大坂城(大阪城) [発掘調査] 2015.4.18 生玉口出丸堀 現地説明会

osaka_excav_cover2015.4.18に開催された、大坂城 大手門前の「重粒子線がんセンター」建設に伴う発掘調査 現地説明会に行ってきました。今回出土したのは「豊臣期大坂城」生玉口(二ノ丸大手口)出丸堀の堀底に築かれていた堀障子跡です。

ここでは現地説明会での展示遺構の様子等についてレポートします。


<訪問記>

osaka_excav-3465s現地説明会 会場は、地下鉄中央線 谷町四丁目駅から歩いて5分ほどの、大阪府警ビルの北隣。発掘現場公開中の旗がなびいている。

osaka_excav-3467a-3512s 13時から説明会開始ということで13時過ぎぐらいに行ってみると、会場内はすでにこの大混雑ぶり。まがい物じゃない、本物の歴史イベントの盛況ぶりが伺える。正面の盛土の前が担当者による説明会会場(15分おきぐらいに説明していた)、右側のテント内が出土品展示、そして左側に一列に並んでいる人垣の向こう側が「堀障子跡」だ。まずは堀障子を見に行こう。

osaka_excav-3490s係員の誘導に従って列の最後尾へ。人だかりが出来て柵が壊れて人が落ちないように、柵の前に居る人の数をコントロールしていた。さすが。列の後ろでしばらく待つ。大きな穴の鉄骨の下に、出土した堀障子跡が見えるはずだ。

osaka_excav-3495しばらくすると柵前に誘導された。穴を覗きこむと、7mほど下に、秀吉時代の大坂城 生玉口(二ノ丸大手口)に設けられた堀の底があった。遠くてちょっと分かりづらい。堀は画面上(奥)から下(手前)に向かって延びていたので、左から右までが「堀幅」にあたる。かなり広い堀だったようだ。

osaka_excav-3494ズーム。まるで「あぜ道」のような堀障子の一部と、その奥には「機能時の堆積」「冬の陣後の埋土」「徳川期の盛土」の三段階の地面が表示されていた。同じ土…と思うかもしれないが、土の質が全然違うため、掘ると分かるという。

なお簡単に豊臣期大坂城のおさらい。信長死後の1583年、秀吉は旧石山本願寺跡に築城を開始。1588年頃にはここ「二ノ丸大手口」が完成していたとされる。1598年、秀吉死去。1600年、関ヶ原の戦い。1614年、大坂冬の陣の講和条件として徳川軍が外堀・中堀・二ノ丸・三ノ丸を埋め立てる(「冬の陣後の埋土」がそれ)。1615年、大坂夏の陣で落城。1620年、徳川期大坂城の築城開始にあたり、豊臣期大坂城の上に5mの盛土をし(「徳川期の盛土」がそれ)、その上に全く新しい城を築いた。これが現在見られる石垣・堀・現存櫓などの大坂城である。

osaka_excav-3497 少し奥へ進むと、更に堀障子がハッキリと出土していた。今でこそ水堀は青くキレイな水が張られているが、当時の戦いの城だった頃は足をとられるようなドロドロの地面で、しかも水中(ドロ中?)にはあぜ道のような堀障子があるものだから、まさに歩きにくい「新田の如し」だったとか。

osaka_excav-3504更に奥へ。堀部分を越えると、埋め立てる際に一緒に投げ込まれたと思われる壊した石垣の石材がゴロゴロ出てきていた。多くは当然 秀吉の建てた大坂城のものなので時代的に自然石が多い。なぜか徳川期の石材もあった。残石が出土したか、形状の比較用?に展示してあるのか。係員に聞きそびれた。

osaka_excav-3506多くの石材が出土した堀底へ降りる階段があり、下に降りて見られるのかと思いきや、見学は上からのみだった。残念!

osaka_excav-3507a-3499堀底見学スペースにあった解説パネル。400年ぶりに姿を現した堀!

