赤穂城 [2/8] 二つの現存長屋門と、延々と工事が続く二之丸庭園へ。

赤穂城前回 [1/8] までの赤穂城 訪問記。

JR播州赤穂駅より赤穂城へ向かう。息継ぎ井戸を経て、三ノ丸大手門へ。城址公園へ入らなくても車道から見られる隅櫓は赤穂城の現在の顔だろう。高麗門形式の大手門一ノ門より三ノ丸へ。

Part2では三ノ丸内を散策します。


<訪問記>

三ノ丸 大手枡形を越えて、二ノ丸へ向かう途中にある「現存 武家屋敷群」を見る。

akou2-4670まず最初に見えてくるのは長屋門。入場無料だが、まずは門横にある説明板を見よう。

akou2-4671近藤源八宅跡 長屋門。近藤源八は、山鹿素行とともに、赤穂城の縄張り(設計)を行った人物。ここは源八の屋敷の入口にあった「長屋門」の更に端っこ部分(上記説明板下部の緑部分)で、長屋門なのに門部分が無いのはそういうことだ。城内に残る江戸期の建物は、ここ源八長屋門と、その向かいに残る大石長屋門のみ。城に直結する建物類は全て明治に破棄されてしまった。

akou2-4672源八長屋門を見に行こう。内部から見た源八長屋門。平成11年に解体復元修理を行ったからだろう、瓦も土壁もキレイな状態になっている。左側にもずっと長屋門が続いていたが、今は壊され、茶色い壁の家が建っている、残念。

長屋門の中は土足禁ではあるが一部あがることが出来る。ぜひ中に入って江戸時代の武士の生活空間を体感してみよう。

akou2-4677源八 長屋門 内部。一番奥の部屋。外から見ると二階建て風にも見えるが中は平屋で、天井が高い。天井は簀子野地天井と呼ばれる、建築時の天井。

akou2-4679源八長屋門の大棟鬼瓦。鶴の家紋は浅野家が改易された後に赤穂に入った森家の家紋なので、森家時代に乗せられた瓦だ。頭部に当時のヘラ書きが残されており、鏡が設置され読めるようになっている(写真上端)。

akou2-4680赤穂城は当時 海に面したデルタ地帯に築かれていたため、そのままでは真水が取れず、7km離れた川の上流から上水道を城内に張り巡らせていたという。その上水道井戸の1つが源八長屋門前に現存する。

akou2-4682源八長屋門を出て、奥へ向かおう。向かいにもう1つ長屋門が残る。

akou2-4683こちらは大石邸長屋門。あの大石内蔵助の家の門だ。この長屋門には入れず(有料の庭園側から内部を見る事はできる)、外観を見るのみ。説明板を読もう。

akou2-4684大石邸長屋門 説明板。浅野家筆頭家老 大石内蔵助の一家三代が住んでいた屋敷の正門。元禄赤穂事件の発生を知らせる江戸からの急使が通ったのもこの門だという。大石家の家紋がついたままになっており、江戸期に大修理も行われている(その時に家紋入り瓦もそのまま)ということは、浅野家改易後は誰も住まなかったのだろうか?

akou2-4685 大石邸長屋門。史蹟 大石良雄宅阯の古い石碑が建つ。城の城門の如く、訪問客を見張るための格子窓もついている。昭和53年に修理されているが、既に40年弱が経過し、門柱などの木の皮が剥げている。

akou2-4690長屋門ストリートを越えて更に奥へ。道がT字路になり、左に進めば本丸方面(写真)、右に進めば大石家を祀る大石神社へ。神社は城の後で訪問することとして、まずは左の本丸方向へと進もう。

akou2-4690a-4697道にそって奥へと進む。巨大な城門と、その手前に壊された石垣が見えてきた。

akou2-4692壊された石垣付近は「二之丸門跡」。赤穂城では、明治以降も石垣は残されたが、門付近の石垣は何故か壊されたという。大手門など殆どの門付近の石垣はその後積み直されたが、ここ二之丸門の石垣は壊されたままのようだ。

akou2-4692a-4691二之丸門跡 説明板。山鹿素行により、近藤源八が設計した赤穂城の二之丸付近(この門付近)の縄張りを改修したことで知られる。

akou2-4693説明板の向かい側には、二之丸堀の一部と、その堀を囲む石垣と、門付近から先の壊された横姿を見る事ができる。なお二之丸の正面側は二の丸庭園として復元工事中で、入ることが出来ない。

