近江大森城 [前編] かわいい木組み人形の「案内隊員」がお出迎え。

近江大森城は東近江の小丘陵(比高50mほど)に築かれた六角氏重臣・布施淡路守の山城。山頂を削って削平地にし、出た土で周囲を高い土塁で囲った形をしている。珍しい「登り土橋」がある。H26年度の里山事業でユニークな木組みキャラが案内板を手に立つ城跡へと生まれ変わった。山麓には布施氏の居館跡があり、江戸期には山形57万石の大大名だった最上氏が御家騒動により改易、僅か5千石となり大森に陣屋を築いた。

大森城

<基本データ>
●名称: 近江大森城
●所在: 滋賀県東近江市 (マップ)
●築主: 布施淡路守 (六角氏重臣)
●築城: 16世紀 ?
●遺構: 櫓台跡、井戸、虎口、登り土橋


<訪問記>

oomori_map大森城 縄張図。現地案内板より引用、加筆。登城路は北に二箇所あり、今回は西側の入口から入り城内を巡ってから、北虎口より下山した。

oomori_gps2登城時のGPSログ。50m四方ほどの小さな城跡だ。この城1つで戦うのではなく、周辺の六角氏重臣たちが守る山城群と連携して付近一帯を守る位置づけなのだろう。なお現地の案内板の縄張図は上のとおり「北が上」で描かれている図が掲載されているが、現地では北から南向きに登城するため、頭のなかで絵をひっくり返さないといけない。

oomori-3951sでは大森城へ行こう。城跡北西の登城口からスタート。段差を上ったところに、最初に掲載した縄張図が載っている説明板がある。

oomori-3952大森城遺跡 説明板。観音寺城跡にも巨大な「布施淡路丸」という石垣を持つ曲輪が残されているほど、六角氏家中でも有力な重臣だったようだ。六角氏没落後は織田家中となるも本能寺で没落。その後は最上氏の家臣になっていた模様。ちなみに右側の周辺地図(上)と縄張図(下)は、北が上と下に反対に描いてあるので非常に見比べづらいという特徴? がある。

oomori-3954では登城しよう。先ほどの看板にあった周辺地図によると、山頂の城跡部まではしばらく山道が続く。

oomori-3956斜面を掘り込んで切通しのようにした山道。

oomori-3958遺構はまだ無いが、しばらく進むと「大森城跡 →」という看板があるので迷わない。

oomori-3959a-3963s遺構ではないが、大森城跡の訪問レポートではよく写真で出てくる、巨大な倒木。台風か何かで地面ごと倒れたようで、土が付いたままの根っこがむき出しになっている。注目すべきは、このまま倒木にしたのではなく、倒木が宙に浮いているというところ。よく見ると、中央部あたりで木で作ったY字型の「支え」が置かれているのが分かる。まるで城門。

oomori-3960大森城跡の手前にある巨大倒木。未だに木は生きているのだろう、倒れた幹から生えた新たな枝が上方向に伸び、根っこは地面までピンと伸びている。

oomori-3965周囲が斜面の尾根道を進む。

oomori-3968しばらく進むと道が落ち込んだ場所へ。堀切と土橋跡だろう。縄張図の最初(左上)の遺構か。

oomori-3969堀切の様子。土を大きく削っているのがよく分かる。

oomori-3972堀切を越えて城内へ。右回りで城郭周囲に盛られた土塁の上を歩いて主郭へ向かい、そこから城内を散策しよう。

oomori-3973土塁の右側は一段(というか結構)低い曲輪になっている。

oomori-3974下の曲輪の様子。整備が定期的に行われているのか、切った木などが整然と並べられている。

oomori-3976土塁上をしばらく歩くと、場所を示す看板と共に里山事業で設置されたウワサの木組み人形(「案内隊員」)があらわれた。これはかわいい。お腹には「た」と書いてある。ここは「北櫓台」跡。あと下には大森城跡に関連する戦国武将の名前が書いてある。「最上義次 (1620年代)」大森陣屋時代か。

里山事業で人形を設置した際のブログ記事を発見。こちら。平成26年3月設置。

oomori-3977北櫓台跡から城下を見下ろす。比高はそれほど無いがいい景色、ただし高い木が生えまくっていて殆ど見えない。せっかくの櫓台なので整備の一環で櫓台周辺だけでも眺望が見えるように木を切ってみてはいかが? まちづくり委員会さん。

oomori-3979堀切と虎口を兼ねたような場所を越えて奥へ。

oomori-3981堀底道が虎口となっている模様。ここをまっすぐ外に向かうともう1つの登城口(北口)へ出る。

oomori-3986sでは土塁を通って更に奥へ。

oomori-3985急斜面の小丘陵の上に築かれたのがよく分かる構図。木を切ればこの上に櫓などを建てていると城下からその姿がよく見えたことだろう。

oomori-3988 土塁の切れ目から主郭へ向かう。

oomori-3990覗きこむと竪堀っぽい凹みが見られる。が、整備で伐採した枯れ木がいっぱい置かれていてよく分からなくなっていた。

oomori-3992では主郭内へ。

oomori-3993案内隊員その2。本丸(主郭)。さすが主郭、武将名も「大森城主二代目 布施淡路守藤九郎公保 (1570年代)」。お腹には「ち」。

oomori-3994主郭の奥(南東方面)へ行ってみる。

oomori-3995城跡の南東端は「物見櫓台」跡。武将名は「大森城主 一代目 布施淡路守藤九郎公雄 (1560年代)」。お腹には「玉」、なんとヒゲが生えている!

oomori-3996主郭周囲の土塁。ぐるっと巻いているのがよく分かる。大森城では山城でよくある尾根筋に巨大な堀切を作って守るのではなく、このように周囲を土塁で囲むやり方で防御力を高めていたようだ。

>> 近江大森城 [後編] へ続く。<<

訪問時期:2015年4月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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