osaka_excav-3509中央の解説エリアにあった巨大パネル。生玉口出丸前の堀の形と、過去および今回 発掘調査された場所が写真とともに示されている。今回の調査地は中央の水色の小さな部分。目を引く下の巨大な障子堀があらわになっている場所は、2003年に南隣りの府警本部新築時に出土したもの。現在はすべて庁舎の下敷きだ。こんなに立派な堀跡が出たのなら展示スペースにして欲しかったが、府警本部というのが仇となったか?、セキュリティ上 地下に一般公開エリアなど作れるはずもなく、すべて埋められてしまった…!

osaka_excav-3511立派な府警本部の下に埋め戻されてしまった、旧大坂城 生玉口出丸前の堀底に築かれていた堀障子。すごい!!!

では堀底の見学はこれぐらいにして、現地説明会ではおなじみの「出土品コーナー」へ。天気が良すぎて直射日光で暑いので、テントの下は助かる。

osaka_excav-3512a-3469sテントは2つ。1つ目は主に瓦コーナー。

osaka_excav-3512b-3479秀吉のお城といえばやはり金箔瓦。大坂城跡でも多くの金箔瓦片が出土している。金箔菊紋瓦。

osaka_excav-3512c-3476三つ巴紋の軒丸瓦。秀吉は凸部に金箔を貼り、信長(安土城)は凹部に金箔を貼っていた。

osaka_excav-3512d-3475豊臣家の家紋「太閤桐(五七桐)」の飾り瓦も、バラバラながら出土していた。

osaka_excav-3512e-3484菱型の紋を持つ瓦片。

osaka_excav-3512f-3483剣花菱紋飾り瓦。剣花菱(けんはなびし)は、剣と花が菱型に模られた紋(そのまま)。参考

osaka_excav-3512g-3480時代小説などで良く出てくる「天目茶碗(てんもくぢゃわん)」。茶室などでよく使われていた高級茶碗だ。

osaka_excav-3512h-3487s2つ目のテントでは皿や碗など主に生活物資が展示。

osaka_excav-3512i-3468その他、墨書きのある石材が堀底から上げられて展示されていた。刻印が彫られた石材はよく見る機会があるが、墨書きのある石材はあまり見かけないので、珍しい。

osaka_excav-3635今回の発掘調査のパンフ。下の黄色い方(冬の陣屏風)は2003年の府警本部新築時のもので、今回一緒に配布された。出土品の写真や解説がビッシリ書き込まれていて読み応え有り。

文化財センター関係者の皆さん、おつかれさまでした。今後ともこの手の説明会をお願いします。

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大坂城(大阪城) [発掘調査] 2015.4.18 生玉口出丸堀 現地説明会” への5件のフィードバック

  1. こんなんあったんだぁ!しまった。
    発掘調査とかイベントの類は大体 いつも見逃すのですよねぇ。
    何か事前にキャッチできるサイトとかご存じないですか??
    しかし,金ぴかの流石秀吉。

    1. こにるさん、まいど!です。
      イベントはともかく、発掘調査現地説明会は大抵ギリギリに発表されるので、私も逃したり情報が来た時点でもう予定有りだったりすること多々です。

      私はいつもFacebookで加入しているお城関連のグループの投稿で知ります。大抵の現場説明会・イベント情報はどなたかが流してくれています。
      ちなみに現地で何人かに話し掛けられた人たちにどこで説明会の情報を知ったかを聞いてみましたら皆さん「新聞」でした。

      1. こにる@バンコクです。 先ほどジャカルタから飛んできました。

        やはり情報集め苦労しますね。
        出張が多い生活なので,新聞も当てにできないし。
        とりあえず,私もお城関係のFB 片っ端から登録してみようかな。

  2. こにるさん、海の向こうからおつかれさまです。
    お城関係のFBグループは結構ありますが、内容がかぶっていることも多いです(同じ内容を複数グループにマルチ投稿する人がいるため)。以前はいくつか入っていましたが、今は1つに絞りました。参考まで、私は「お城同好会」というグループに入っています。

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