川越城 [2/3] 川越17万石の大名に相応しい威容を誇る本丸御殿!

川越城前回までの川越城 訪問記。

川越といえば「時の鐘」を見て、蔵造りの町並みを堪能してから、札の辻→大手門跡→中ノ門堀跡と城の中央部へと向かってきた。

Part2では本丸御殿へ入ります。


<訪問記>

本丸御殿の前までやってきました。

kawagoe-1700s右奥に見えているのが本丸御殿。その手前に、かつてここにあった本丸門跡の石碑がひっそり佇んでいた。

kawagoe-1701川越城 本丸門跡 石碑。ここから奥が本丸だったというわけだ。今は堀も完全に埋められ土塁も削られ広場と化しているので、まったく遺構は残らない。

kawagoe-1702a-1832本丸門跡を超えて、本丸御殿へ。川越城は天守が建てられなかった(天守代用の富士見櫓が本丸南西端に建てられた)ので、本丸の主役はこの本丸御殿だった。現存御殿 4棟のうちの1つ。残りの3つは 掛川城 二ノ丸御殿、二条城 二ノ丸御殿、高知城 本丸御殿。

kawagoe-1703幕末期に描かれたという川越城図が、本丸御殿前に掲示されていた。二重の堀に囲まれた城だったが現在はほぼ堀は埋められ当時の雰囲気は全く残っていない。本丸御殿が無ければまったく城の雰囲気のない街だったかもしれない。

kawagoe-1703a-1828川越城 本丸御殿 玄関。巨大な唐破風を備えた堂々たる玄関だ。玄関の奥に繋がる建物は広間。当時は広間の奥にもたくさんの建物が繋がっていたが、それらは全て解体され、現在は玄関と広間のみが残る。(移築保存されていた家老詰所が広間奥に再移築されている)

kawagoe-1704川越城 本丸御殿 玄関。金ピカで豪華絢爛な二条城 二の丸御殿の車寄せとは全く異なる、茶色ベースで超巨大な玄関。軒唐破風の下に巨大な屋根がある。

kawagoe-1705a-1814本丸御殿 玄関 正面から。

kawagoe-1705b-1707玄関の左右に伸びている土塀は「櫛形塀 (くしがたべい)」と呼ばれる、 独特の形の格子窓がついた珍しいもの。

kawagoe-1705c-1813では、いざ御殿内へ。当然 土足禁。なお御殿は有料(大人100円)で、入口には一見誰もいないが、入ってすぐ左側に受付がある。100名城スタンプもその受付にあるので忘れずに押していこう。

kawagoe-1706a-1712川越城 本丸御殿 館内案内図。玄関を入ると正面に広間があり、その左右に詰所などがズラリと続く。その周囲を廊下が走っているという、天守や櫓などでも見られるのと同じよくある構造。玄関とそれに続く広間の棟しか現存していないため、この規模感。右上の破線で囲まれた家老詰所は本来は別の場所にあった建物を御殿横に移築している。左上の明治棟はその名の通り明治時代(県庁舎時代)に造られたもの。

kawagoe-1710観覧ルートは玄関入って左回り。最後に広間を見る形となる。まずは「使番詰所」。使番とは伝令や使者のこと。ちなみに各部屋は廊下からも入れるが、部屋同士もフスマや杉戸で繋がっているようだ。

kawagoe-1713隣の「番拔 老体 詰所」。さっきの「使番詰所」より狭い。

kawagoe-1714一番端っこの「物頭詰所」。物頭とは、足軽大将のこと。

kawagoe-1715s各部屋を取り囲む廊下。結構幅広、さすがは本丸御殿という雰囲気。座敷の建具は杉戸・フスマだが、廊下に面した部分は障子になっている。なおパンフによると、ここ東側廊下と反対の西側廊下とでは床板材が異なるそうで(東はケヤキ、西はツガ・マツ)、御殿内の公的空間と私的空間とを区別して材種を変えたと考えられるとのことだ。へえ〜。

kawagoe-1719a-1727廊下をぐるっと回って、明治棟内にあった「第一展示室」へ。ここには本丸御殿の保存修理工事(H20〜22)の様子などが展示されている。

kawagoe-1723建築当時の本丸御殿の屋根の下地。御殿などでよく見られる、非常に緩やかなカーブを描く美しい屋根は、こうして薄く短冊状に切った木板を何枚も何枚を重ねていく、めちゃくちゃ手間が掛かる仕様になっている。木造復元工事が進む名古屋城本丸御殿でもこの屋根を作っていた。

kawagoe-1724葵の御紋が入った鬼瓦。修理で取り外された、オリジナルのもの。

kawagoe-1726また明治棟の屋根裏には、かつて広間の南側にあり取り壊された「大書院」の部材の一部が使われていることが分かり、それが下から見られるように一部の天井板を透明パネルにしている… のだが、そのパネルが極限まで汚れていて全く中が見えない。なんだこれ。

kawagoe-1730では明治棟を出て、再度本丸御殿広間へ。なお御殿の南側(写真右)は庭園になっているが、当時は隣接して大書院が建っていたので、江戸時代の庭園ではない。

kawagoe-1733廊下 西側。先ほど見た床材の違いについては… 言われないと気付かないレベル。

kawagoe-1737東側からも見た「番拔 老体 詰所」。なお座敷同士の間仕切りは一般的には「ふすま」だったことが多く、ここではめられている杉戸は「廊下の間仕切り」で使われることが多かったそうで、現在は間仕切りのない廊下に、当時はこの杉戸が間仕切りとして嵌めこまれていたのではないかとする説もあるとか。

