佐生城 : 六角氏重臣 後藤氏の出城、小規模だが堅固な石垣造り

佐生城(さそうじょう)は佐々木六角氏の居城 観音寺城のある繖山の尾根沿い最北端に位置する山城で、六角氏の重臣 後藤氏が守っていたと言われる。標高158mのこじんまりとした山上にに残る城跡は、なかなかの巨石が積み上げられた石垣が目を引く。古文書等が残っていないため詳細は不明だが、屋敷群を主にした本城 観音寺城の防衛拠点として築かれた出城的な意味合いだろうと考えられている。同じ後藤氏つながりで、少し離れた場所に残る「後藤氏館跡」へも訪問する。

sasou_cover<基本データ>
●名称: 佐生城 (さそうじょう)
●所在: 滋賀県東近江市 (マップ)
●築主: 後藤但馬守
●築城: 16世紀?
●遺構: 石垣、曲輪


<訪問記>

sasou_map-9334(サンライズ出版「近江の山城ベスト50を歩く」p.87より引用・加筆)

佐生城 縄張図と見どころ、散策ルート。城跡の西にある「北向岩屋十一面観音」より城跡へ向かうルートを取った。他に、城の東側斜面下の墓地奥から登るルートもある(図の右側の登城路へ辿り着く)。現地に縄張図や解説板などが一切ないのが残念。

sasou-2153北向岩屋十一面観音の参道入口。この写真を撮っている場所の後ろ側に、佐生城跡への登城路がのびている。

sasou-2152こちらが十一面観音 参道の奥にある、佐生城跡への登城路。

sasou-2154登城路は夏場に来れば緑のトンネルになっているかのような様相。整備され、今はハイキングコースとなっているようだ。

sasou-2157しばらく斜面をあがると、巨石群が見えてきた。

sasou-2159佐生城跡の西の山道沿いに残る巨石。元々ここらへんにあったものだろうが、人工的に割った跡も見受けられる。宗教的な意味合いか、あるいは城門的な意味合いか。

sasou-2162更に奥へ進む。城跡はもうすぐ。

sasou-2164あっという間に城跡へ到着。簡易な看板が出迎えてくれる。その奥には石垣。

sasou-2165佐生日吉城跡。この城および城主と伝えられる佐々木六角氏重臣 後藤氏に関しては古文書等にあまり記録が無く、詳細は不明とのことだ。

sasou-2166石垣の左側は大きく崩れている。場所的にここに虎口的なものがあったのかもしれないが、よく分からない。

sasou-2168では石垣に沿ってぐるっと回ってみよう。隅石は長短辺を交互に組み合わせる「算木積み」の初期段階のような積み方がなされている。いかにも織豊期前という印象だ。

sasou-2169大きな倒木が石垣の上に乗っかっている。崩壊につながらなければよいが。

sasou-2170主郭の周りには5−6段の石垣がずっと築かれている。ただし縄張図によると、石垣が築かれているのはこの南面と、西面のみという。横矢掛けか、見張り櫓台か、南西端は石垣が出っ張った造りになっている。

sasou-2171南面の石垣。自然石をそのまま積み上げた野面積みだが、石の角がとれているからか、それほどゴツゴツ感は感じられない。石垣の麓には斜めに土が盛り上がっているため、長年に渡って降り積もった土が堆積していて、ここを掘るともう少し高い石垣が出てくる可能性がある。

