赤穂城 [1/8] 昭和30年復元の赤穂城の顔・三ノ丸大手門隅櫓へ。

赤穂城(あこうじょう)は1645年に赤穂に移封となった浅野氏により築城された近代城郭で、甲州流軍学者の近藤正純および山鹿流の山鹿素行(やまがそこう)による縄張りと言われる。まるで五稜郭のような複雑な形をした変形輪郭式とも言われる独特の縄張りが特徴。天守台は築かれたが天守は上げられなかった。城主浅野氏は「忠臣蔵」で有名な元禄赤穂事件により改易、その後は森可成(信長家臣、宇佐山城で討死)・森長可(秀吉家臣、小牧長久手で討死)で有名な森氏一族により治められ、明治維新を迎え廃城となる。全ての建物と石垣・水堀の一部が破壊された。その後、石垣や水堀、城門、本丸庭園などが復元されている。現在は二之丸庭園を復元中。

赤穂城<基本データ>
●名称: 赤穂城(Wikipedia
●所在: 兵庫県赤穂市(マップ
●築城: 1661年(寛文元年)
●築主: 浅野長直
●遺構: 石垣、堀、復元建造物
●関連: 国史跡赤穂城跡HP


<訪問記>

赤穂城跡はJR播州赤穂駅より徒歩10分ほどの場所にある。播州赤穂駅は新快速の終点駅として関西圏では有名な駅。播州(ばんしゅう)とは播磨国の略称で、古風で粋な駅名だと思う。

akou2-4628a-5049JR播州赤穂駅の改札を出ると、目の前にこの看板。うーん、忠臣蔵! ちなみにGWに来てもこの雪景色の看板。よく見ると結構リアルに描かれている。

akou2-4629駅を出て赤穂城へと歩いて行こう。ようこそ赤穂へ。

akou2-4630ロータリーの反対側には采配を振るう大石内蔵助公の銅像が建つ。采配がひっくり返った形で造形されているためか、一時期流行った 頭を気持ちよくする謎の健康器具 に似ている。

akou2-4631ではロータリーを出て、赤穂城跡へ向かおう。この道をまっすぐ800m。

akou2-4632途中の広場には大きなからくり時計がある。その奥に元禄赤穂事件(忠臣蔵)に関連する遺構があるので見ていこう。

akou2-4633こちら、息継ぎ井戸。元禄赤穂事件が発生した時、急を知らせるため江戸から急ぎ赤穂まで籠で戻ってきた藩士が、城の直前のこの井戸で水を飲み、最後の力を振り絞って城へ戻った…という言われが伝わる井戸とのこと。

akou2-4634赤穂旧上水道と息継ぎ井戸の説明板。赤穂藩の上水道システムは日本三大水道の一つと言われる画期的なシステムだった。赤穂城は当時海に面していたため、そのままでは井戸を掘っても海水が出てきてしまうため、7km先の川の上流から導水路を作って真水を調達していたという。すごい。息継ぎ井戸の説明は先程の通り。江戸から4日間、走り通しで赤穂まで来たという。

akou2-4636しばらく進むと、突如交差点の向こうに現れる白漆喰の櫓!ここから先が赤穂城跡となる。櫓の前のこの道は結構交通量が多いので、櫓が見えたからといって走っていかないよう注意。

akou2-4639 交差点の対角線上から、赤穂城三ノ丸大手門・櫓を見る。建造物一式は昭和30年の再建で、古写真の通りの外観再現はされていない(時代ゆえか)。

akou2-4641 三ノ丸大手門・隅櫓。この外堀も一旦廃城後に埋め立てられたが、昭和に再建されたもの。とは言え再建された櫓は赤穂城ではここだけのため、この隅櫓が赤穂城の顔とも言うべき状態になっている。隅櫓だけでなく、周りの土塀もセットで復元されているのが雰囲気を醸し出している。古写真と見比べてみると、窓の位置や形が少し違うような気もするが、写真が不鮮明でよく分からない。

akou2-4642三ノ丸外堀。かなり向こうまで続いてそうに見えるが、大手門付近のみの復元。

akou2-4643三ノ丸大手門隅櫓。横の土塀に付けられた狭間が、外側なのに幅が広くなっていて、気になる。向こう側も広くなっていれば、どちらにしろ外からは狙いにくいので、これはこれでいいのだろうか? 当時はどうなっていたのかと古写真を再度見てみると、なんとここに狭間は無さそう。

