観音寺城 [1/5] “佐佐木城址”碑が建つ、北尾根沿いの登城路へ。

観音寺城は近江守護 佐々木六角氏の本城となった巨大山城で、安土城以前の中世城郭としては稀有な総石垣造りとなっている。室町時代は南近江で勢力を誇った六角氏だったが、戦国時代になると北近江に台頭した浅井氏との戦いなどで弱体化、1568年(永禄11年)には織田軍に攻められ観音寺城を放棄して逃亡した。その後 観音寺城は尾根伝いの安土山に築城した信長の所領となったようだが、本能寺の変とともに使われなくなり事実上 廃城となったと思われる。現在は山頂に観音正寺が建ち、全域に石垣を多く含む山城遺構が残る。

観音寺城<基本データ>
●名称: 観音寺城(Wikipedia
●所在: 滋賀県近江八幡市 (マップ)
●築主: 佐々木六角氏
●築城: 応仁年間(1460年頃)
●遺構: 石垣、曲輪、空堀跡 等
●関連: 近江八幡観光物産協会HP


<訪問記>

kannonji2-map1[引用:滋賀県教育委員会 著「埋蔵文化財活用ブックレット11 観音寺城跡」より。一部加筆]

広大な城域を誇る「観音寺城跡」。まずは縄張図にてその範囲と登城ルートを確認。観音寺城跡には「石段を歩いて上がる」道と「途中までクルマで上がる」道がある。今回は後者の駐車場スタートのルートをご案内(後編でおまけで1300段の石段コースをご紹介予定)。図の右端に駐車場があり、そこから城内をぐるっと一周する。伝 布施淡路丸の少し先の登り口から、尾根伝いに山上へ。伝沢田丸より急坂を降り、本丸へ。本丸から南側に点在する屋敷跡を散策後、南端の大石垣を見て反転、観音正寺の境内を通って駐車場へと戻るルートをたどる。

kannonji2-2275駐車場より散策スタート。観音寺城跡というより観音正寺の参拝者向け駐車場のため、観音正寺の立派な石碑が建つ。駐車場は有料だが、境内・城域は無料(本堂は有料)なのは有難い。※ しかし歩いて降りると城跡入口にあたる桑實寺が境内への入場料を取る(!)ためお金が掛かるのだった。

kannonji2-2277参道の左側には、伝 目加田屋敷跡 とあったが、少し入ってみてもまったく分からなかった。実はここよりも、この先の「伝 布施淡路丸」の方がよほど遺構としては見どころがある。

kannonji2-2279参道沿いには低い石積みがある。城の遺構か、後世のものかは、分からない(石が綺麗すぎるので後世か?)

kannonji2-2280石積みを越えてしばらく進み、この看板も何も無い草木の割れ目のような道へ入る。入口の木のビニールテープが唯一の目印。

kannonji2-2281入ってしばらく整備されていない山道を進むと、目の前の土塁の上に石垣が見えてきた。あの奥が「伝 布施淡路丸」のようだ。

kannonji2-2282かつては石段だったのだろうか、石がいい感じに散乱している。

kannonji2-2286伝 布施淡路丸の内部へ。周囲が綺麗に石垣で覆われている四角い曲輪だ。まさに家臣の屋敷跡、まるで甲賀の単郭の城館跡のようだ。

kannonji2-2287あまり整備はされていないようにも見受けられるが、石垣はそこそこ残っている。

kannonji2-2290曲輪内には供養塔(墓)と思われる石もあった。

kannonji2-2293比較的きれいに残っている石垣を見てみる。400年経った今でも崩れていない見事な石垣だ。

kannonji2-2295虎口風の石垣の無い場所から、少し身を乗り出して石垣の外側を見てみる。郭の外側は更に草ぼうぼうで進めないが、ぐるりと郭の周囲をとりまいているようだ。

