肥前名護屋城 [4/4] 伝馬場から破却された本丸南面高石垣を見る

肥前名護屋城前回までの肥前名護屋城 訪問記。

発掘調査で本丸が築城後に大増築されたことが判明。増築部には多門櫓が建設されていたようだ。しかし足元には大量の瓦層があり、徹底的に破壊されたことも発掘調査結果は物語っていた。その後、本丸北口より出て三ノ丸へ戻り、伝馬場跡へ向かう。

Part4では伝馬場〜二ノ丸、そして博物館へ。


<訪問記>

三ノ丸から伝馬場方面へ向かい中。

hizen_nagoya-1325s三ノ丸と伝馬場(帯郭)の境目、三ノ丸南西櫓台 横の虎口。石垣の隅部が破壊され、其の上に土が積もっている状況。次はこのあたりの石垣を整備修復するのか、訪問時は工事の方が2名ほど作業されていた。おつかれさまです。

hizen_nagoya-1327三ノ丸南西隅櫓前から見た伝馬場。本丸石垣(右側)と土塁石垣(左側)に囲まれた細い帯曲輪といった感じ。ただし右側は本丸石垣が壊されて散乱しているので、その分 狭くなっている。本来は見た目の倍ぐらいの幅か?

hizen_nagoya-1328三ノ丸への虎口を見返す。左側が本丸石垣。右側の三ノ丸南西櫓台の石垣に巨石が埋め込まれている。

hizen_nagoya-1329a-1326三ノ丸南西櫓台に埋め込まれた巨石(鏡石)。城内最大級の巨石は、海側からやってきた明国の使節らを圧倒しただろう。

hizen_nagoya-1331伝馬場沿いの石垣。低い石垣だが、丁寧に(?)V字型に破壊されている。

hizen_nagoya-1337a-1341伝馬場 説明板。乗馬の訓練をしたと伝わることから馬場とされているようだ。本丸南面石垣もかなり修復工事されたようだ。

hizen_nagoya-1332伝馬場沿いの本丸側石垣。高石垣が積まれていただろうが、豪快に破壊されている。石垣の間から巨木が生えている。破城されたままの状態だったら一面森だっただろう。

hizen_nagoya-1333伝馬場沿いの本丸側石垣。まさに兵どもが夢の跡。

hizen_nagoya-1334伝馬場の二ノ丸側にある「馬場櫓台」跡。

hizen_nagoya-1335馬場櫓台 説明板。通路の途中に出っ張る形で造られた櫓台で、恐らく門でもあったのだろうが、発掘調査の結果、門跡は見つからなかったという。

hizen_nagoya-1336馬場櫓台を二ノ丸側から。

hizen_nagoya-1337本丸石垣の南西端。このあたりは破壊っぷりが激しい。

hizen_nagoya-1338伝馬場から二ノ丸を見る。広い!奥に見える石垣は遊撃丸の石垣。あちらもしっかりV字に壊されている。左奥に見える礎石跡は発掘調査で出てきた長屋建物跡。タイムオーバーで二ノ丸は入口だけ。

広大な名護屋城跡、大名陣屋跡だけでなく城内だけでもかなりの広さがあり、しっかり全体を見るには3時間は欲しいところ。続いて、城跡入口にある名護屋城博物館を少し紹介。

hizen_nagoya-1400a-1152名護屋城博物館。なんと、無料公開中。

h_nagoya-1162名護屋城博物館 内部。キレイに色々展示してある。ここもしっかり読んで観て回っていると1時間コース。

hizen_nagoya-1400a-1160入口のところにある「名護屋城二ノ丸 合坂 瓦出土状況」。合坂(あいさか)とは石垣に登るための石段のことで、発掘調査の結果、石段の下に軒丸瓦・丸瓦が整然と積まれていることが分かったという。その上に石垣の破壊された石が載っていたことから、瓦を置いたあと、石垣を崩したと思われるという。その現場状況を実際の大きさで復元した実物大ジオラマ。

hizen_nagoya-1400a-1161二ノ丸 合坂 瓦出土状況 説明板。破却は乱雑に行われたのではなく、ひとつひとつの過程を経ながら進められたことか。

hizen_nagoya-1400a-1175展示ルームの中央には、文禄慶長の役で日本軍および朝鮮軍が用いた軍船が、当時の絵図を元に縮小復元されている。こちらは船の上に御城が載ったような日本軍船「安宅船」。すごい形だ。右奥に見える大きな帆は、奥に置かれていた朝鮮水軍の軍船模型。

hizen_nagoya-1400a-1176安宅船 説明板。例の屏風絵に描かれている安宅船を拡大したもの。近代の戦艦に相当する攻撃力・防御力最強の軍船。

hizen_nagoya-1400a-1177安宅船 アップ。櫓は船の下部から出ているが、扉もいくつか付いている。一番上には鉄砲狭間、そして二階建ての櫓。まさに浮く御城。

hizen_nagoya-1400a-1179桐紋が刻まれた軒丸瓦。

hizen_nagoya-1400a-1180秀吉の城といえば、金箔瓦!もしっかり出土、展示。

hizen_nagoya-1400a-1184そして博物館と言えばやはり御城ジオラマ。広大な名護屋城跡のジオラマはかなり大きい。

hizen_nagoya-1400a-1187本丸部分をアップ。五層大天守が遠くからでもかなり目立っている。

hizen_nagoya-1400b-1149博物館の前にも旗竿石など遺構がいくつか展示されている。これは大手口前井戸跡。

hizen_nagoya-1400c-1191博物館前から見た名護屋城跡 大手口方面。

1592年に築城され僅か 6年後には太閤秀吉公の死去とともに廃棄された、短命の城にも関わらず周囲には全国の大名陣屋が建ち並ぶ巨大要塞の中心地となった名護屋城。城は完全に破壊され今は石垣の残骸が残るだけだが、発掘調査や整備がどんどん進められている。アクセスは困難だが城ファンなら是非いつかは訪れよう。

肥前名護屋城跡で撮ったパノラマ映像もどうぞ。スマホ対応済。


■ 2015.4.23追記
肥前名護屋城歴史ツーリズムの姫君日記に此の記事が紹介されました。ありがとうございます!
リンク:姫君日記紹介記事[2015.4.22]肥前名護屋城歴史ツーリズム


訪問時期:2014年10月
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