男鬼入谷城 [1/3] 彦根東方の深き山中に眠る、謎の巨大山城跡へ。

男鬼入谷城(おおり にゅうだに じょう)は彦根市男鬼町の奥地、比婆神社の山上に残る山城跡で、深い堀切と土塁を多用した堅固な築城の様子がよく残る。古文書に殆ど記されていない当城は、江戸時代の地誌「近江小間攫」に「男鬼村 往時此所ニ川原豊後守在城ナリ」とあるがその「川原豊後守」氏が未詳という、まさに謎だらけの山城とされている(日光東照宮を建てた近江出身の大棟梁 “甲良豊後守” の字違いとする説もある)。ちなみに男鬼村は、鍾乳洞「河内風穴」の奥にあたる廃村。

男鬼入谷城<基本データ>
●名称: 男鬼入谷城 (おおりにゅうだにじょう)
●所在: 滋賀県彦根市 (マップ)
●築主: 川原豊後守 ?
●築城: 16世紀頃 ?
●遺構: 土塁、空堀、竪堀、曲輪
●関連: 彦根市 “わたしの町の戦国” 解説シート (PDF)


<訪問記>

山城なので、まずは縄張図から。

oori_map-0069(戎光祥出版「近畿の城郭II」p.81より引用・加筆)

男鬼入谷城 縄張図。尾根に沿って櫛状に曲輪が広がる典型的な山城。曲輪の先端部にはそれぞれ複数の堀切が削られ、一部には石積み跡も見られる。街道からも程遠い(中山道・北国街道は西へ約5km)山奥の山頂に築かれた男鬼入谷城、具体的な記述がされた古文書が見つかっていないため誰が何のために造ったのか不明だが、かなり巨大で堅固な遺構から、それなりに力を持った一族による築城と考えられている。場所的に、近江守護 佐々木氏から分派した京極氏の一族が、六角氏・浅井氏と戦い居城を追われた後に再起を期すために敢えて奥地に作った城ではないかという説もある。

oori_gpsmap3s登城時のGPSロガー結果。結構な高さの山上にあることが分かる。山麓(図の右端)の「鳥居」のところからつづら折れの山道を車で上がり、山上の「比婆神社」にて停車。そこから徒歩で山道を上がっていく。男鬼廃村は鳥居の手前(図の右側)にある。

oori-4037sではさっそく登城開始。山腹にある「比婆神社」前のスペースに車を停める。周囲が土塁で囲まれた、城跡のような場所だ。

oori-4038まずは旅の安全を祈願すべく、比婆神社へお参りしよう。この灯籠の間の参道を進む。ちなみに城跡へは灯籠の左側、斜面の道をあがっていく。お参りを済ませたらここまで戻って斜面を登ろう。

oori-4041山門を越えると、切り立った岩場に造られた本殿へ。背後は巨大な「磐座(いわくら)」。岩そのものが御神体という、自然信仰の日本神道ならではな場所だ。説明板(山麓の鳥居のところにある、写真失念)によるとここには「岩窟」があるといい、かなり大昔より岩窟を比婆大神と崇め伊邪那美大神を祀る、とある。今の社殿は大正時代に再建されたものだとか。

oori-4042では比婆神社にお参りをすませたら、灯籠のところまで戻り、横の上り道から城跡へ向かう。しばらくはずっと斜面が続く。

oori-4045ちょうど先ほどの比婆神社の磐座の上あたりだろうか、岩肌が露出した場所もある。

oori-4048しばらく登ると、矢竹(やだけ)のような細長い枯れ木が沢山植えられた場所へ。その脇を奥へ。

oori-4050道の突きあたりには、先程よりも大量に岩肌が刺々しく露出した、一種異様な場所へ到達する。

oori-4051岩場の前には「117番」の標石が埋められている。ここが目印。城跡へは、この場所を左折する。

oori-4052岩場を左へ。それにしてもゴツゴツと隆起した岩場がとても気になる。岩場の奥は断崖絶壁なので岩場に登るのはやめておいた方がいい。

oori-4054岩場を見ながら、岩場を左へすすんでいく。岩場の部分は山頂になっていて、ここからしばらく下り坂となる。写真は左へ進みながら岩場を振り返ったところ。木々が多く生えていて見えづらいが、それがなければ山頂に巨大な岩場が露出している様がよく見えただろう。

oori-4058岩場を越えると、人工的に築かれたのだろうか、道の左右に土塁のような壁が現れた。中央を掘り(切通し的に)、その土を左右に盛り上げて「登城路」にしたのかもしれない。

oori-4059今度は逆に、尾根道となる。しばらくゆるやかな斜面を下りながら進む。

oori-4065下り坂が終わり、ちいさな削平地と斜面の間に、細い堀切(尾根を分断するように)が築かれている場所へ。ここからが縄張図にもある城跡のようだ。

oori-4066城跡の西端、最初の少曲輪と堀切。

oori-4067ここからは再度登りとなる。次の曲輪まではかなりの急坂で、トラロープが設置されている。往時はどのように登ったのだろうか?

oori-4069ロープを伝いながら斜面の上へ。

oori-4072斜面の上へ到着。縄張図で言う「III郭」となる。かなり大きな曲輪だ。

oori-4073右側(南)を見るとちょっとした土塁が築かれていた。縄張図によるとこの下側にも尾根に沿って曲輪や堀切群が築かれているようだ。まずは主郭等 全体像を見て、帰りに堀切方面へ行くことにしよう。

oori-4074III郭の正面土塁。しばらくは登り斜面に沿って曲輪が何段か連なって造られているようだ。数えて4段目が II郭。元々は全体が緩やかな斜面だったのを、均して連郭にしたのだろう。

oori-4076III郭と次の曲輪との間の土塁。

oori-4077土塁の上へ。

oori-4078III郭から2つ目の曲輪へ。まだまだ登りが続く。

oori-4080振り返ると、尾根の斜面に沿って段々に曲輪が造られていることがよく分かる景色。

oori-4081先を見ると、まだしばらく登りが続くようだ。手前には(この写真では分かりづらいが)堀切が造られている。

oori-4085斜めから見ると、次の曲輪との間に堀切が掘られている様がよく分かる。

oori-4086 主郭に向かって左側の斜面は、堀切に続く形で竪堀が造られている。その手前には円弧状の一段低い曲輪のような場所が築かれていた。

oori-4088堀切を反対側から。段曲輪の土塁の前に堀切を作ると、次の曲輪への土塁がますます高く見える。掘って出た土は次の曲輪に盛り上げたのだろうか。

oori-4092堀切から竪堀に変わる様子。これは主郭方面に向かって右側。

oori-4093向かいの曲輪に上がって、先ほどの堀切を振り返る。これは深い。

>> 男鬼入谷城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2015年4月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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