八王子城 [3/5] 往時の姿に復元された見事な御主殿虎口へ。

八王子城前回までの八王子城 訪問記。

現地ガイドさんと一緒に御主殿跡へ。御主殿跡の奥に残るという「殿の道」を登りましょうと言うとNG回答。HPにはガイド同行のみOKと書いてあるのに〜。仕方なく入口の石垣だけチラ見して、後日再挑戦を誓い、御主殿跡へ戻った。


<訪問記>

hachioji-1436御主殿跡からは、会所・主殿跡の他に、池を中心とした巨大な庭園跡が山側に見つかっている。しかし全容がわからなかったため、そのまま埋め戻されたとか。

hachioji-1438会所の真裏にあたる場所の庭園跡。枯山水か。これも平面復元。

hachioji-1442主殿裏あたり。掘立建物や溝跡、塀跡などが見つかっている。

hachioji-1443御主殿跡の整備について。平成4・5年度、25年度と3ヵ年に渡って発掘調査を行ったようだが、まだ全容解明には至っていない模様だ。なお発掘調査がなされたのはこの「居館地区」のみで、山上の「要害地区」はまったくの手付かず。

hachioji-1445御主殿跡では様々な生活用具や武器類(矢尻や鉄砲玉など。八王子城の戦いの際、ここ御主殿跡でも銃撃戦があったことを示す)が出土している。その中でもひときわ珍しいのが写真の「ベネチアレースガラス器」片。時は戦国時代末期、当時の日本の中心だった京都から遠く離れた関東のイチ戦国大名に過ぎない北条家が、なぜ希少価値の高いヨーロッパのベネチアンガラスを持っていたのか? ガイド氏の話によると、当時こんな高級品を多数持つことが出来たのは「織田信長」ぐらいで、信長存命時に同盟(対武田包囲のため、信長は徳川・北条と同盟関係を結んでいた)を通じて信長よりこのベネチアンガラスを入手していたのではないか、とのこと。

hachioji-1450a-1484では御主殿跡の東にある冠木門(想定復元)から、曳橋へと繋がる虎口跡を訪ねてみよう。

hachioji-1451冠木門。発掘調査に伴う厳密な復元ではなく、当時の雰囲気をイメージして再現したもの、とか。

hachioji-1452a-1482冠木門を超えると、巨大な折れ曲がった石段が御主殿跡の土塁の下まで続いていた。これはすごい。

hachioji-1455地面も周囲も全て石で形作られた巨大な石段。なおこれは発掘調査に伴い出土した現物をなるべくそのまま使って忠実に復元したもの。崩壊していた部分は適宜直されているとのことだ。パッと見た目では分かりづらいが、一段一段が高く、また幅広で、実に歩きづらい。お城好きにはたまらない階段だ。

hachioji-1458石段の中段ぐらいにはちょっとした広場がある。ここに虎口を守る門が建っていた。

hachioji-1458a-1456櫓門跡 説明碑。この踊り場から4つの巨大な礎石が見つかっている。櫓門であったかは遺構からはわからなかったが、場所的にそうではなかったかと想定されているようだ。礎石、石組側溝、石垣や敷石は、残っていたものはそのまま使っている。

hachioji-1456発掘調査時に撮られた「検出時の踊り場」写真アップ。400年掛けて降り積もった土の下から、これだけの石畳・石段・石垣が出てきたようだ。石畳および石段はほぼそのまま残っている印象だが、石垣は崩れている場所が多い。

hachioji-1458b-1462踊り場に現物展示されている、櫓門と思われる巨大な城門の礎石。

hachioji-1459踊り場から更に下を見る。向こうには大手道と、そこへ渡るための曳橋(現在は撤去中のため土台のみ)が見える。

hachioji-1464石段最下部。御主殿土台の隅部石垣には巨大な石が埋め込まれている。戦国末期ではあるが、いわゆる「織豊系」(信長〜秀吉の流れを組む築城スタイル) ではない八王子城、石垣の積み方もそれとは異なる独特の技術を使用している。一節では、信長の安土城を「参考」に、見よう見まね?で石造りの城を築いたとされている。

