観音寺城 [4/5] 伝池田丸は立派な石段や虎口を持つ独特の曲輪。

観音寺城前回までの観音寺城 訪問記。

伝布施淡路丸、北尾根道沿いの三国岩や虎口跡、大土塁大石垣、伝楢崎丸石垣を見る。本丸の虎口跡を見てから、南の屋敷群へ。

Part4では伝平井氏屋敷跡から落合氏、池田氏へと向かう。


<訪問記>

伝平井氏屋敷跡より散策スタート。

kannonji2-2496伝平井氏屋敷跡の南端へ。ここは左右に石積みが築かれ虎口になっているようだ。外へ出てみる。

kannonji2-2498伝平井氏屋敷跡 虎口。恐らくここが一番 観音寺城跡で有名な石垣ではないだろうか。美しく残る石段と左右にそびえる巨石を積み上げた石垣の壁。

kannonji2-2499石段の端には石仏が並べられていた。

kannonji2-2500虎口向かって右側の石垣はかなり奥のほうまで伸びている。

kannonji2-2500a-2515伝平井氏屋敷跡 虎口。右側の石垣の穴(木が生えているところ)は、元々穴があいていたのではなく、下に落ちている巨石が落ちたのだろうか。

kannonji2-2500b-2502伝平井氏屋敷跡 虎口。素晴らしいの一言。

kannonji2-2501虎口の向かって左側は、城下へ降りる道の1つと、更に手前に石垣で囲まれた曲輪がある。曲輪の前には「伝 落合氏屋敷跡」と書かれた看板が立っている。落合氏の方は後ほど行くとして、まずは登城路の方を見てみよう。

kannonji2-2503伝平井氏屋敷跡の周囲の石垣。露出している部分だけでも7段ほど比較的大きな石が積み上げてある。算木積みの初期段階のようなしっかりした積み方。

kannonji2-2506こちらはその向かい側の、伝落合氏屋敷跡の周囲の石垣。伝平井氏側とくらべてやや低めの石垣だが、使っている石材の大きさは引けをとらない。角部がややカーブを描くような独特の形を作り出している。

kannonji2-2509伝平井氏屋敷跡の方に戻って、少し虎口向かって右奥の石垣を見てみる。かなりの巨石が使われている。

kannonji2-2510石垣に穴を開けるように積み込まれた「埋門」跡。上を塞いでいたと思われる石が崩落している。観音寺城跡にはここ伝平井丸以外にも埋門跡が見られるようだ。

kannonji2-2512伝平井丸石垣と埋門跡。奥の虎口が正面玄関としたら、こちらの埋門はさしづめ裏口といったところか。

kannonji2-2514巨石をふんだんに使った伝平井氏屋敷跡の石垣。

では平井氏屋敷から更に南の、先ほど看板だけ見た伝落合氏方面へ向かってみよう。

kannonji2-2516観音寺城跡はところどころに通路上に石段が残っているのが特徴的だ。

kannonji2-2517通路の真ん中で積み上げられた、謎の石積み。なんだこれ。廃城になって400年以上もこのままとは到底思えないので近年の誰かのいたずらか。

kannonji2-2518伝落合氏屋敷跡 横の通路。伝落合氏は、平井氏とは違って、小さめの曲輪がいくつか連なった形をしているようで、石垣の間にもそれらの曲輪へ入るための小さな石段が作られていた。

kannonji2-2519伝落合氏屋敷跡(曲輪群)の1つへ入る小さな石段。

kannonji2-2521伝落合氏屋敷跡はこのように小さな曲輪が低い石垣によって区切られていた。

kannonji2-2525s伝落合氏屋敷跡を超えて更に南へ。10段ほどある、今までとは違う大きめの石段を超えると、その下が「伝池田氏屋敷跡(伝池田丸)」となる。

kannonji2-2528伝池田氏屋敷跡の入口にあたる石段。小谷城跡を思わせる遺構だ。

kannonji2-2529伝池田氏屋敷跡へ。先ほどの虎口を越えてしまえば、中は簡素な石段があるのみだった。

kannonji2-2530曲輪の中はかなり広い。そして周囲には石垣がぐるりと巻かれている模様。細かく見てみよう。

kannonji2-2530a-2548例によって木を削った伝池田氏屋敷跡 の看板。奥には残存状態の良い石垣も見える。

kannonji2-2531伝池田氏の曲輪周囲に残されている石垣。伝平井氏に比べて石は小さめだが、周囲をしっかり取り巻いていた。

kannonji2-2532曲輪の中に飛び出るように築かれた石垣。見張り台的な場所か。

kannonji2-2535a-2543伝池田氏屋敷跡の周囲の石垣のうち、西側の一辺に出入口が作られ、斜面に降りる事ができる場所があった。先ほど伝平井氏屋敷跡の外で見た登城路を牽制するための場所か。

kannonji2-2536伝池田氏屋敷跡 周囲の石垣の外側。石は小ぶりだがしっかり積み上げられており、また残り具合も良い。

kannonji2-2538曲輪の中には誰かが造った五輪塔を模したような小さな供養塔らしき石積みもあった。

kannonji2-2539奥の方には石が散乱する場所もあった。伝池田氏の西側(写真右奥)は先程も見たとおりしっかりと積み上げられている印象だが、南側(写真左奥)はより小さな石が乱雑に積まれただけの、異なる感じだ。

kannonji2-2550伝池田氏屋敷跡の南東端には細い道が伸びていて、更に奥へ行くことが出来る。正面右奥の石垣と、左側に伸びる土塁の間だ。

kannonji2-2551道から伝池田氏屋敷跡の外へ出ると、曲輪を取り巻く外側の石垣を見ることも出来た。

Part5では更に南の女郎岩・大石垣(城下に見せる石垣)そして観音正寺へ。

>> 観音寺城 [5/5] へ続く。<<

訪問時期:2014年11月
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観音寺城 [4/5] 伝池田丸は立派な石段や虎口を持つ独特の曲輪。” への2件のフィードバック

  1. はじめました。shiroto と申します。
    観音寺城 信長に攻められ、簡単に滅んで、歴史の表舞台から姿を消していたので、
    こんなに立派な物が残っていたとは知りませんでした。
    大変参考になりました。いつか是非 私も見学させてもらいます。

    1. Shirotoさま。コメントありがとうございます。
      六角氏は信長の観点から見ると戦わずに逃げた弱小大名の一人という印象になりますが、元は近江守護の佐々木氏で室町時代までは力を持っていた一族でした。信長以前にこれだけの石垣を持つ山城を築く技術と財力を持っていた程ですからね。

      なお夏場は凄まじくヤブですので、晩秋〜春先までの間(雪の期間は除く)に来られることをオススメします。

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