akou2-4694a-4696もう1つあった二之丸門跡の説明石碑。櫓門が建ち、本丸へ続く道を塞いでいた。古写真も残り、石碑にプリントされているのは嬉しい。一部の石垣が壊されているのは、明治25年の洪水による災害復旧等のために使われたとある。古写真がこうして明瞭に残っているのであれば、二之丸門の復元も可能かもしれない。

akou2-4695二之丸門跡付近から見た、二之丸堀の一部。手前の方は水が枯れてしまっているが、堀の水面付近を固める石垣が見られる。

akou2-4698二之丸門跡を少し入ると、この辺りを改修したとされる山鹿素行の銅像がある。城ファンではよく耳にする「やまが・そこう」氏だが一般的にあまり有名ではない人物のためか、殆ど見ている人は居なかった。銅像も奥の方にあり、何だか淋しげ。見に行こう。

akou2-4698a山鹿素行先生銅像 説明板。幕府から赤穂への蟄居を命じられ、二之丸に建っていた家老 大石頼母(おおいし たのも)邸の一部に住んでいたと言い、大正14年にそのあたりに銅像が建てられたが、恐らく二之丸庭園復元工事のためここに移された。撤去されなくてよかった。

akou2-4699二之丸堀の付近に建つ、というか、座る、山鹿素行氏。大正の銅像らしく、銅板に漢文で氏の功績を称える碑文が刻まれている。座像はどうも小さくなってしまうので、縄張り変更を現場で指示する立ち姿等にしていただければ良かった、かも。

akou2-4702では更に二ノ丸を進み、本丸方向へ進もう。右側に立派な屋敷門と土塀が広がる。只の広場と化している二ノ丸が多い中、赤穂城の二ノ丸は整備も進みいろいろと往時のような建物が建ち並ぶ。お城感。

akou2-4702a-4701分かりやすい城跡案内図が建っていたので掲載。現在は二ノ丸門と本丸門の間。変形輪郭式と呼ばれる縄張りがよく分かる図だ。ちなみに二ノ丸は東仕切門(上)と西仕切門(下)によって二分割されていた。西仕切門は復元されたが、現在 庭園の復元工事中のため、頼母邸から西仕切門までのエリアは立入不可。東仕切門は未復元のため、図の上側からぐるっと本丸の周囲を回って、西仕切門手前まで行くことが出来る。

akou2-4704二ノ丸に建っていた家老 大石頼母邸 屋敷門。復元。この門の向こうは二ノ丸庭園として現在復元工事中。この門から庭園に入ることになるのだろうか?

akou2-4705大石頼母助屋敷門 説明板。発掘調査で出てきた門柱礎石・土塀基礎等に基づき、平成21年に薬医門スタイルの屋敷門および土塀を復元。

akou2-4706a-4703そして、現在 長期復元工事中(10年はやっている模様)の二の丸庭園 完成予定図。右端が頼母屋敷門(現在地)、左端が西仕切門だ。屋敷自体は復元されず、全体的に庭園として復元する模様。本丸大手門に居たボランティアスタッフの方に工事完成時期をお聞きすると、予定ではもうとっくに終わっているはずが、まだ終わらず、いつ終わるかも未定とのこと。うーむ。金銭的な問題なら、他の城跡のように寄付金を募ってはいかが? 城主グッズ貰えるなら私も喜んで寄付します。

akou2-4707立派な城門が見えてきた。本丸大手門。

akou2-4709本丸門(復元)説明板。6.7億円を掛けて平成8年に完全復元。明治時代の古写真および古絵図、発掘調査の結果で往時の姿を再現した。枡形の石垣も壊されていたそうで、それらも往時のとおり復元されているという。

akou2-4710赤穂城 本丸大手門。やはり大手門は小さな高麗門だけでなく、奥の櫓門とセットで復元すべきだ。

akou2-4713三ノ丸には戦前の「史蹟碑」があったが、こちら本丸には戦後の「史跡碑」が建つ。定番の構図。

Part3ではいよいよ本丸内へ。ちょうど特別公開中だった本丸櫓門の内部も訪れます。

>> 赤穂城 [3/8] へ続く。<<


訪問時期:2015年5月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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