観音寺城 [おまけ] 観音寺城跡(繖山)へ歩いて登る。

このページは観音寺城(繖山)へ歩いて登った時の記録です。

観音寺城跡は標高440mの繖山頂付近にあり、山麓から登るには南の石寺側にある1200段の石段(巡礼道)か、北の桑實寺(くわのみでら)からの山道を上がってくる必要がある。一般的には、観音正寺参拝客用の山腹駐車場からの登城だろう。これは敢えて石寺側の石段から城跡へ登り、そのまま桑實寺側へ下りた際の記録である。


城跡のレポートはこちら ↓

◯観音寺城 訪問記
観音寺城 [1/5] “佐佐木城址”碑が建つ、北尾根沿いの登城路へ。
観音寺城 [2/5] 三国丸・楢崎丸など城域北部に残る石垣を見よう
観音寺城 [3/5] 石垣と虎口で守られた伝本丸〜伝平井氏屋敷跡へ。
観音寺城 [4/5] 伝池田丸は立派な石段や虎口を持つ独特の曲輪。
観音寺城 [5/5] 南西端に残る大石垣と、本丸から伸びる大石段へ。
観音寺城 [六角定頼公騎馬像]


<訪問記>

kannonji3-01601バス停「石寺楽市会館」から北へ。細い住宅街の間の路地を通って登山口を目指す。

kannonji3-01604しばらく住宅街を通ると、突如森のような場所に出る。いよいよ城跡へ。

kannonji3-01605入口には日吉神社。参拝していこう。

kannonji3-01607日吉神社 拝殿。

kannonji3-01608近くには天満宮がある。この上は元六角氏の舘跡だという。登ってみよう。

kannonji3-01609立派な石段が続く。

kannonji3-01610八幡宮。佐々木六角氏 御屋形跡 と書かれた看板がつけられていた。

kannonji3-01611再び元の道へ戻る。道の左右に石垣が出てきた。

kannonji3-01612低いが大きめの石がしっかり積んである石積み。

kannonji3-01613突如 山の中へ続く石段が現れた。ここからがいよいよ城跡(というか観音正寺)へと続く「巡礼道」となる。1200段。

kannonji3-01614石段の入口に建っていた「観音寺城跡」の看板。本丸にあったものと同じシリーズだ。

kannonji3-01615では、1200段の石段へ。結構急だ。

kannonji3-01616道は右へ左へとゆるやかにカーブしながら、確実に登っていく。これは、かなり、しんどい。

kannonji3-01617カーブのないところでは、先が見えないぐらいまで石段が続いている。上を見るとキリがないので、足元を見ながら歩く。

kannonji3-01620石段が一部崩壊しているようなところもあったので、そういった場所では木の階段で補完されていた。

kannonji3-01623そこそこ上がってきた。左側は斜面。赤いのぼりが立ち始める。

kannonji3-01624中間地点。車道がここまで伸びていて、ここに停めてここから歩いて登るルートもあるようだ。

kannonji3-01625ここからは登りと下りとで道が二分割されている。中央の手すりには、時々ありがたいお言葉が書かれていた。「責任を負ってこそ自由がある。責任のない自由は許されない」。おっしゃるとーり。ちなみに上部に二十七と書いてある。これが、一まで、続く。。。

kannonji3-01627とはいえ手すりと有難いお言葉のお陰で気を紛らわせながら登ることができる。

kannonji3-01629随分登ってきた。最後は一段と急になっている。あと、ひといき。

kannonji3-01630突然視界が開けて、観音正寺の境内へ到着。写真は登り口正面にある「鐘つき堂」。

観音正寺、および、観音寺城跡のレポートは、観音寺城 訪問記 の方に記載しているので、そちらを参照してください。

kannonji3-01644観音正寺 境内の真ん中あたりにある下り道より、観音寺城跡へ向かう。

kannonji3-01645観音正寺の石垣の脇を通って城跡へ。

kannonji3-01656しばらく道なりに進むと、伝本丸跡へ到着。先ほど登り口で見た看板と同じシリーズの看板が建っている。

kannonji3-01659伝本丸跡の北西端にある食い違い虎口から外へ。この前に、繖山の北側山麓にある桑實寺へ降りる登山道がある。

kannonji3-01667桑實寺方面。看板によると、桑實寺は境内に入るだけでお金を取るようだ。さすがはお寺。ちなみに風土記の丘(博物館等があるところ)からも古い登山道があり、そちらから行けば無料だと聞いたことがある。