kannonji2-2298比較的見やすい場所もある。案内板が無いのが残念なぐらいの遺構だ。

kannonji2-2300s再び参道へ戻る。ところどころ、観音正寺の教えだろうか、ありがたい文言を書いた木札が建てられている。「責任を負ってこそ自由がある。責任のない自由は許されない」 義務と権利の教え。権利ばかり主張し、やることをやらない人間はダメだということだ。素晴らしい。

kannonji2-2302しばらく進むと、見逃してしまいがちだが、右側に登り口が現れる。ここから入ると、観音寺城の北側の大土塁に沿った曲輪群へと侵入できる。このまま参道を進むと観音正寺 境内へ。

では階段を上がって、城内へ。

kannonji2-2303尾根伝いに曲輪が築かれている。まずはある程度登る。

kannonji2-2307尾根へ出ると、まっすぐと進む。左右はなかなかの高さだ。

kannonji2-2309なお北尾根沿いには「伝 伊庭丸」など縄張図にいくつかの曲輪跡が描かれているが、北尾根沿いの曲輪の内部はほぼ藪化していて、内部の確認は難しい。地図と場所を見比べながら、ここがそうか…と眺めながら通り過ぎる程度になる。

kannonji2-2312あまりこの北尾根沿いの道は整備されていないのだろうか、こんな状態になっている箇所もチラホラ、だった。通行に支障は無いが、大型台風などが通った後はグチャグチャかもしれない。

kannonji2-2313sぐぐっと階段をあがる。縄張図によるとこの上が「伝 馬場丸」跡となる。

kannonji2-2314a-2323「伝 馬場丸」の手前には、城址碑が建っている。少し道を逸れて奥へ入ってみよう。

kannonji2-2316尾根沿いから入ると石碑の裏側へ到達してしまう。これは、こちらから見るのではなく、この下の観音正寺参道から見上げる位置に建てられているからだろう。建てられたのは大正4年。当時はよく下からも見えたのだろうが、現在は残念ながら草木に覆われて参道からこの石碑は殆ど見えない。

kannonji2-2319ぐるっと回りこんで城址碑の前面へ。六角氏の前の本家の名前である佐佐木(佐々木)氏の城ということで「佐々木城址」という名前が彫ってある。佐々木氏は鎌倉時代の源頼朝の挙兵に参加したころからその発展が始まり、その功により近江国の守護職に任ぜられ、以降約400年に渡り近江守護を務めた名門中の名門。佐々木氏はその後4つの分家に別れ、それぞれ高島氏(高島市方面)、大原氏(米原方面)、江北の京極氏(彦根)、そして江南の六角氏(近江八幡)となった。その六角氏の本城だったのが、ここ観音寺城跡である。

kannonji2-2321よく見ると、石碑の右下(木と城の間ぐらい)に「変な顔」が彫ってある。こらーっ。文化財に落書きをするな!

kannonji2-2322a-2318佐々木城址の巨大石碑の前から下を覗く。参道の方を向いて建てられているが、確かに、上からはまったく参道が見えない。ということは、下からも石碑は見えない。

kannonji2-2326sでは城址碑を越えて更に奥へ進んでみよう。

kannonji2-2327伝馬場丸の奥あたりに大きな堀切跡も発見。しかし現地に説明板や看板等が一切ないため、油断すると今自分がどこにいるのかすぐに分からなくなるので要注意。整備が求められる。

kannonji2-2329恐らく今歩いているところは、北尾根沿いに築かれている「大土塁」の上と思われる。北側から直接山を登って攻めてくる敵を想定しての巨大な城壁なのだろうか。少し切られている箇所もいくつかある。詳細は不明。

Part2では、北尾根沿いの巨大石垣群、伝三国丸石垣、伝沢田丸虎口および伝楢崎丸石垣(すべて説明板等無いので勝手に命名)を見ます。

>> 観音寺城 [2/5] へ続く。<<

訪問時期:2014年11月
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