観音寺城 [5/5] 南西端に残る大石垣と、本丸から伸びる大石段へ。

観音寺城前回までの観音寺城 訪問記。

伝布施淡路丸、北尾根道沿いの三国岩や虎口跡、大土塁大石垣、伝楢崎丸石垣を見る。本丸の虎口跡を見てから、南の平井氏・落合氏・池田氏屋敷跡を散策した。

Part5では更に南の女郎岩・大石垣を経て、観音正寺へ。


<訪問記>

本丸南の伝池田氏屋敷跡(伝池田丸)から南東方面へ。

kannonji2-2553細い山道を下っていく。ちょこちょこ石垣の跡が垣間見える。

kannonji2-2556ゴツゴツした岩場へ。これが縄張図にある「女郎岩」か? 更に女郎岩の下部には、外向きに石垣があるので、回りこんで下に向かう。女郎岩の側からは石垣は見えない(裏側に当たる)。

kannonji2-2557ぐるっと回りこんで石垣の前へ。斜面にそのまま石垣が築かれており、また斜面も草木だらけのため、なかなかに見づらい。

kannonji2-2558それでもこの迫力! 城下、あるいはすぐ横を通っていたとされる追手道(表道)から登城する人たちへ六角氏の威厳を見せつけるためのいわゆる「見せる石垣」だろう。斜面にも関わらず、この巨石!

kannonji2-2559伝池田氏屋敷跡の南側、女郎岩の先にある大石垣。

kannonji2-2563少し斜面を降りて全景を撮ろうとするもすぐに草木に阻まれ、これぐらいが限界。この迫力はぜひ現地で自らの目で見ていただきたい!

kannonji2-2565石垣は途中で折れ曲がりも作られている。横一列の石垣ではなく、二三箇所曲げられた堂々たる石垣だ。

kannonji2-2552大石垣〜女郎岩あたりから、木々の隙間で何とか見えた城下の様子。最高地点で標高432mの繖山(きぬがさやま)、縄張図によると女郎岩あたりで標高350m程度。

南下はここまでにして、来た道を戻る。伝平井丸から、石垣に沿って奥へ進み、三ノ丸を経て大石段へ向かおう。

kannonji2-2578伝平井丸石垣前まで戻ってきた。奥へ進む。

kannonji2-2580しばらく山道を進むと細長い曲輪へ。縄張図によるとここが伝三ノ丸。江戸期の古絵図に書かれた地名を元にしているため、伝本丸(古絵図には「本城」と書かれていた)の近くだから伝三ノ丸、なのだろう。ここは奥に石垣が残る。

kannonji2-2581伝三ノ丸の奥の石垣。この上に何か建っていたのだろうか、ここだけ石垣化されているようだ。

kannonji2-2582伝三ノ丸を出て更に奥へ。妙に竹やぶ化してきた。道に向かって無造作に倒れ架かる竹をくぐって奥へ。

kannonji2-2585突如竹やぶの左側斜面に現れる大石段。ここは伝本丸の真下にあたり、かつては山麓の曲輪から伝本丸へと通じる大手道と考えられていたが、平成22年に実施された付近の発掘調査にて、この大石段はこの下の曲輪にもつながらないことが判明、何のための石段だったか更なる調査が必要な状態だとか。

なお永禄11年(1568)に観音寺城を奪取した信長は、この大石段を見て安土城(1576年頃 築城開始)の大手道を考えついたという話もあるが、長い大手道自体は小牧山でも発掘されており、元々の信長のアイデアだったというのが現在の考え方の模様。

kannonji3-01654ちょっとだけ石段を上がってみる。見事な大手石段という印象。往時はどれほどの立派さだっただろうか・・・と草むらの中で妄想。

kannonji2-2589石段前を離れて更に奥へ。このあたり(大石段付近)はかなりの竹やぶ。一見「トトロのトンネル」のようにも見えるが現場はそんなジブリな場所ではなく、巨大な蜘蛛の巣に注意するような場所。

kannonji2-2590竹やぶのトンネルを抜けると、伝本丸と観音正寺とを繋ぐ道へ出た。左へ進むと伝本丸、右へ進むと観音正寺。では右へ進もう。

kannonji2-2592この道は観音正寺から桑實寺へ抜ける参道でもあるためか、夏場でも比較的歩きやすく整備されている印象。

kannonji2-2595しばらく進むと巨大な石垣が見えてくる。これは観音寺城の遺構ではなく、観音正寺のもの。恐らく江戸期に積まれたものだろう。草刈りがちゃんとされておらず草ぼうぼう。

kannonji2-2597観音正寺の石垣。石垣の上が観音正寺。

kannonji2-2598奥のほうまで進むと、草の間から垣間見える石垣はなかなかきれいに切り揃えられていることが分かる。

kannonji2-2600石垣の側の石段を上がると、境内へ。

kannonji2-2601観音正寺 境内へ到着。「寺めぐりチャンネル」ではないので、軽く紹介に留めよう。

kannonji2-2603観音正寺 本堂。西国三十三箇所のうちの三十二番礼所。1400年前に聖徳太子が設立したとされる、かなり由緒あるお寺だが、佐々木六角氏がここ繖山に城を築いたことで一時期山を降り、慶長期に再度ここに戻ったという。本堂は彦根城の旧欅御殿(けやき・ごてん)を1882年(明治15年)に移築したものだったが、1993年に失火で焼失。重文の本尊など全焼。現在の本堂は2004年(平成16年)の再建。インドから白檀を特例で輸入して造り上げたとか。堂内は香り高い白檀がよく香る。右側は名物?の「縁結地蔵尊」。

kannonji2-2604観音正寺 本堂前からの眺望。

kannonji2-2607s観音正寺 境内の様子。この右側あたりにある休憩所内に、観音寺城の100名城スタンプがあるので忘れずに。

kannonji2-2609休憩所内のインパクトあるポスター。観音正寺かと思いきや、大津の三井寺(みいでら)だった。

kannonji2-2616観音正寺 入口へ。二体の巨大な仁王像が迎えてくれる。

kannonji2-2614s阿行。巨大なゲタ!

kannonji2-2615吽形。

kannonji2-2618観音正寺を経てスタート地点へと戻る。戻る途中にあった「ねずみ岩」。ここから伸びている急坂をあがると、大土塁のある北尾根沿いの道へと繋がるようだ。

kannonji2-2619ねずみ岩の少し先にある石垣の門跡。縄張図によると「権現見付」跡と記してある。

kannonji2-2620権現見附跡の近くには屋敷跡のような石垣も残されていた。

鎌倉時代より続く近江守護の名家 佐々木氏の流れを汲む「六角氏」。その本城だった観音寺城跡はさすがの貫禄を残す巨大山城だった。発掘調査は過去何度かなされたがその後の整備は殆どされておらず、時期を誤ると草ぼうぼうで何も見えない状態になるが、晩秋〜早春の時期に訪れれば見事な石垣群が楽しめる。

今回は時間短縮のため、山腹にある観音正寺 参拝客用駐車場から散策をスタートしたが、繖山に歩いて上がり、歩いて降りるためのルートも存在する。なんと石段1200段。そちらを登った時の記録を「おまけ」としてもう1ページ分、追記します。

>> 観音寺城 [おまけ] へ続く。<<

もう1つ、城跡の北東に六角氏の最盛期を築いた「六角定頼公」の騎馬像が建っているので見に行ってみた。

>> 観音寺城 [六角定頼公騎馬像] へ続く。<<

訪問時期:2014年11月
– – – – – – – –
城めぐり関連ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ!

このブログは果たして何位でしょうか? (=゚ω゚)ノ