八王子城 [2/5] 戦国時代の石垣が残る「殿の道」をチラ見。

八王子城前回までの八王子城 訪問記。

JR高尾駅からバスで霊園前へ。徒歩15分の緩やかな坂道を登るとガイダンス施設へ到着。そこでパンフや縄張図等を入手して、まずは無料ガイドさんと一緒に御主殿跡へ。大手門跡に残る大手道沿いの堀切などを見る。うーん山城。


<訪問記>

では大手門跡を越えて、いよいよ御主殿跡へ。

hachioji-1370訪問時点(2015.3)では、大手道から御主殿跡へと川を渡るための曳橋が工事中のため撤去されていた。そのため大手道から御主殿跡への当時のルートは辿れず、川の横に近年通された林道沿いに御主殿へと向かう。なお当時のガイドさんの話によると財政難で未定と仰っていたが、HPを見ると2016年3月に新曳橋が完成予定とのことだ。

hachioji-1371曳橋の下へ到着。この上を本来は曳橋が通っている。現在は橋の土台および橋から御主殿まで続く虎口を形成する石垣が見られる。彦根城の内堀石垣と同じ感じの、腰巻石垣と鉢巻石垣、その間に斜めになった犬走りがあるという様相だ。なおこのあたりの石垣は、ごく一部をのぞいてほとんどが発掘調査後の積み直しという。

hachioji-1372s曳橋台、大手道側。橋が無いので渡れない…と思っていたが、よく見ると、土台の左側には階段があるし、右側の斜面も何だか降りれそうな雰囲気。

hachioji-1373大手道側 曳橋台を正面から。

hachioji-1374御主殿側 曳橋台。なお林道敷設時に御主殿側の石垣(西側)が壊されたらしく、曳橋が架かっていた場所も往時より少し東に移動しているとか。H28予定の新設工事でそれが直されるのかどうか。

hachioji-1376では曳橋台を後にして更に少し奥へ。ここには落城時の悲話が伝わる御主殿の滝がある。御主殿の滝はこの下の川沿いで、降り口のところに看板と供養塔が建つ。

hachioji-1377御主殿の滝 説明板。落城時、御主殿に残っていた女子たちがここで自刃し、滝に身を投げたという言い伝えが残る。川の水は三日三晩その血で赤く染まったとか。霊感の強い人は訪れない方が良いかもしれない。

hachioji-1378では御主殿の滝へと降りてみよう。看板のすぐ左側の斜面から滝の正面まで降りることが出来る。

hachioji-1385御主殿の滝。それほど大きい滝ではないので、滝壺に身を投げたというよりは、滝を中心とした城山川一帯に身を投げた、ということかもしれない。

hachioji-1389御主殿の滝付近では、毎年落城の日に合わせて戦没者供養のお祭りが行われているという。供養塔の側には真新しい卒塔婆が掛けてあり、美しい花が供えられていた。合掌。

hachioji-1391では曳橋横の坂道から、御主殿跡へと上がろう。

hachioji-1392坂道沿いにはこの通り御主殿の周囲を囲んでいたと思われる石垣の跡も残る。往時はこの坂は無く、全体が石垣で囲まれた巨大な土台だったのだろう。

hachioji-1394坂道の上は巨大な削平地となっている。ここに、城主 北条氏照公およびその家族らが住んでいた御主殿と呼ばれる居館が建っていた。古絵図のとおり、発掘調査でもその痕跡が出てきているという。現在は発掘で出土した礎石等は埋め戻され、礎石のあった場所や土台等を平面復元している。

hachioji-1395御主殿跡の周囲(城山川側)は高い土塁で囲まれている。土塁の上に植樹がなされていることから、これも整備による復元と思われる。

hachioji-1395a-1393御主殿跡。奥に床面のみ平面復元された館跡が見える。右奥は庭園跡。

hachioji-1396会所跡。正確な建物構造を記す古文書などが無いことから、発掘調査で出土した礎石群から判明する床面までの復元。適当な想像の産物を造られるよりかは断然良い。

