二条城は関ヶ原合戦で勝利した徳川家康が1603年に満を持して京に建造した城で、完成した二条城にて徳川家康は征夷大将軍就任の祝賀会を行った。その260年後、15代 徳川慶喜は同じ二条城で大政奉還を行い徳川幕府を終わらせた。天守は江戸期に焼失したが、二ノ丸御殿が現存する(国宝)。多くの城郭が米軍の無差別爆撃により失われた太平洋戦争時においても、京都は諸般の事情(沖縄戦シフトや原爆標的など)でたまたま大空襲が行われなかったため、現在も京都の街のど真ん中に、二重の堀と石垣、土塀や隅櫓、二ノ丸御殿に本丸御殿(移築)などが建ち並んでいる。
<基本データ>
●名称: 二条城(Wikipedia)
●所在: 京都府京都市(マップ)
●築城: 1603年(慶長8年)
●築主: 徳川家康(天下普請)
●遺構: 石垣、内外堀、隅櫓、櫓門、御殿 等
●関連: 元離宮二条城HP
<訪問記>
国宝天守がある城は全国4城(姫路・松本・彦根・犬山)だが、国宝御殿はここ二条城だけ。ちなみに御殿が現存するのは二条城の他に、高知・掛川・川越、すべて重要文化財。
二条城はJR二条駅の東にある。徒歩圏内。二条駅から東へ歩くと、二条城を取り囲む外堀の南西端へたどり着く。二層の南西櫓が目印。二条城の入口(大手門)は東側なので、堀に沿って東へ進む。
南側にも石垣を削って造られた門が見えてくるが、橋が無いので渡れない。説明板も無いのでおかしいなと思ったら、これは大正天皇即位の際に造られたものらしい。そのときはここに橋が架けられて渡ったのだろうか。現在、南側のこの門と、西側の門(埋門)は、橋がなく渡れない。北側の門も普段は閉じられているため、東側からのみ入城が可能だ。
南東端まで来た。ここにも隅櫓が残る。この角を北へ曲がる。
外堀と城壁の櫓が青空に映える。
では外堀に沿って、櫓を横目に、北へ。複数回訪問した写真を混合しているので、青空だったり、曇り空だったりするのは勘弁。天気のいい日に一度全部めぐり直したいところ。
しばらく進むと、巨大な史蹟碑が見えてくる。舊二條離宮。舊は旧の旧字。奥には巨大な櫓門「東大手門」。史蹟碑の横にある、こけら葺きの屋根がついた古い看板を見てみよう。
二条城 説明板。昭和15年に造られた看板。明治17年から離宮(皇族の居住地・別荘)だったが、昭和14年に京都市に下賜された。本丸の御殿は舊桂宮邸より移築、とある。
門の反対側には国宝二条城の立て看板(国際化対応済)。柵のそばにある小屋で入城料を払って、門の中へ。大人600円。
では東大手門から中へ。巨大な櫓門。よくある狭間は、元が戦いのための城でないからか、一切無い。
東大手門前の橋の上から、外堀を見る。北側。土塀は途中までしかなく、其の奥は土塁になっているようだ。
外堀 南側。土塀の終端は、先ほど見た東南隅櫓だ。
東大手門を通って城内、二ノ丸へ。表から見るよりも巨大に見える(左右の石垣が出っ張ってるから)。
門の横には小さな史跡碑と、国宝一覧の看板がある。
国寶二條城。堂々たる現存建造物一覧。ただここに記載の建物すべてが国宝というわけではない。
東大手門 内側から遠景で。ここは二之丸で、内堀に囲まれた本丸を取り囲むように存在する。東大手門の左側に見える建物は番所。写真では左側が切れているが、かなり長細い建物。
東南隅櫓を内側から見ることもできるが、内部は公開されていない。残念。
二之丸は往事のまま土塀で区切られ、土塀内部には二之丸御殿が建っている。土塀の内側へは、南側にある唐門からはいる。唐門をみる前に、土塀の前に建ち並ぶ説明板一式を見てみよう。
大きな銅板の説明板は、世界遺産認定にかかるもの。二条城単体ではなく、「古都京都の文化財」一式での認定となっている。沖縄(首里城)と同じパターン。
こけら葺きの小さな屋根の付いた説明板は、二条城の歴史を簡単に記したもの。
そして二条城の内部をカラフルに描いた図面。雰囲気があっていいのだか、古いが故に下の方が汚れて見えづらくなっているのが残念。
ではお待ちかね、修復工事によりかつての輝きや色合いを取り戻した「唐門」へ。
>> 二条城 [2/4] へ続く。<<
訪問時期:2013年2月〜9月
撮影機器:SONY NEX-C3 + E18mm
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