiman2-6986本丸の高石垣を見ながら奥へ。隅石の稜線を見ると石垣は反らせずに一直線に積み上げられているのがよく分かる。

hachiman2-6988グルっと回って、本丸の中へと通じるであろうきれいな石段が現れた。元々お城だった頃もここが本丸への虎口へ通じる道だったようだ。正面奥の看板は八幡山城ではなく瑞龍寺の由来が書かれている。秀次公自刃後、秀次の母で秀吉の姉である「日秀尼(にっしゅうに)」が亡き息子の菩提寺として京の村雲の地に瑞龍寺を建て、それが昭和になってここに移設されて今に至る。瑞龍寺は時の天皇に千石の寺領を寄進されていて村雲御所と呼ばれるほど格式が高かったとか。

hachiman2-6989では本丸跡へ向かおう。この石段は昭和に移設されてからのものだろうが、この先の石垣および門跡、虎口跡は本来の八幡山城時代からのもので、当時は二ノ丸から本丸へどのように道が伸びていたのだろうか。

hachiman2-6992そうこう考えているうちに、瑞龍寺の山門へ。村雲御所と看板が掲げられている。瑞龍寺門跡(もんぜき)。門跡とは、皇族が住職を務めるなど格式の高い寺院に与えられる特別な称号。この門の左側には立派な門跡の石碑もあった。それよりこの右側の立派な本丸虎口の立派な石垣に注目!

hachiman2-6993では山門を越えて中へ。中は緩やかな登りになっていて、左へ折れ曲がっている。まさに枡形虎口ではないか。

hachiman2-6994虎口の出口部分。左右に石垣が見える。

hachiman2-6995本丸跡へ。あがってすぐに目の前には巨大な寺院の入口がある。旧村雲御所 瑞龍寺。拝観料 300円。お城とは直接関係が無いためスルー。庭園とかあるらしい。

hachiman2-6995a-6997本丸跡より、先ほどの虎口跡を見下ろす。高さも加えた枡形虎口。

hachiman2-6996本丸跡からの眺望。訪問時はどんより曇りで、まったく眺望は見えず。結構な高さということは、かろうじて分かる。標高272m、比高100m。

hachiman2-6998ふと瑞龍寺の手前の地面を見ると、四つ葉のクローバーにハート型?のパネルが置かれた奇妙なマークが描かれていた。日蓮宗のお寺だから怪しい新興宗教ということもあるまい。なんだこれは?(→後ほど判明)

hachiman2-6999本丸跡には瑞龍寺本殿の他、稲荷社や開山塔などがあった。特にお城の遺構は分からないので長居は無用、本丸周辺の遺構を見て回ろう。先ほど登ってきた本丸虎口の手前にはこんな看板が。戦国の階段!

hachiman2-7001本丸への入口を曲がらずそのまま真っすぐ本丸石垣に沿って奥へ進むと、北の丸へ続くようだ。約80m、5分と書いてある。いくらなんでも80mで5分は足遅すぎ!(時速960m…) 見どころの石垣が多すぎてついつい足止めされてしまうという意味なのだろうか?

hachiman2-7002本丸も複雑な形をしているようで、あちこちに石垣の隅部が見られる。

hachiman2-7003草木に覆われているが、なかなかの巨石が積み上げられた本丸石垣。瑞龍寺の排水のためのパイプが石垣の上を這っているのが無粋。

hachiman2-7006どんどん奥へ。排水パイプがあちこちに…。よく見ると本丸周囲の道の下にも、石垣がある(写真右下)。あれを見に行ってみよう。

hachiman2-7008本丸北東部の櫓台跡だろうか、少し飛び出た部分の石垣隅部。すごい迫力。

hachiman2-7009ふと斜面側を見る。このあたりから下に降りれそうだ。先ほどチラッと見えた、斜面下の石垣を見に行ってみよう。

hachiman2-7010a-7020少し斜面を降り始めると、道の下には石垣がビッシリ積まれているようで、この近距離で石垣を見ながら斜面を降りることになった。大迫力。

hachiman2-7012s道の一段下へ。帯郭のような細長い場所になっていた。石垣はかなり奥のほうまで続いている模様。

hachiman2-7013a-7015かなり腐葉土に埋もれていそうだが、それでも最大で10段ほどの石垣が確認できる。大規模な発掘調査が期待される。

hachiman2-7014延々と奥まで続く石垣。奥まで行ったら途中から草ぼうぼうになって侵入不可になったので引き返し。

hachiman2-7022また上へ戻る。ふと本丸側を見るとまさに櫓台な形をした石垣がそびえ立っていた。

Part2では北ノ丸〜西ノ丸へ行きます。

>> 八幡山城 [2/4] へ続く。<<

訪問時期:2015年6月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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