kawagoe-1738西へ少し伸びた場所にある「坊主当番詰」へ。ここは第二展示室となっており、中に入れる。

kawagoe-1739坊主当番詰、第二展示室。パネル展示が主だ。なお正面のカラフルなパネルは「日本100名城」の全スタンプ画像。他の100名城では見かけないこのパネル、川越城本丸御殿スタッフの自前収集によるものかもしれない。

kawagoe-1740川越城本丸御殿 説明板。幕末 1848年に竣工した本丸御殿は、川越藩17万石に相応しい威容を誇るものになったとか。城主との接見場所だった「大書院」も残しておいて欲しかった。(丹波国 篠山城では忠実に復元された大書院がある)

kawagoe-1741川越城 本丸御殿 年表。幕末の1848年に建てられるも20年後には大政奉還で幕府終了、御殿を含む川越城は新政府のものとなり、次々と解体。御殿の玄関および広間のみ川越県庁舎として使われることとなり解体は免れた。その後 県庁が移動すると、御殿は中学校、タバコ工場、武道場、青年学校、屋内運動場、などなど紆余曲折を経て、1967年になってやっと有形文化財となり、本丸御殿として補修保存された。

kawagoe-1742本丸御殿全図と、現存部分(赤線)。殆ど残っていない。一番上の赤線部が「家老詰所」で、当時はこの絵の通り広間から長い廊下を通った先にあったが、現在は広間に隣接する形で移築保存されている。なお、御殿に最初にやってきたときに見た「本丸門」は、絵図右端の土塁(石垣?)が少し開けられている場所。

kawagoe-1743釘隠し。明治4年に解体された本丸御殿の建物のどこかに使われていた現物という。

kawagoe-1746坊主当番詰と西側廊下、家老詰所の間のスペースに造られた庭園。当時の絵図(2枚上の写真参照)を見てもここは空白スペースになっているので、当時から庭園だった可能性もある。ただし南側の大書院跡も同じような庭園になっているので、本丸御殿修復後のものかもしれない。

kawagoe-1751s短い仮設廊下を通って、家老詰所の建物へ行くことが出来る。なお家老詰所は先ほど古絵図で見たとおりここにあったのではなく、元々は(写真左側に伸びていた)長い廊下の先にあった。

kawagoe-1752a-1749家老詰所への廊下 説明パネル。廊下が設置されていた場所は現在も丸瓦でその柱の位置を示してるという。

kawagoe-1752b-1748家老詰所前 庭園。確かに丸瓦が奥に伸びているのが分かる。ここからも分かる通り当時はここはこんな庭ではなかった。

kawagoe-1753sでは家老詰所へ。縁側が気持ちよさそうだ。

kawagoe-1754家老詰所 案内図。藩の政治を取り仕切った家老たちの仕事場だ。廃城後、家老詰所は一旦ふじみ野市の商家に移築されていたが、昭和62年になってそれが家老詰所の移築保存だと判明し、ここに戻されたという。素晴らしい。

kawagoe-1755奥の廊下。廊下だが、畳敷き。

kawagoe-1756s記録方詰所。

kawagoe-1767二之間。奥に誰か居るぞ!

kawagoe-1768川越藩と江戸湾警備 説明。ペリー黒船来航で、品川台場が建設され、江戸湾の警備が強化された。川越藩はその品川台場の第一・第二・第五を担当させられたとかで(下のピンクに塗ってある場所に「品川臺場第一番 川越藩」と書いてある)、それを家老たちが家老詰所で話し合う様子を再現したものだとか。

kawagoe-1771品川台場の警備計画について検討する川越藩家老たち。なかなかにリアルだ。よく見ると広げられた図面にも品川台場の形が描かれている。

kawagoe-1776家老詰所の縁側へ。

kawagoe-1777a-1757大廊下があった場所は、現在は庭園化されている。

kawagoe-1777b-1764家老詰所の縁側から、本丸御殿広間の屋根瓦が近くで見える。軒丸瓦も鬼瓦も、葵の御紋!

Part3では本丸御殿の残りの部屋を見てから、向かいにある川越市立博物館へ。その後、本丸南西端にあった代用天守の富士見櫓跡を見に行きます。

>> 川越城 [3/3] へ続く。<<

訪問時期:2015年3月
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川越城 [2/3] 川越17万石の大名に相応しい威容を誇る本丸御殿!” への1件のフィードバック

  1. 1985年に熊本の八代城に行った時には、本丸の少し先に移築された本丸御殿の一部が辛うじて残っていました。かなり痛んでいましたが、車寄せも残されていました。ただ、建具は外されて粗末なガラス戸に変えられて、あのあたり選出のモト文部大臣の事務所として使われているようでした。その後、石油ストーブの失火で消失してしまったと聞いています。文部大臣と云えば文化庁の親分のはずですが、本丸御殿は文化財であるという意識がなかったのでしょうね。
    佐伯城には櫓門が残っていますが、1960年代まではあの後方に御殿の一部が残っていました。現在は撤去されて代わりに鉄筋の公共建造物が立っていますが、櫓門と車寄せ、御殿のセットの方がずっと城下町の雰囲気に似合っていることでしょうに。

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