kannonji3-01683では桑實寺方面へ降りていこう。観音正寺の巡礼道とは異なり、石段は崩壊している。お金をとっておいて、この状態。

kannonji3-01684降りながら左右を見渡していると、観音寺城の遺構と思われる城壁っぽい石垣が垣間見える。

kannonji3-01687まるで河原の如く、大小の石が散乱した参道。これはひどい。足元注意。

kannonji3-01691しばらく進むと酷い状態の道は超えた。それでも切った木などがそのままゴロゴロしている。

kannonji3-01694再び石段。上部ほどではないが、こちらも壊れている。

kannonji3-01699更に壊れっぷりが増してきた。

kannonji3-01704途中、道を遮るように小川が流れていた。水の冷たいこと!少し休憩するには良いポイント。

kannonji3-01711まだまだ石段は続く。

kannonji3-01715やがて、目の前に、小屋が見えてきた。あそこからが桑實寺の境内のようだ。

kannonji3-01717参道を降りると、まるで関所のような拝観料(という名の通行税)徴収システムが設置されていた。300円。なおこのゲートを通ると音が鳴り、受付の人に入場を知られるという仕組み。

kannonji3-01718ゲートを潜って中へ。すぐあった経堂。休憩がてら看板を読む。

kannonji3-01719大師堂(経堂)説明板。なんと織田信長が天正四年(1576)に建立したが、明治の風水害で倒壊。残念。

kannonji3-01720桑實寺 本堂。かなり立派だ。屋根はなんと柿葺き(こけらぶき。本丸御殿などでよく使われた、細い木片を重ねあわせて造る屋根。美しいカーブを描くことが特徴)。

kannonji3-01727桑實寺 本堂。拝観料をせっかく払ったのだから、本堂の中も見せてもらおう。

kannonji3-01730境内を出て下山する。桑實寺の下の道は、ご覧のとおり左右に巨大な石垣が多く築かれた、すごい雰囲気の参道になっている。看板によると、何と室町幕府の12代将軍・足利義晴が仮幕府を設置したり、15代将軍 足利義昭も滞在したことがあるという。

kannonji3-01732この貫禄。普通のお寺の参道を超えている。ちなみに下山中だが、下向きよりも上向きの方が素晴らしい眺めだったので、写真はほぼ振り向いて上向きで撮っている。

kannonji3-01733観音寺城の在りし日の様子も、こんな感じだったのだろうか、と妄想が止まらない。そんな桑實寺の参道。

kannonji3-01734右側は崖、そして川。左側はこれまた高石垣。しかもかなりの巨石が埋め込まれている。

kannonji3-01737休憩所を経て、長い石段へ。

kannonji3-01738折れ曲がって川を渡る。まるで櫓門でも建っている枡形虎口かのような造り。石垣の隅石の大きいこと!

kannonji3-01739桑實寺 説明板。創建は藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の息子!先ほど見た本堂の立派過ぎる柿葺きの屋根はヒノキの皮とのこと。室町時代初期の建立。

kannonji3-01741桑實寺 山門。門の左右には石垣で固められている。

kannonji3-01746山門を超えるとゆるやかな石段へ。左側の土塀は住宅のもの。

kannonji3-01748下山完了。奥の山が繖山。かなり登って、かなり降りてきたことが、よく分かる。おつかれさまでした。

→ 観音寺城 訪問記 へ。

訪問時期:2013年9月
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