赤穂城 [5/8] 二ノ丸側から複雑に折れ曲がる本丸石垣を見よう。

赤穂城前回 [4/8] までの赤穂城 訪問記。

JR播州赤穂駅より赤穂城へ向かう。息継ぎ井戸を経て、三ノ丸大手門へ。三ノ丸の現存長屋門を見て、二ノ丸門跡、往時の姿を取り戻した本丸大手門から本丸内へ。櫓門内、御殿跡、そして天守台を見学。続いて二ノ丸へ。

Part5では二ノ丸を引き続き散策します。


<訪問記>

akou2-4810二ノ丸 厩口門。再度 本丸の中へ入ってみよう。

akou2-4811厩口門の本丸側。本丸大手一ノ門と同じ高麗門だが、左右に石垣の壁がせり出しているので全く印象が異なる。江戸期に入ってしばらく経ってから造られた城だからか、大手門はかなり堅固に造られているも、裏側(厩口門、刎橋門)の守りが弱いような気がして仕方がない。赤穂城は戦闘を経験していないのでその効果の程は不明。ちなみに「江戸期に建てられた城で、実戦ですぐ落ちた城」というと北海道の松前城が思いつく。正面は堅固な構えだったが、裏手ががら空きだったため、旧幕府軍(土方歳三)の裏手からの攻撃により僅か数時間で落城したという。果たして赤穂城はどうなっただろうか?

akou2-4812厩口門の内側(本丸側)を斜めから見る。防御力はともかく、石垣と門柱のコラボがなかなか美しい。

akou2-4813厩口門の木橋から内堀を見る。よーくみると、湖面の少し上に排水口らしき石垣の穴が開けられている事が分かる。

akou2-4816では内堀に沿って更に南へ向かおう。とはいえ、道に沿って歩いていると、見事な本丸石垣や内堀を見そこねてしまうので、足元に気をつけながら、堀際を歩こう。ちなみにこの先あたりに、二ノ丸を南北で仕切っていた城壁「東仕切門」があったが、現在は撤去されて跡形もない(西仕切門は復元されているのでそちらを見に行く)。

akou2-4818本丸内堀および石垣、東端。櫓台のように見えるが、櫓は建てられておらず、石垣に張り付いた敵を攻撃するための「横矢掛け」の役割を果たしていた。

akou2-4821内堀に沿って進むが、ふと外側を見ると、二ノ丸の周囲にあたる中堀(熊見川)の土塁および石垣の上辺が見えている。少し寄り道をして見に行こう。

akou2-4822二ノ丸土塁の上から石垣の外側を見てみる。北側。現在は幅5mほどの熊見川だが、当時は石垣ギリギリまで流れる巨大な川で、天然の中堀として機能し、そのまま赤穂城南の干潟に連結していた。なお向こうに見える石垣の飛び出た部分には、一重櫓が建っており、その向こうにあった舟入を監視する役割を果たしていた。

akou2-4823二ノ丸土塁の上から南側を見る。古絵図を見ると、川沿いの遊歩道のあたりは当時は川だったが、石垣直下の芝生の部分は陸地(河原?)だった模様。

akou2-4825では再度 二ノ丸へ戻る。内堀に沿って進もう。ここは内堀 南東端。見えないが、この奥あたりに天守台があるあたり。

akou2-4826南東端の角を曲がると、刎橋門の切り込みが見える。ここが本丸南端だ。

akou2-4829本丸の石垣は何度も曲げられている複雑な形をしているが、櫓台は東西南北の四カ所のみに造られていた。そのため、南東端のこの場所(天守台の真裏)には櫓台が、無い。背後だからということなのかもしれないが、ここから攻められるとすぐに天守台だぞ?

akou2-4830本丸内堀南東端より北側を見る。

akou2-4831刎橋門の南側へ。ギリギリまで伸ばされた土橋。ロープや簡易な木板を架けられたらすぐに渡られてしまいそうな距離。よく見ると石垣の切り込み下部は石段のようにもなっている。なお10年ほど前には、ここに木の橋が架けられていた模様(現在は写真のとおり橋はなく、ここから本丸へは行けない)。

akou2-4833刎橋門跡と土橋。刎橋門の古写真がどうやら無いようで、どのような木橋が掛かっていたかは全くの不明という。

akou2-4835二ノ丸の内堀に面したところは、斜面になっている。内堀ギリギリまで寄って写真撮ろうとして、ズルっと滑って堀に落ちないように要注意。この角度だときっと落ちた人居るだろうなあ。

akou2-4836本丸南端の櫓台。櫓は建てられておらず、横矢掛け用の石垣の折れ曲がりだった。よく見ると向かって左上部分の石垣の色や大きさが他と全く異なるので、ここもまた明治期に左上部分のみが壊されていたのだろう。

akou2-4837本丸南端部 遠景。櫓台の石垣は、やはり大規模に色が異なる場所が見られ、修復の跡が伺える。

akou2-4838このまま内堀に沿って北上はせず、南側を見る。

akou2-4839二ノ丸南西側のマップ。ここは城跡というより、花見広場という市民憩いの場として整備されているようだ。広場内部には城遺構としては見るべきものは無さそうだが、その周囲に、水手門、船着場跡、そして櫓台や西仕切門(復元)などが並んでいる。二ノ丸外周に沿って見学しよう。

akou2-4840まずは二ノ丸南端から、当時の赤穂湾(干潟)へ出るための船着場だった「水手門」を見よう。干潟が埋め立てられ船着場や水手門も破壊されていたが、発掘調査で礎石等の遺構が見つかり、復元された。写真左奥に見える石垣が「水手門」だが、その向かいに大きな建物がある。現在は休憩所となっている「米蔵」(復元)だ。

akou2-4842米蔵 説明板。古絵図によると二三棟の米蔵が建っていたそうで、発掘調査で出土した米蔵跡に外観復元した建物を利用して休憩所としているという。

akou2-4843では水手門へ。

akou2-4844水手門、内側から湾方面を見る。

akou2-4845水手門 説明板。南側はヨシ原が広がる干潟で、満潮時には海水が石垣まで迫るレベルだったという。

akou2-4845a-4866足元を見ると、水手門に建っていた四脚門の礎石が残っていた。

akou2-4846水手門より干潟方面を見る。正面の石垣は二ノ丸、そこに突堤が伸びる。木の柵は落ちないようにするための現在の改変だろう。

akou2-4847突堤から先は干潟だが、現在は向こう側が埋め立てられているため、橋が渡されている。

akou2-4848突堤から水手門を見返す。雁木と呼ばれる石段も復元されている。船を留める場所で、突堤の内側にある(突堤は海から来た波で舟が流されたりするのを防ぐための防波堤なので内側に舟を留める)。

akou2-4849現在の水手門外はさながら堀のようになっていて、なんと、黒鳥が2羽、住んでいる。家まである。

akou2-4849a-4855水手門前の堀に住む、黒鳥。たまたま白鳥も飛んできていた(右奥)。大体いつもこのあたりに居るので、登城の際はご挨拶していこう。

>> 赤穂城 [6/8] へ続く。<<


訪問時期:2015年5月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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