hachioji-1465a-1463石段最下部あたりには「御主殿虎口」説明碑が建つ。守りやすく、攻めにくい、コの字型に折れ曲がった階段通路が構築されていることが特徴で、石段は各段が奥行き1m、高さが36cmという、非常に歩きづらい(=攻め手が走りにくい)形になっている。

hachioji-1466虎口は大きいが道幅が狭く、全景が見づらい。超広角レンズで無理やり全景を撮影。こうして見ると、急カーブぶりが分かる。

hachioji-1468直線部を奥へ。左側の石垣の下は先ほど通ってきた林道、恐らく当時は城山川だっただろう。曳橋を通ってくる敵を迎え撃つための土塀(あるいは長屋)が石垣の上に築かれていたのだろう、石垣の上にあがるための石段(雁木)も復元されている。

hachioji-1473直線部の奥の壁。左側の石垣は、発掘時に崩れずそのまま残っていた唯一の石垣らしく、これは現物そのままですという説明がされていた。右側は崩れていたので復元。

hachioji-1474a-1469地区上棟時の石垣 説明板。「検出した石垣」の写真にも石垣がバッチリ残っていることが分かる。「北条積み」は、石材の隙間に小石をたくさん詰め込んで強度を増し、また勾配が急なことが特徴だとか。また復元されているので今は見えないが、石垣の裏側にもいわゆる「栗石」が大量に入れられているという。

hachioji-1475a-1471虎口の出口にあたる、城山川を渡って大手道へとつながる「曳橋」跡。H28.3以降を予定している新曳橋が完成したら、先ほどの「殿の道」再チャレンジも含めて、八王子城へ再訪したい。

hachioji-1477ここからは林道へ戻れないので、再度虎口を通って御主殿跡へ戻る。ここ八王子城の石垣は、砂岩と呼ばれる石で、この山で取れるものだとか。叩き割ったような尖った石をそのまま布積みのごとく積み上げていることが特徴。

hachioji-1478石段 最下段より見上げる。これがこの御主殿の入口、まさに玄関に至る道にあたる。すごい迫力。

hachioji-1486御主殿跡へ戻ってきた。このまま林道へ戻って引き返すのかと思いきや、ガイド氏は「ガイド同行時のみ通行可能な道」へ案内してくれた。

hachioji-1488地図によると、御主殿跡から大手門までの間に山麓側に築かれた各曲輪群を通って行くルートのようだ。道が崩壊気味で、案内等もないことから、ガイド同行のみ通行可としている模様。道は、巨大な堀切(右下の凹み)を迂回するように進んでいく。

hachioji-1495曲輪の周囲を囲むように掘られた堀切。先端部には見張り台などが建っていたか。お見事。

hachioji-1498アシダ曲輪。発掘調査されていないためか、一面は芝生。御主殿跡も発掘前はこのような状態だったとか。

hachioji-1500山下曲輪。祠のようなものが建っている。

hachioji-1501山下曲輪内には、瓦片のようなものが散乱していた。当時は瓦葺きの建物が建っていたという証拠かも。(八王子城跡は江戸時代は幕府直轄領、明治以降は国有林だったため、建物や畑化はされなかった経緯があるという。ただし戦時中のみ木々の伐採はあった)

hachioji-1502山下曲輪 下の段。曲輪の両端に土塁らしき土の盛り上がりが認められる。

hachioji-1509s山下曲輪から更に下に降りると、最初に通った林道へつながった。そこからすぐに管理棟へ戻ってきた。現地ガイド氏の同行はここまで。歴史的な経緯やベネチアンガラスの話など、興味深い話も多く楽しめた。おつかれさまでした。 殿の道は次回挑戦します。

hachioji-1510帰りに気付いた「史蹟 八王子城跡」碑。史蹟の文字が古いので戦前の碑だ。八王子城跡には城跡碑が多い。

Part4からは、管理棟横の登城路から、山上の本丸跡へ向かいます。

>> 八王子城 [4/5] へ続く。<<

訪問時期:2015年3月
– – – – – – – –
城めぐり関連ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ!

このブログは果たして何位でしょうか? (=゚ω゚)ノ

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中