観音寺城 [3/5] 石垣と虎口で守られた伝本丸〜伝平井氏屋敷跡へ。

観音寺城跡前回までの観音寺城 訪問記。

伝布施淡路丸から北尾根道へ。「佐佐木城址」碑、大土塁沿いに大石垣、三国岩、楢崎丸の石垣などを見て本丸跡へ向かう。

Part3では、本丸および周辺の屋敷跡へ向かいます。


<訪問記>

kannonji2-2407観音寺城 伝 本丸に到着。かなり広い曲輪だが、木が多く、見通しは悪い。周囲にも多く石垣や虎口跡が残るという。なおここ本丸を含め、各曲輪についている名前は当時のものではなく、江戸時代の古絵図ベースの名前とのことで、信ぴょう性は薄い。まずは正面に見える看板を見てみよう。

kannonji2-2409観音寺城跡 本丸説明板。安土城以前の石垣造りの山城で、ここを奪取した信長は安土山に総石垣の城を築くきっかけになったとか。しかし安土山以前の金華山、小牧山にも石垣は利用されていて、元々アイデアはあったのだろう。それにしてもこの看板は誤字脱字が多く、誰かが鉛筆で訂正しているのが笑える。清書する前に読み直そう。

kannonji2-2410まずは本丸一番の見どころ、本丸北部にある食い違い虎口跡(見付跡)へ。大きな石垣の壁が虎口を形成している。

kannonji2-2411本丸虎口跡を内側(本丸内部)から。草が多く生えてて全体像が分かりづらいが、ここは外から見るとよく分かる。

kannonji2-2415本丸虎口跡を外側から。観音寺城跡 定番ショット。今までに見てきた伝◯◯丸跡の石垣よりも一段と大きな石が使われていることが分かる。

kannonji2-2416本丸虎口跡を出てすぐ左前下部には「伝長束丸」とされる曲輪がある。井戸があることから地図には井戸跡と書かれている場所だ。降りてみよう。

kannonji2-2417まず降りてすぐ見つかるのが井戸跡。土塁の下をくり抜くような形で井戸が掘られている。看板には「太夫井戸伝承地」と書かれている。

kannonji2-2418井戸の中を覗いてみると今も水を湛えていた!

kannonji2-2419井戸の周辺には、何段かに分かれて細い石垣が築かれている。

kannonji2-2422太夫井戸近辺の石垣。

kannonji2-2423太夫井戸付近の石垣。崩壊していて元の形が分かりづらい箇所もあるが、本丸すぐ横の曲輪だけに、立派な石垣造りの場所だったのだろう。

kannonji2-2424一番下まで降りて見上げると、段々に築かれた石垣がよく分かる。

kannonji2-2425a-2447本丸の北側の斜面の上にも見付跡とされる石垣を含む曲輪が見つかっている。本丸からは直接辿りつけず、一旦少し虎口から山道を降りた(桑實寺方面)ところあたりから入る。写真のこのあたり。

kannonji2-2426a-2441少し斜面を上がると、突如石垣の壁が現れる。縄張図によると「伊藤・小梅・松吉」と3つの名前が書いてある。ここはその入口にあたる場所。

kannonji2-2432石垣は良好に残るも、整備がされていないからかその上に倒木が容赦なく倒れかかり、見づらく進みづらい。

kannonji2-2437伝伊藤丸の上にあがると、土塁の上に石垣の城壁が築かれていた。桑實寺から上がってくる者の見張り的な場所か。

kannonji2-2450本丸北の見付跡から再度虎口へ戻る。なお先程の道をそのまま下山していくと、山麓の桑實寺(くわのみでら)の境内へとつながるが、なんと桑實寺は入場料を取るため、桑實寺自体を拝観するつもりが無いのならそちらへは降りない方が良い。登城路から境内へと繋がる道には、通ると音が鳴る門が設置されている。ただし桑實寺の表側の石垣はなかなかに立派(一時期 室町幕府の将軍だった足利義晴や義昭も滞在したという)で石垣ファンは一見の価値あり。

kannonji2-2456では虎口を通って再度本丸内へ。本丸内部はあまり見るべきところはないが、周囲に石垣が残る。

kannonji2-2464本丸西側の石垣。土塁の上下に二段に亘って石垣が築かれている事がわかる。

kannonji2-2466本丸西側土塁上の石垣。

kannonji2-2470本丸。発掘調査により、礎石建物跡と堂跡などが見つかっている。中央の草が生えた「堂跡」から伸びる石溝(排水溝?)っぽい遺構を見て想いを馳せる。

kannonji2-2472本丸周囲の土塁。

kannonji2-2475本丸南端にはその南へと続く屋敷群への山道が伸びている。

kannonji2-2476南の屋敷群へと続く尾根道。

kannonji2-2477a-2481しばらく尾根道を降りると広い削平地へ到達する。「伝 平井氏屋敷跡」だ。入口付近には大きな石積みの跡が残る。

kannonji2-2479伝 平井氏屋敷跡の本丸側入口付近に残る石垣。曲輪の周囲にも石垣・土塁が築かれていたようだ。

kannonji2-2482伝 平井氏屋敷跡の中央付近には、木を削って造った「伝 平井氏屋敷跡」の看板が建つ。曲輪の中央部分は植林されていて林状態だ。

kannonji2-2487曲輪の北西端に、小さな虎口と一段高い奥の部屋的な場所があるので行ってみよう。こちらがその入口。

kannonji2-2488伝平井氏屋敷跡の奥の小さな曲輪。

kannonji2-2489s奥の小さな曲輪から虎口側を見返す。石段で二三段分高く積まれている事がわかる。なお縄張図を見るとこの更に右奥にも「孫次郎」と書かれた曲輪があるようだが、草ぼうぼうで進めなかった。

Part4では更に奥の伝落合氏、伝池田氏などの屋敷跡をめぐります。

>> 観音寺城 [4/5] へ続く。<<

訪問時期:2014年11月
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