安土城 [5/7] 本丸御殿跡(信長公記で言う”南殿”跡)を散策

安土城前回[4/7] までの安土城訪問記。

巨大石段の大手道から登城。怪しい伝◯◯邸群を経て、黒金門から巨大な二の丸石垣を見る(左写真)。伝二の丸には秀吉による信長公一周忌法要で建てられたと伝わる御廟所が建つ。恐らくここが、信長が生前住んでいたという”殿主”のあった場所だろうか。


織田信長の夢の跡、滋賀県琵琶湖畔の山上に残る「安土城跡」
_↑Travel.jpに寄稿した安土城跡の紹介文です。端的に見どころをまとめました


<訪問記>

いよいよ本丸御殿跡へ。

azuchi-6268a-6263ここが、天主南に位置する本丸御殿跡。今はただ広い曲輪となっている。多くの礎石が発掘出土しているようだが、現在は結構土が積もってしまっているのか、あまり良く見えない(石はゴロゴロしているが御殿の礎石が整然と並ぶような印象ではない)。埋め戻しているのかな?

azuchi-6270本丸跡 説明碑。発掘調査にて、巨大な建物の礎石が整然と並んだ形で多数発見された。信長公記に示される「南殿」跡ではないかと想定されている。また礎石の並びが、後に秀吉が内裏(京都御所)に建立した「清涼殿」と非常に似ていることから、ああいった建物だったのではないかと想定されているとか(参考:京都御所 清涼殿。現在の建物は幕末期に再建されたもの)。また信長公記には、城内 三の門の内には「天皇が行幸される御殿」があり、天主下の白洲から階段を上がると座敷がありその奥に「御幸の間」があった、などの表記があることから、よく言われる「天皇を迎え入れるための場所」だったと比定されている。

azuchi-6272では、本丸御殿跡の伝本丸跡を散策してみよう。中央部には何も残っていないが、周囲には石垣と、東には二箇所の出入口跡(調査はされたようだが現在は封鎖)が残っている。そこを見に行こう。

azuchi-6273まずは本丸北東部の「伝本丸東虎口」へ。巨石を積み上げた高い石垣がそびえている。この奥は「伝台所跡」となる(が立入禁止)。

azuchi-6274伝本丸東虎口。封鎖されている。

azuchi-6275伝本丸東虎口の先。発掘調査はなされたが、その後まったく整備されていないのか、ご覧の有様。

azuchi-6277伝本丸東虎口の虎口内石垣。高さの異なる石垣が連結されていることが分かる。

azuchi-6280伝本丸東虎口から伝本丸内を見る。目の前の石垣を伝って奥へ進むと、伝本丸南虎口へ。

azuchi-6281伝本丸 東端の石垣。この上は伝三ノ丸跡(伝名坂邸跡)となるが、ここも立入禁止。ここの石垣は昭和の修復時に積み直しがなされているそうで、苔むしていない部分がそうかもしれない。

azuchi-6283伝本丸南虎口。ここは虎口の中さえ入れず、入口部で封鎖されてしまっている。遺構が見えているのに、入れないのは、辛い。

azuchi-6284伝本丸南虎口の様子。ここもまったくほったらかしのようだ。発掘調査はされており、伝三ノ丸跡はいびつな五角形で、北東および南東端は高さ10m以上の高石垣を誇るという。見たい!

azuchi-6285伝本丸へ戻ってきた。巨大な御殿(南殿)が建っていて、発掘調査で礎石群がズラリと出てきたそうだが、今はこのとおり腐葉土に覆われていて礎石は見えない。

azuchi-6286伝本丸の南端部には低い石塁の壁が施されている。この向こう側は主郭高石垣となり、その下には伝黒金門跡から伸びる「主郭外周路」となる。

azuchi-6287伝本丸南側 石塁。上には細長い建物(多聞櫓的な)が建てられていたと想定される。

azuchi-6289石塁の上から、伝本丸南側を見下ろす。高石垣になっており、その下には主郭外周路があるハズなのだが、このとおり草ぼうぼうで全くわからない。なぜ立入禁止にしたのだろうか。

azuchi-6292結局 伝本丸周辺は、伝本丸内部と、天主台へ向かう方面しかまともに整備されていないことが分かり、モヤモヤしながら天主台へと向かう。伝本丸北部にある石段の上が、伝本丸取付台。

azuchi-6294伝本丸取付台へ登る石段。実際にはこのあたりは建物の内部になっており、登城者は建物の中を通って天主へ向かっていたようだ。

azuchi-6298伝本丸取付台の石垣。炎上で高温で焼かれたのだろう、石垣には焼けた跡が生々しく残る。

azuchi-6300伝天主取付台 上。奥の石段の上が天主台、取付台は天主台の東側周囲を取り巻くように築かれている。発掘調査でL字型の建物跡が見つかったとか。右側の柵の向こうは八角平 方面だが、例によってここもまた立入禁止。

azuchi-6302柵の向こうを望む。「右 八角平」の石碑が悲しい。ちなみに八角平という名称は古絵図には出てこず、伝菅谷邸跡 として記されている。なお八角平の発掘調査はなされていない。

azuchi-6304八角平の現状 遠景。伝本丸取付台より撮影。右奥の緑の壁あたりが八角平、草を刈れば立派な石垣の曲輪が現れると思われる。

azuchi-6305伝本丸取付台上より、伝本丸東虎口を見下ろす。柵からこちら側が急激に藪化。

azuchi-6307伝本丸取付台 石段。

azuchi-6309天主台へ向かう石段の前から、天主台 石垣を見る。安土城の石垣については資料によると、昭和35年および40年〜50年の石垣修復工事によって殆ど積み直されているらしい(つまり「昭和の石垣」)のだが、ここから見える「天主台石垣」および「伝二の丸石垣(伝黒金門から入って正面)」が唯一とも言える、積み直し無しの天正築城当時の石垣という。

azuchi-6310では石段を上がって、いよいよ天主台上へ向かおう。天主への入口は 伝本丸取付台にあるここ一箇所のみで、長く折れ曲がった石段を通って、天主台内部の「石蔵」へと続く。この石段および石段周囲の石垣も崩壊が激しく、現在見られる石垣および石段は、昭和初期の調査時に修復されたものだとか。

azuchi-6313石段の中央部あたりにはその昭和初期の調査整備時に建てられた「天主閣址」の石碑が建つ。ちなみに当時の古文書等には「天主」と書かれており「天主閣」という言葉は存在せず、石碑建立時に作られた言葉のようだ。

Part6では天主台の上へ。

>> 安土城 [6/7] へ続く。<<


訪問時期:2015年6月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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