赤穂城 [7/8] 四十七士の石像がずらりと並ぶ大石神社を参拝しよう。

赤穂城前回 [6/8] までの赤穂城 訪問記。

JR播州赤穂駅より赤穂城へ向かう。息継ぎ井戸を経て、三ノ丸大手門へ。三ノ丸の現存長屋門を見て、二ノ丸門跡、往時の姿を取り戻した本丸大手門へ。大手櫓門内部、本丸御殿跡、天守台、厩口門を経て、二ノ丸南部、西仕切門を見て、南沖櫓、潮見櫓から舟入跡へ。

Part7では大石神社を散策します。


<訪問記>

akou2-4920舟入跡(二ノ丸東側)から歴史博物館を越えて、二ノ丸の北側へと回りこむ。ここには「清水門」があった。

なお清水門跡横にある五棟の蔵のような形をした「赤穂市歴史博物館」(入場料 200円) は、1階が赤穂の塩関連で、御城関連は2階の一部のみ(2階の大半は忠臣蔵)。2階に巨大な赤穂城ジオラマがあるが、館内はジオラマ含め、文化財以外も十把一絡げに全て写真NG。ジオラマがどうしても見たい場合以外は、おすすめしない。ここよりも大石神社にある義士宝物殿の方がオススメ。

akou2-4921清水門の三ノ丸側を見る。石垣の向こうは三ノ丸。この堀は最初に赤穂城にきたときに通った三ノ丸大手門方面へと続いている。

akou2-4922清水門の二ノ丸側。清水門を守る二重櫓が建っていた二ノ丸東北櫓台があるが、石の色具合からして、壊されていたものを復元したものだろう。左端に見える建物は歴史博物館。

akou2-4923二ノ丸(堀の左側)と三ノ丸(堀の右側)を遮る中堀は、実に複雑な形に折れ曲げられている。

akou2-4924 清水門跡。石垣が崩れそう。

akou2-4925清水門跡 説明板。熊見川に通じる門だからか、浅野氏が改易となった際の古文書には「川口門」と書かれているという。門の内側には蔀(しとみ)や柵が設けられていたとあるが、今はまったくその名残は見当たらない。大石内蔵助が退城の際、最後に通った城門であるとのことだ。

akou2-4926清水門跡 北側の石垣。南側の石垣は壊されたのか、石垣は北側のみ。

akou2-4927s清水門跡 南側の様子。看板があるあたりに南側の石垣台があった、はず。ちなみに歴史博物館は五棟の建物の様に見えるが、内部はつながっている。

akou2-4929三ノ丸を西へ。道の左側に、大きな屋敷門と土塀が広がる。「武家屋敷公園」と看板が建っていたが、門は堅く閉じられている。坂田式右衛門の屋敷があった場所だとか。

akou2-4932なぜ公園なのに中に入れないのか?と思ったが、なんと裏側(二ノ丸堀側)は土塀がなく、そのまま入ることが出来た。中は武家屋敷の間取りが平面復元されているが、現地説明等も少なく、中途半端な印象は拭えない。

akou2-4943sそのまま三ノ丸を西進し、三ノ丸西端に鎮座する「大石神社」へ。入口が南側と東側(大石邸長屋門南側)と二箇所があるが、南側から入る。参道の両脇には、四十七士の石像がズラリと並ぶ!

akou2-4944四十七士随一の剣客と言われた、堀部安兵衛像。江戸からの急使、内蔵助への説得、在江戸の同士の取りまとめ役など、討入決行に向けて中心的な役割を果たしたという。

akou2-4945大石内蔵助の息子、大石主税(ちから)。元禄赤穂事件の際はわずか14歳、討入時は16歳だった。

akou2-4946四十七士筆頭、大石内蔵助良雄(よしお、ではなく、よしかつ)。最後まで仇討ちよりも御家再興を目標にし行動していたが、幕府の決定でその願いが潰えたため、討入を決意したという。

akou2-4950a-5015参道の脇にずらりと並ぶ四十七士石像。

akou2-4951大石神社拝殿。忠臣蔵になぞらえて「大願成就」。祀られているのは四十七士と浅野家三代など。

akou2-4951a-4984大石神社境内にある「さざれ石」。国歌君が代にも詠われる。

akou2-4951b-4986境内に建つもう1つの大石内蔵助像。

akou2-4952大石神社境内には、拝殿の他に、義士宝物殿と義士木像館、大石邸庭園がある。全てセットで入場料 400円。個人的にかなりオススメのスポット。時間が許せば必ず見ておきたい(ジックリ見ると結構時間かかる)。

akou2-4952a-4983義士宝物殿。立派で由緒ありそうな建物。説明板によると、なんと元は大正時代に神戸の湊川神社に建てられた大楠公の宝物殿だったという。戦後なぜか大石家関連の宝物殿として神門とともにここに移築されたという。

akou2-4953a-4964宝物殿 内部。正面には大石内蔵助公の佩刀が堂々と飾られ、周囲に討入ゆかりのスゴい品々が並ぶ。順番に見ていこう。ちなみに「宝物殿」は「ほうぶつでん」でも「たからものどの」でもなく「ほうもつでん」と読む。

akou2-4960伝 浅野内匠頭の陣笠。違い鷹の羽。

akou2-4961なんと、吉良邸討入時に大石内蔵助公が振りかざしたという「采配」が今に残る。討ち入り後、公儀の沙汰が下りるまでの間に泉岳寺を訪問(藩主 浅野内匠頭の墓前に仇討達成を報告)したことから、その寺の住職等を通じて討入グッズが多く残るようだ。

akou2-4962討入グッズ其之二。討入時に大石内蔵助公が合図のため吹いたと伝わる「呼子鳥笛」。

akou2-4963討入グッズ其之三。軍扇。金箔。

akou2-4966a-4981隣の別館へ。こちらは中央に討入後の両国橋での奉行押し問答ジオラマと、浅野家改易後に赤穂藩主となった森家ゆかりの品々が展示されている。

akou2-4967吉良を討ち、両国橋を渡って撤退する四十七士を、奉行が通行を拒絶するシーン。当時の江戸は夜間外出禁止令が出ており、橋を渡ると城内となることから、奉行は仕事として四十七士の通行を断った。大石らは両国橋を避け、別の橋で隅田川を渡ったという。なぜ別の橋は問題なく渡れたのか? については謎。元禄赤穂事件については事件後も長期間討入メンバーが存命しており、当時の様子を詳細に聞き起こした古文書が残るため、後の「忠臣蔵」で脚色された内容ではなく、討入事件の実態について一度詳細を読んでみようと、大石神社を訪ねて感じた。

akou2-4968a-4980両国橋ジオラマの両国側。橋を渡ろうとする志士たち。

akou2-4973別館は主に森家(浅野家改易後に赤穂藩主となった家)ゆかりの品々が展示されている。森家といえば信長時代から著名人を多く輩出した名家で、浅井朝倉軍との争いの過程で宇佐山城で戦死した信長家臣・森可成、本能寺で戦死した信長小姓・森蘭丸、長久手での徳川軍との戦いで戦死した秀吉家臣・森長可、あの津山城を建てた森忠政などなど、類居に暇がない。そして似たような名前が多くてやや覚えにくい。

akou2-4974森家に伝わる、竜の前立が豪快な変わり兜。

akou2-4988義士木像館の様子。四十七士のリアル木像が静かに並ぶ。

Part8では大石邸の庭園および長屋門へ。

>> 赤穂城 [8/8] へ続く。<<


訪問時期:2015年5月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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