hachioji-1403御主殿跡の散策は後ほど。まずは御主殿跡の最奥部にある、通称「殿の道」と呼ばれる、御主殿から山上の詰城へ直接上がることが出来る急峻な山道を見てみたい。今回ガイドさんをお願いしたのはこの殿の道を案内して貰いたかったからなのだが(HPに「ガイドの案内無しに入るのはNG」と書いてあるため)、なんとガイド氏が居ても通行NGと言われてしまった。同行者も居たため、今回は諦めるも、何とか殿の道の入口ぐらいは見たいと直訴し、一番下の段の石垣まで案内してもらうことに。写真の場所が「殿の道」入口。特に看板は無いが、左側の木に立てかけてある「マムシ注意」の立て看板が目印か。

hachioji-1406「殿の道」へ。城主や重臣のみが通ることが許される秘密の道だからか、非常に細く急峻。足元も固められていたりはせず、ただ石がゴロゴロしている。ただし未整備の山城よりは断然マシ。どんどん進む。

hachioji-14072−3分進むと、イキナリ眼前に石垣の壁が現れる!これが「殿の道」名物、修復等一切なされていない「戦国時代の石垣」そのものだ。石垣の左右を蛇行しながら山頂の本丸近くまで続いているとのことだが、今回はガイド氏に「ここで待ってるのでちょっとだけ見に行って下さい」と釘を刺されてしまったので、二段ほどだけ見に行くことに。

hachioji-1408殿の道 最下段の石垣。三段ほどの低い石垣が横長に道を遮るかのごとく築かれている。石垣の間には犬走り的な細い道があるので、そこを通って蛇行しながら上へ。

hachioji-1411少し登ってから石垣の壁を見る。なお八王子城の戦いの際、城主 北条氏照公は小田原城に詰めていたのでここにはおらず、城番だった家臣たちがこの「殿の道」を戦時に使ったのかは定かではない。

hachioji-1412約425年前に廃城となってから、ずっと佇み続けた「殿の道」の石垣。木の根っこが石垣の上に露出しているところを見ると、当時はもう2〜3段積み上げられていたのかもしれない。

hachioji-1413もう1段上へ上がってみよう。少しナダラカな斜面の向こうに、また石垣の壁が見える。

hachioji-1415「殿の道」下から二段目の石垣。破却されたかの如くの石垣の崩れっぷりが、負けた大名の城を物語っている。

hachioji-1416二段目の上へ登る、登り口。当時は石段が築かれていたのかもしれない。

hachioji-1419更に崩壊度合いは増していく。地図によると殿の道は七曲りの様相で何度も何度も曲がりくねりながら「山王台」を経由して本丸直下の「中の曲輪」 へと続く模様。恐らくこんな石垣がまだ何段も残っているのだろう。下で待つガイド氏の呼ぶ声が聞こえる。今回は涙を飲んで、殿の道散策はここまでとしよう。リベンジを誓い、殿の道を後にする。

hachioji-1428殿の道から御主殿跡へ戻る。会所跡を見てみよう。

hachioji-1430会所前に復元されている「道路状遺構」。水路と石列によって奥へと続く道が作られたいた。

hachioji-1432「敷石通路」。会所の建物に沿って、20m弱の石畳の道が出土している。石が抜けているところは溝跡という。道ではなく、何かの儀式用に使うための特別な場所だったのではないか、という説もあるとか。

hachioji-1435主殿跡。こちらは床面復元はされず、礎石群のみが平面復元(つまり本物は地中に埋め戻し保存で、これはダミーの石)されている。かなり巨大な館が建っていたようだ。

Part3では主殿跡の奥で見つかった池水庭園跡や、曳橋から御主殿エリアへと続く通路上に復元された虎口を見に行きます。

>> 八王子城 [3/5] へ続く。<<

訪問時期:2015年3月
– – – – – – – –
城めぐり関連ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ!

このブログは果たして何位でしょうか? (=゚ω゚)ノ

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中