sasou-2172木々の間から見た城下の様子。それほど高くない山のため(標高158m)このぐらい。

sasou-2173よく見ると石垣の石の隙間にビッシリ土が詰まっている箇所も見受けられる。このあたりは完全に土に埋もれていた(発掘調査で出土)ということだろう。

sasou-2174南面の東側石垣。このあたりは石の表面にも苔など一切なく、埋まっていたものを掘り出しました感がある。

sasou-2176南面石垣を東側へ抜ける。こちらにも看板があった。東側にはより大きな石が配置されているようだ。

sasou-2177城跡東側より主郭方面を見る。石垣は東面には無く、巨石がゴロゴロしている様子がわかる。

sasou-2178城跡東側。このまま山は斜面となり山麓へ。観音寺城がある繖山から続く尾根の終端だ。ここを降りると墓地側の登山道へ。

sasou-2179東側登山道を見下ろす。帰りは来た道を戻るので、東側はここまで。こちらもハイキングコースとしての整備がなされているのか、登りやすそうな印象だ。

sasou-2180では城跡へ戻ろう。城跡東側の虎口跡と思われる場所。石垣の代わりに、巨石が低く配置されている。

sasou-2182佐生城 主郭内部。

sasou-2184主郭 西側には土塁が築かれている。

sasou-2185主郭中央部には「後藤但馬守城址」という墓石のような標石があった。後藤氏の子孫の方が建てたのだろうか。何故か「後藤」の部分だけ崩し字になっていて現代人には読みづらい。

sasou-2187主郭西側より降りてみよう。土塁の横は縄張図によると虎口風になっているようだが、内側からは分かりづらい。

sasou-2189下へ降りると実に虎口風だった。右側には、主郭西面の石垣が伸びる。

sasou-2192 主郭西面の石垣。一部 打込み接ぎのような叩いて平面化したような雰囲気も見受けられる。右側に巨木が生えて石垣がなくなってしまっているのが残念。

sasou-2194主郭西面の石垣に沿って、元来た場所へ戻る。

sasou-2195主郭西面石垣。このあたりは土に埋もれなかったのだろう、苔むした緑色をしている。

sasou-2197こじんまりとした佐生城跡、主郭の周りをグルっと回って散策終了。


続いて、佐生城主 後藤氏つながりで、ここから10kmほど離れた場所の「後藤氏館」跡を訪ねてみよう。場所は「滋賀県東近江市中羽田町」、GoogleMapで見る

gotoyakata-2224後藤館跡 説明板。県指定史跡。昭和56年に発掘調査を実施、そのときに造った看板だからか、平面図はほぼ消えてしまっているのが残念。館跡は単郭の土塁・水堀で囲まれた場所で、現在は北と東の土塁・堀、および西側の正門跡(石垣)のみが残る。発掘調査で土塁内部から建物跡が出たそうだが、現在は水田と化している。

gotoyakata-2225では城館跡を見てみよう。だだっぴろい水田地帯に突如あらわれる、巨大な土塁!土塁以外は水田・畑。

gotoyakata-2228土塁の周囲は水堀で、その跡に沿って緑が広がる。

gotoyakata-2229s堀跡に沿って進む。裏口か、土塁の東側に土塁が分断されているところがある。

gotoyakata-2231土塁の隙間から、城館跡の中へ。土塁のL字具合がよくわかる。ちなみに水田の時期は土塁だけがポッコリ浮かぶ形で一面水びたしになる。

gotoyakata-2233少し離れて、L字型の土塁を見る。

gotoyakata-2234反対側(西側)の通路から。土塁は失われているが、このあたりも西側の土塁があったはず。

gotoyakata-2241土塁は南側と西側が残っている、というより、角部が残っているような印象だ。

gotoyakata-2242完全に削られてしまう前に史跡指定・保護されてよかった。よく見ると館跡は一段高く盛り上げられていることも分かる。ちなみに発掘調査では後藤氏時代と思われる戦国期の遺構は出なかったとか。水田化により表面が耕されてしまったからだろう。

gotoyakata-2243a-2235最後に、西側に残る正門跡を見てみよう。ギリギリまで住宅のゴミ置き場?になっていて、モノが散乱しているのが残念だが、金網の向こうには立派な石垣が残る。

gotoyakata-2243b-2236後藤氏館跡の正門石垣。六角氏重臣の館跡とあってか、観音寺城跡の石垣と似ている気もする。

gotoyakata-2243c-2237正門石垣を横から。

参考まで、土塁の内部は田んぼになっているため、水田の時期に訪問すると水没した中に土塁と石垣だけがポッカリ浮かぶ姿になる。たまたま水田の時期にも行ったことがあるので写真を掲載。

goto-4311水田に浮かぶ後藤氏館の土塁。

goto-4312水田に浮かぶ後藤氏館の正門石垣跡。

このとおり水田時期はよくわからなくなるが、刈り取った後から水を入れるまでの間には館跡の雰囲気がはっきりと分かる様相になる。近隣のお城を尋ねた際はぜひ「後藤氏館跡」にも寄ってみては。

訪問時期:2014年11月
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