大坂城(大阪城) 真田丸を歩く [3/4] 真田の抜穴跡 三光神社

真田丸前回までの「真田丸を歩く」。

大阪高低差学会さんのフィールドワークに参加して、真田丸および南惣構堀の比定地を歩く。玉造稲荷神社から長堀通を抜けて清水谷公園、そして真田丸比定地の明星中学校、心眼寺へ。

Part3では「真田の抜け穴」伝説が残る真田山・三光神社へ。


<訪問記>

どんどろ大師から東へ。しばらく進むと右手の公園の奥に大きな石鳥居が見えてくる。そこが「真田の抜け穴」伝説の残る三光神社。

sanadamaru-3721s三光神社 石鳥居。三光神社は上町台地の高台の上に位置する「宰相山公園」にある。

sanadamaru-3722三光神社 御由緒 説明碑。創建は第十八代反正天皇、5世紀頃の話だ。抜け穴のことも書かれていて「此の地はもと大坂城の出城(偃月城)の在りし処にして慶長元和の大坂合戦の頃 真田幸村茲に陣し本城より此処に至るまで地下に暗道を設け今尚其の痕跡を本殿階下に止むるより世俗に真田山の三光と称するに至れり」とある。戦前のような文面だが昭和56年の建造。

sanadamaru-3723参道には真田六文銭のノボリがなびいている。

sanadamaru-3723a-3736石段の上が三光神社本殿。抜け穴等を見る前に参拝しよう。

sanadamaru-3723b-3737s三光神社 二之鳥居。よく見ると石鳥居の前にもう一脚立っている。説明板によると戦前までの石鳥居は米軍攻撃により破壊され、現在は脚部のみが残るという。

sanadamaru-3723c-3738三光神社 拝殿。見づらいが、拝殿右奥に赤備えの鎧兜(地元のお祭用)が展示されている。

sanadamaru-3724a-3731では石段を降りて、拝殿よりもある意味有名な「真田の抜け穴」跡へ向かおう。銅像と、六文銭の置き盾が並べられたあたりがそう。

sanadamaru-3724b-3732正面から。六文銭の置き盾の下に物々しい洞窟が口を開けている。その前には甲冑姿の真田幸村公像が建つ。

sanadamaru-3724s鹿角前立兜をかぶり陣羽織を羽織った幸村公が采配を掲げている姿の銅像。大将として攻撃を命ずる際の姿だろう。青銅色だが、実際は赤備えと言われた真っ赤の甲冑。

sanadamaru-3726真田幸村公像 別角度から。

sanadamaru-3726a-3739 銅像は360°楽しめる。真田幸村公の後ろ姿。羽織がまくれているところが何だか妙にリアル。

sanadamaru-3727s銅像の土台に埋め込まれていた説明パネル。昭和62年建立。台座は「真田石」で、真田家の菩提寺である信州長谷寺より取り出したものだとか。コンクリートで固められているのが残念。

sanadamaru-3733そして幸村公の裏にあるのが「史蹟 真田の抜穴跡」。石垣に穴を開けた、埋門(うずみもん)のような感じだ。入口は後年の造りだろう、石の隙間がコンクリートで固められていて、いかにも作り物な雰囲気が漂っている。中を覗いてみよう。

sanadamaru-3734抜穴の入口。鉄の扉には鍵がかけられ中には入れない。宮司さんの話によると、昔は扉はなかったが、子供が遊んだりホームレスが棲みついたりして大変だったので、鍵を掛けたとか。よく見ると鉄扉の横の石積みと、手前の(コンクリート詰めの)石積みとは、構造が大きく異なるようだ。手前を野面積み風にして、洞窟ぽく見せたということだろう。

sanadamaru-3735真田の抜穴内部を覗き見る。そこそこ切り揃えられた石積みが切り目正しく積まれ、まさに地下道という雰囲気の道が奥へ続いている。道は左へ折れ曲がり、その先は見えない。地面にはかなり土が積もっているようだ。天井には薄い板状の石が並べられフタがされている。まるで明日香村の石棺を見ているようだが、真田丸建造時に合わせて造られたにしては石材が揃いすぎているような気もする。なお近年は年に一度の真田まつりにて抜け穴の中が開放されているとか。

sanadamaru-3740a-3729三光神社から奥の宰相山公園へ。下は児童公園、上は旧陸軍墓地となっている。

sanadamaru-3740b-3730上部は櫓台のような飛び出た高台もある。

sanadamaru-3741s飛び出た部分の宰相山公園上部。まさに櫓台にピッタリ。実際はどうだったか今となっては不明。

sanadamaru-3754陸軍墓地を越えて三光神社・宰相山公園から西へ。ちょうど(真田出丸城跡の石碑があった)心眼寺の裏手あたりに出る。このあたりにも寺社が建ち並ぶ「お寺ストリート」。そこに主夜天 成道寺というお寺があった。泥棒よけの神様だとか。山門の鬼瓦が何だか凄い迫力だったので一枚。

sanadamaru-3755a-3746三光神社裏から南へ下がると真田山公園・真田山プールなど施設が建ち並ぶエリアに。このあたりの住所はまさに「真田山町」! 住所表記を見て歩くだけでも楽しい。

Part4では真田信繁(幸村)公が大坂夏の陣にて家康本隊を大混乱に陥れるも遂に力尽き最期を迎えた安居神社へ参拝します。

>> 真田丸を歩く [4/4] へ続く。<<


訪問時期:2015年4月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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大坂城(大阪城) 真田丸を歩く [3/4] 真田の抜穴跡 三光神社” への2件のフィードバック

  1. 現在京都に住むものですが20才位の時味原に住んでいたので、真田山公園で野球の試合をして遊んだ事がありました。懐かしいです。

    1. コメントありがとうございます。真田山公園も今年は真田丸つながりで大人気スポットになるやも、ですね。

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