akou2-4643b-4651三ノ丸大手門前に建つ史蹟碑と隅櫓の、定番構図。

akou2-4644三ノ丸大手門と、外堀を渡る太鼓橋。どちらも再建で、太鼓橋はコンクリート橋のようだ。

akou2-4649三ノ丸大手門前のお土産屋付近から、三ノ丸大手門・炭櫓の全景を見る。再建とはいえ、街中とは思えないステキな雰囲気。ちなみに大手門は高麗門形式の簡素なものだが、この奥には枡形があり右側に巨大な櫓門が建っていたので、防備が薄いというわけではない(櫓門は復元されていない)。

akou2-4653三ノ丸大手門(一ノ門)。昭和30年再建。よく見ると扉が無いが、往時は当然あっただろう。

akou2-4654三ノ丸大手門をくぐり、三ノ丸へ。石垣が道が塞がれ、枡形が形成されている。往時は右側に巨大な櫓門が建っていた。現在は発掘調査で出てきた礎石位置を示すプレートのみ(右奥に見える白い部分がそれ)。

akou2-4655振り返って、三ノ丸大手門の内側の様子。やはり扉が無いと変な感じ。扉は再建しなかったのか、それとも再建したが数十年で腐食したので破棄したか。

akou2-4656枡形を右へ。櫓門があったことを示す、門柱の礎石跡が足元に示されている、が、説明板等がないので殆どの人は気づかずスルーだろう。奥の建物は、櫓門を通る人を検問した役人が詰める、番所があった。これも再建で、今はパネル展示コーナーとなっている。

akou2-4658隅櫓および土塀を内側から。先ほど気になっていた土塀の狭間は、内側もこの通り広くなっていた。ということは、逆に付けられたわけではなく、鼓型(中央が狭く、両側が広い)に開けられているようだ。これはこれでいいのだろうか? 土塀に上がるための雁木(石段)はかなり急だ。

akou2-4659枡形前にある番所へ入ってみよう。

akou2-4661中には幾つかのパネル展示で、赤穂城の構造や歴史などを説明していた。左図で、紫が三ノ丸(現在地)、緑が二ノ丸、ピンクが本丸だ。二ノ丸より内側が復元が進むエリアで、三ノ丸は主に大石神社の境内となっている模様。

akou2-4662赤穂藩 関連年表と、歴代藩主。赤穂城は三代目の浅野氏により築かれた(それまでは全く違う小さな城があった)。最も長いのは森氏だが、有名なのはやはり忠臣蔵の浅野氏か。

akou2-4663三ノ丸大手門および大手枡形の説明パネル。枡形を構成する石垣自体も明治期に大きく改変されたが、文化庁の事業で土地が公有化された平成になってやっと元の形に戻されたという。こうなると櫓門自体の復元が期待される。

akou2-4663a-4660番所から見た、三ノ丸大手枡形と櫓門礎石。幅8.9m、奥行4mの巨大な二階建ての城門が、ここに建っていた。

akou2-4664枡形を出るとまた道はグルっと反転し、奥へ。複雑な構造だ。右奥に見える建物は大石神社。

akou2-4665三ノ丸大手枡形とその外側の三ノ丸部分の遠景。大手門を入るとグルっとほぼ360度回転させられる迂回ルートを取らされる形になっていることが分かる。

akou2-4667こんな看板が建っていた。訪問時はGW、なんと本丸櫓門内部が特別公開中とか。やったー。

akou2-4668大手枡形の外側をグルっと回りこむ形で二ノ丸方面へ向かう。枡形を構成する石垣の外側がカーブを描くように築かれているのに驚く。このようなカーブを描く石垣は、赤穂城では幾つか見られる(水手門付近など)。

akou2-4669大手枡形の石垣の上に上がるための石段はこちら側にあった。登って枡形を見下ろしてみたいが、残念ながら立入禁止。落ちないように柵をつけてもいいから、上に上がれるようにしてもらいたい、と思う城ファンは多いかも(できれば柵ナシが有り難いが安全上難しいか)。

>> 赤穂城 [2/8] へ続く。<<


訪問時期:2015年5月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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