川越城 [1/3] 御城に行く前に、”小江戸” 川越の街を散策。

川越城は、室町時代に関東管領を担った上杉家の庶流「扇谷[おうぎがやつ]上杉氏」の家臣 太田道灌[おおたどうかん] (初期の江戸城を築城したことでも有名) が1457年に築城したのが始まりとされる。16世紀になると川越城は小田原を拠点とする後北条氏の支配下となる。その後 豊臣秀吉による小田原征伐で武蔵国が徳川家康の所領となると、江戸に近い川越城には徳川家の有力大名が置かれた。天守は無く御殿と櫓から成る平城で、明治になって殆どの建物が解体されたが、本丸御殿の玄関と広間が県庁舎〜中学校として使われたことから解体を免れ、現在に伝わる。

川越城<基本データ>
●名称: 川越城(Wikipedia
●所在: 埼玉県川越市 (マップ)
●築主: 太田道灌 / 松平信綱
●築城: 長禄元年(1457) / 寛永16年(1639)
●遺構: 本丸御殿、空堀、曲輪跡、櫓台跡
●関連: 川越観光サイト川越城本丸御殿


<訪問記>

JR川越駅より巡回バスで数分。川越は「小江戸(CO-EDO)」として売りだしており、その町並みもまた魅力のひとつ。札の辻 で降りて、しばらく町並みを歩きながら城跡へと向かおう。

kawagoe-1640sやはり川越といえば「時の鐘」。札の辻 交差点から少し中に入ると、巨大な塔が建っている。遠くから見ると意外と小さく見えるが、近くまで行くと、道が細いこともあり、結構デカイ。写真スポットのため、人が絶えない。これ以上近寄ると、普通のレンズでは収まらない。

kawagoe-1641a-1661sということで超広角レンズでもっと近寄って撮影。時の鐘の下を潜って奥へ行けるようだ。

kawagoe-1642a-1658時の鐘 正面より。左右には古い雰囲気の商店が建ち並ぶ。

kawagoe-1650では時の鐘を潜って奥へ行ってみよう。

kawagoe-1651時の鐘・薬師神社 説明板。時の鐘は江戸初期に川越城主だった酒井忠勝が建設したとされるが焼失、現在は明治27年に再建されたもの。高さ16m。時の鐘の奥には薬師神社がある。お参りしていこう。

kawagoe-1653時の鐘を裏側から。鐘を突く棒が見える。現在は以前のように「鐘つき守り」が登って突いているのではなく、機械仕掛により1日4回 自動で鳴らされているとか。

kawagoe-1664s時の鐘から蔵造りの町並みへ。離れててもこの存在感。

kawagoe-1668s車道へ出ると、そこは蔵造りの町並みと言われる通りになっている。まさに、蔵蔵蔵!少し奥には駄菓子屋が並ぶ菓子屋横丁という有名な場所もある。

kawagoe-1670蔵造りの町並みには、重文級の古い住宅も立ち並ぶ。重要文化財 大澤家住宅。1792年に建てられた旧呉服問屋(それっぽい!)の店舗で、川越にある最古の蔵造りだとか。現在は小松屋という民芸品販売店。

kawagoe-1682ちょうどお昼時。これまた登録有形文化財の「モダン亭 太陽軒」で、ハイカラな洋食ランチを頂く。色漆喰のモダンなこの建物は、昭和4年造。角っこから入るのかと思いきや、ここは封鎖されてて、左側のアーチから入店。二階は御座敷だとか。

kawagoe-1683そろそろ御城へ。まずは蔵造りの町並みへ戻り、その名も「札の辻」交差点を左へ。札の辻とは全国の城下町にかつて存在した、高札(=札)が掲げられた交差点(=辻)のこと。江戸時代までの一般市民向けの法律掲示板だ。

kawagoe-1685札の辻交差点には、かつて高札場があったであろう場所が、ちょっとした広場になっていた。右側の黒い穴の開いた標柱にここが高札場であったことを示す説明が書いてあった。ここがまさに川越の街の中心だったらしく「江戸の日本橋の如し」と三芳野名勝図会には書いてあるそうな。

kawagoe-1686s札の辻から少し東へ。「市役所前」交差点へ。ここは手元の地図によると、川越城の旧大手門があった場所だ。城はこの奥にあたる。付近に何かないかと探してみると…

kawagoe-1687市役所の前に「川越城大手門跡」という石碑と、その奥に川越城を築城した「太田道灌公」の銅像が建っていた… のだが、あいにく庁舎が工事中でこんな有り様。もうちょっと何とかならんかったかと思ったけど、完全に塞がれてしまうより透明パネルで見えるようにしてくれただけマシと思おう。

kawagoe-1688太田道灌公 銅像。銅像の台座に何か書いてあるが遠すぎて読めない。そもそも銅像の周囲が植樹されてて、工事中じゃなくても読みに行けないのでは?

kawagoe-1689なんとか正面に回りこんでズームで撮影。太田道灌公像。

kawagoe-1690大手門跡を越えて更に東へ。道の向こう側に冠木門が見える。

kawagoe-1691a-1697川越城中ノ門堀跡と書かれた案内板が上がっている。

kawagoe-1693川越城と中ノ門堀 説明板。現在わずかに残る川越城の遺構は、太田道灌築城時の設備ではなく、すべて江戸初期に松平信綱が川越藩主となった際に築いたもの。中ノ門は右下図のような2階建ての櫓門で、ここにその門に並行して掘られていた「中ノ門堀」が保存整備されているという。

kawagoe-1694中ノ門堀のしくみ 説明板。大手門から東西に伸びる大手道は、中ノ門堀を含む3本の堀に阻まれ4回曲がらされる「食い違い虎口」を形成していた。ここはその三段の堀のうち最も本丸側に掘られた堀で、何とこの街中にも関わらず現存。平成20−21年度に整備したという。堀の斜面の角度が、本丸側と大手門側とで異なることがポイントだとか。

kawagoe-1696中ノ門堀跡。思ったよりバッチリ残っている。向こう側の土塀(これはさすがに復元か)がある側が本丸側。手前が大手門側で、攻め手は大手門側(外側)からやってきて、堀を降りていくと、向こう側は急すぎて登れない!そうこうしている内に上の土塀に造られた鉄砲狭間から蜂の巣にされる、という仕組み。しかし江戸期川越城が戦いの場になることは、無かった。(川越藩は維新時、新政府に恭順)

Part2では本丸御殿へ。

>> 川越城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2015年3月
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