関東の雄 後北条氏の重臣 北条氏照が天正年間(1582頃?)に築いた山城。山麓に立派な御殿と、急峻な山頂に詰城を持つ堅固な山城だったが、未完成のまま1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐が勃発、豊臣方の上杉景勝隊・前田利家隊に攻められ落城した。この落城により後北条氏本城である小田原城は開城、豊臣秀吉の天下統一が成立した。そのため八王子城は「戦国時代最後の戦い」とも言われる。
<基本データ>
●名称: 八王子城(Wikipedia)
●所在: 東京都八王子市 (マップ)
●築主: 北条氏照(Wikipedia)
●築城: 天正10年(1582年)頃
●遺構: 石垣、空堀、曲輪跡、御主殿跡
●関連: 八王子市HP、八王子城ガイドの会HP
<訪問記>
JR高尾駅からバスで10分ほどのバス停より、更に徒歩で15分ほど奥へ。
道沿いに、巨大な「八王子城跡案内図」が見えてきた。
八王子城跡案内図。このまま道に沿ってまっすぐ行けば管理棟へ、その左側が「御主殿跡」、右側に進めば「本丸跡」(山の上) のようだ。その手前には城主「北条氏照公のお墓」がある模様。更に何故か描いていないが、駐車場の手前にはガイド設備がある。なお地図上の赤い線は道ではなく「史跡範囲」を示している。紛らわしいし、そもそも案内図に史跡範囲を示す必要はない。
石畳の道を真っ直ぐ進む。微妙に上り坂になっている。しばらく登ると「→ 北条氏照および家臣墓」という標柱が出てきた。
道を逸れて、北条氏照公のお墓を参拝しよう。
しばらく進むと、墓がある山上へ上がる長い階段が現れる。
山上へ。広い曲輪の奥に墓石が並んでいる。
武州八王子城城主 北条氏照公の墓。
北条氏照及び家臣墓 説明板。八王子城を築き城主となるも、八王子城の戦いの際は小田原城に詰めており、家臣が守る八王子城は落城。その後 小田原城は黒田官兵衛らの交渉により無血開城、氏照は兄(前当主)の氏政とともに切腹処分となった。墓と書いてあるが、実際は100年忌の際に家臣子孫が建てた供養塔だ。
供養塔の裏には、元禄二年(1689年)と刻まれている。北條陸奥守氏照公。
氏照公の供養塔から登城路へ戻り、更に奥へ進むと、右手に近代的な建物が見えてくる。八王子城跡ガイダンス施設だ。八王子の八から、八角形をしているとか。
八王子城跡ガイダンス施設の内部。パネル展示やムービー上映、ジオラマや出土品の展示など、八王子城の予習が出来る施設になっている。半分は休憩施設。パンフや詳細縄張図なども配布しているので忘れずに貰っていこう。また100名城スタンプも館内に設置している。
展示物は現地で見ていただくとして、ガイダンス施設から城内への簡易マップを紹介。なおガイダンス施設前にもバス停はあるが土日のみ運航。平日は右端に書かれているバス停「霊園前」から15分ほど歩くことになる。
ガイダンス施設を出て、城跡へ向かう。日本百名城に指定された記念に建てられた城跡碑。八王子城は城跡碑が多い。
しばらく進むと管理棟の前へ。タイル貼りの史跡碑の右奥に見えるのが管理棟、ガイドボランティアを頼む場合はここを訪れよう。
管理棟の前には幾つかのタイル説明板が設置されている。情報量が多いので抜粋して紹介。まずは八王子城の概要。
秀吉の小田原征伐直前の、後北条氏の勢力範囲。まさに関東一円。いずれはここに掲載されている山城群をめぐる「後北条氏ゆかりの城めぐり」を敢行したい。
八王子城の縄張。山上の「要害地区」、山麓の「居館地区」、川の下流には「根小屋地区」(バス停からガイダンス施設あたり) が広がる。
巨大なタイル案内図。これで訪問先の大体の位置関係を掴んでおこう。
ではまず居館地区・御主殿跡へ。ここからは管理棟に居らっしゃったガイドさんにご案内頂いた。
管理棟から御主殿跡方面へ向かうと、さっそく巨大な堀切が居館エリアを守るかのように掘られていた。
巨大な土塁の脇道を歩いて行く。道の左側は「城山川」。
山下曲輪跡は私有地のため立入禁止となっている。石段は近年の改変だが、土塁や、土塁の周囲にわずかに残る石積みなどは、当時の遺構かもしれないとのこと。
このまままっすぐ行くと御主殿跡へたどり着くが、今歩いているこの道は近年作られた林道で、当時は城山川の向こう側に大手道が通っていたという。ここから大手道方面へ行ってみよう。
大手門前広場へ。正面の階段の上、右側の橋が架かっているあたりが旧大手道だ。
階段の上へ。ここはかつての大手門跡という。正面の封鎖されているあたりから、発掘調査にて門跡が出てきたとか。なお大手門跡より先は立入禁止になっていた。
大手の門跡 説明板。薬医門形式の礎石や敷石が見つかったそうだが、現在は埋め戻されたのか、確認できなかった。
大手門跡前から、大手道の先を見る。目前の橋が架かっているところは尾根を分断した堀切となっている。土橋等は無いので、当時も木の橋が架かっていたのだろう。
大手道の堀切、上面。
大手道の堀切、下面。
このまま大手道を進むと、本来は城山川を巨大な曳橋で渡って御主殿へ進むことができるのだが、現在は曳橋撤去中(H28新設予定)。このまま大手道を進んでも行き止まりになるというガイドさんの話により、林道経由で御主殿へ向かう。
>> 八王子城 [2/5] へ続く。<<
訪問時期:2015年3月
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