篠山城 [2/5] 往時に忠実に木造復元された二ノ丸大書院へ。

篠山城前回までの篠山城 訪問記。

大手口より外堀を越えて三ノ丸へ。三ノ丸は学校等になっているのでまずは城内(二ノ丸)を目指す。内堀に囲まれた二ノ丸の内部は石垣が現存しており、一気に御城らしい雰囲気に。厳重な石垣が構築された鉄御門跡の虎口を越え、二ノ丸大書院(木造復元)までやってきた。Part2では大書院内部を散策します。


<訪問記>

二ノ丸大書院 内部をご紹介。

sasayama_s-0133a-0168s史料館 入口。受付でお金を払って中へ進もう。入ってすぐのところに100名城スタンプが何気なく置いてあるので見逃さないように。というか、受付になっていて中も史料館なので、大広間は良くて外観復元レベルなのだろう。手元の古写真も探してみたが、大書院の写真はあるものの大広間の全景を写した写真は見当たらなかった。

sasayama_s-0136大書院の復元プロジェクトの説明板。築城時に建築され、藩の公式行事に使用されながら維新後も壊されずに昭和19年まで失火で焼失するまで残っていたようだ。昭和31年に篠山城跡が国指定史跡となると石垣修理、内堀復元、発掘調査が行われる。結果を踏まえ城内建造物の復元可能な場所について検討の結果、大書院復元が可能と分かり、市民の浄財(寄付金)および補助金等で4年計画・総事業費12億円を掛けて復元された。素晴らしい。やはり大広間については「史料館が完成」としか書いていない。

ほぼ方形の大書院は内部が8つの部屋に分かれており、その周囲にめぐらされた廊下をぐるっと回りながら(各部屋は閲覧可能だが立ち入りは一部のを除いて不可)観覧するコースのようだ。

sasayama_s-0136a-0135入ってすぐのところにあった「さわれる篠山城模型」。目が不自由な方向けの点字・立体模型だ。

sasayama_s-0137史料館はあとで見るとして、まずは大書院 内部へ。史料館から入り、接続した西側から大書院へ入る。最初に見えるのは畳敷き・白いふすまのシンプルな「手鞠之間」。

sasayama_s-0138手鞠之間 前にあった「篠山城築城前史」。現在の篠山市付近は室町時代から戦国期まで波多野氏が居城とした中世山城「八上城」があった。天正に入り織田信長の丹波攻めが始まり、明智光秀率いる丹波方面軍の攻撃により八上城は落城、波多野氏は滅亡した。明智光秀〜前田玄以 などが丹波を治め、江戸時代になって譜代大名が入ると新城築城の命が下り、天下普請でここ篠山城が築かれ、八上城は廃城となった。

sasayama_s-0139廊下を通って各部屋の中を覗いていく。入れる部屋と、見るだけの部屋がある。正面の木戸の向こう、左側の壁に柵が設けてあるあたりが、場所的に「車寄」にあたる。

sasayama_s-0140部屋の中に展示されていた「篠山城の鬼瓦」。詳細は不明だが、建物は破却され、大書院は火事で焼失したにも関わらず、これだけの大きさの瓦が残っているのはすごい。壊す際に記念?に保管しておいたのだろうか。

sasayama_s-0142桃と鬼?が刻まれた鬼瓦。

sasayama_s-0143大書院復元に当たり、史料を元に忠実に造られた構造模型。大書院自体にも唐破風屋根を持つ玄関(車寄)があることがわかるが、ここからは入れない。

sasayama_s-0147篠山城の梵鐘。元々は篠山城中にあったものが、京都のお寺に移設されていたものを、大書院復元を機に篠山城に戻されたとか。

sasayama_s-0147a-0146篠山城梵鐘の説明板。340年前に鋳造された梵鐘。

sasayama_s-0148廊下を進んでいく。この先は「葡萄之間」「次之間」を経て、城主との謁見場所だった「上段之間」へと続く。

sasayama_s-0149次之間と上段之間。本丸御殿や二ノ丸御殿でよく見られる、城主との面会部屋。

sasayama_s-0150上段之間。天井は一段高く、格式の高い「格天井(ごうてんじょう)」が据え付けられている。床の間は金箔貼りの松の絵、右側の小さな扉の奥は有事の際に対応できるよう帯刀の侍が控えている場所。

sasayama_s-0152上段之間側から見た、次之間。こちらのフスマもなかなか立派な絵が描かれている。

sasayama_s-0155上段之間の西側にある小さな部屋は「孔雀之間」。床の間があり掛け軸があった。今は記念撮影用の甲冑(紙製)が置いてあった。直江兼続、伊達政宗、そして徳川家康という謎のラインナップ。

sasayama_s-0157よく見ると柱の随所に金色の釘隠しが付けられていた。

sasayama_s-0158廊下を回って一周してきた。左へ曲がると史料館(大広間)へ戻る。

sasayama_s-0159a-0167史料館へ。中央に巨大な篠山城ジオラマがあり、周囲に解説パネルと古文書等が展示されている。やはり目が行くのは巨大ジオラマ。

sasayama_s-0159b-0161パネルを1つだけ紹介。篠山の地は山陰道の要所として西国大名の抑えの役割を果たしたことから、譜代大名が代わる代わる配置されてきた。篠山城は「松平三家」と「青山家」が城主を務めた。どこから篠山に来て、どこに去ったか、が描かれている。全国規模の巨大組織に属すると、偉くなればなるほど全国規模で異動しなければならなくなるのは、400年前から今に続く日本の伝統芸ということだ。

sasayama_s-0160篠山城ジオラマ。とても細かく造られている。南側(大手口側)の外堀あたりから見た篠山城。三ノ丸(内堀と外堀の間)の南側は土塁で三つの区画に分けられていたようだ。現在は外堀を渡る大手土橋から二ノ丸への土橋までは一直線に進むことができるが、当時は2つの門を通らなければならなかったことが分かる。

sasayama_s-0164篠山城ジオラマを別角度から。二ノ丸南側が複雑な造りをしていることがよく分かる。

sasayama_s-0164a二ノ丸・本丸部分をアップ。二ノ丸石垣の上は土塀ではなく多聞櫓および隅櫓が堅固に取り巻いている。なおジオラマでは内堀と外堀の間に「二の丸」と書かれているが、資料によると篠山城では江戸中期前後で呼び名が変わっていたそうで、築城時は「殿守丸」「本丸」「二ノ丸」だったのが、中期以降はそれぞれ「本丸」「二ノ丸」「三ノ丸」と呼ばれるよう変わったそうだ。

Part3では大書院から外へ出て二ノ丸周辺を散策します。

>> 篠山城 [3/5] へ続く。<<


訪問時期:2013年10月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF18mm
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