肥前名護屋城 [3/4] 発掘調査で分かった本丸拡張工事の存在

肥前名護屋城前回までの肥前名護屋城 訪問記。

本丸大手虎口を越えて本丸内へ。本丸内は一面芝生だったが少し掘ってみると秀吉時代の本丸御殿の遺構がドッサリ出てきたとのことで、現在発掘調査および平面復元整備が進行中。秀吉時代の御殿跡は、数ある秀吉の城(大坂城、伏見城、聚楽第 etc.)の中でも、名護屋城だけだとか。 天守台を見た後、本丸内部を散策します。


肥前名護屋城で撮ったパノラマ映像 公開中!

<訪問記>

hizen_nagoya-1275本丸天守台上から見る北北西方面。正面の海は日本海。とはいえ朝鮮はまだまだ先で、2つ見える島は「加唐島」。その先には壱岐。さらに対馬。そしてやっと朝鮮。遠い! 天守台の真下に見える曲輪は「遊撃丸」。

hizen_nagoya-1278天守台の北西側に隣接する「遊撃丸」。命名の由来は不明だが、一説に明国の遊撃将軍に因むとも。天守の金箔瓦が出土した。屏風絵を見ると遊撃丸も多聞櫓・2層櫓・櫓門に囲まれた堅固な設備だったようで、その名残が残る土塁に垣間見える。なお時間の都合上、遊撃丸へは訪問できず。左の土塁の横にちらっと見える説明板、読みたかった。

hizen_nagoya-1282そして遊撃丸の左隣(南西側)には「二ノ丸」が広がる。本丸とほぼ同じ大きさを誇る二ノ丸は、屏風絵では影になっていて描かれていないが、発掘調査によると長屋的な建物が沢山建っていたとのこと。なお本丸から遊撃丸・二ノ丸方面へは直接降りる事はできず、三ノ丸を経由して本丸の向こう側(伝馬場)を通って行くことになる。時間が許す限り、行ってみよう。(ちょっとだけ行けました)

hizen_nagoya-1285天守台上から見下ろす、二ノ丸に面した石垣。この壊されっぷり。壊れた状態も遺構なので復元は出来ないが、完全な状態の石垣もぜひ見てみたかった。なお横矢掛けになっているのか、本丸天守台横が少し凹んでいる。現地の説明によると、凹んでいるのではなく、奥の「出っ張った」部分が増設されていることが分かったという。

hizen_nagoya-1288その本丸南西部の「出っ張った」部分。発掘調査の結果、多聞櫓の跡が出てきたという。屏風絵では天守台と一番奥の2層櫓の間は「土塀」になっているので、その後に拡張されたのだろうか。ココも平面復元されていて、一番外側の灰色の部分が「多聞櫓跡」。礎石も並べられているのが分かる。多聞櫓の前(通路)には玉砂利が敷かれていたらしいが、ベージュ部は発掘すると建物破壊時に出た瓦片が大量に堆積していたという。

hizen_nagoya-1289本丸多聞櫓跡 説明板。発掘調査により、築城時の旧石垣をそのまま埋め込んで、多聞櫓部および隅櫓を新規構築したことがわかった。全長55mの巨大な建物だったとか。上の図面を見ると、旧石垣の外側に貼り付ける形で、本丸が大きく拡張されていることが分かる。いつ拡張されたのかは分からないが、担当した大名は、出兵はするわ城の拡張はするわで、かなり大変だっただろう。

hizen_nagoya-1290この石段は、多聞櫓への石段ではなく、旧石垣部へ上がるための石段。

hizen_nagoya-1292多聞櫓の内側には砕石が敷かれている。このあたりは旧石垣の上にあたり、多聞櫓が建った跡は通路であったと考えられるとのこと。

hizen_nagoya-1294本丸増築部の南西端は「新 南西隅櫓」が建っていた。ここは其の跡地で、礎石のあった位置がダミー石で示されている(本物は例によって土の下)。

hizen_nagoya-1294a-1293本丸南西隅櫓跡 説明板。10m x 10m の2階建ての櫓だった。またここでは、建物を破壊するだけでなく、その礎石類の上に30cm以上も盛土をして完全に隠しこんでいたとか。盛り土がされていた場所は赤く舗装されている部分。

hizen_nagoya-1295南西隅櫓上から、本丸下を見下ろす。細い帯郭的な場所は「伝馬場」。櫓台跡、そして其の奥には「弾正丸」が見える。

hizen_nagoya-1297南側にも本丸拡張部の櫓台跡が見つかっている。例によって玉砂利と礎石位置表示がされている。

hizen_nagoya-1299では本丸の周りを一周してきたので、このまま大手から降りるのではなく、本丸のもう1つの出入口である「本丸北門」跡から三ノ丸へ向かおう。こちらも大手ほどではないが石垣で堅固に守られた虎口を形成している。

hizen_nagoya-1301本丸北口を出るとかなり細く曲がりくねった道になる。裏口感満載。

hizen_nagoya-1302北口から出たところ。左を見ると、本丸石垣に沿って、水手曲輪が奥に見える。

hizen_nagoya-1303右を見ると、三ノ丸の北端へ通じる細い道があった。古い看板は、築城当時、誰が三ノ丸の各部を普請担当したかが書かれている。

hizen_nagoya-1310本丸石垣に沿って細い通路を奥へ進むと、本丸大手前まで戻ってこれる(左奥に見える階段が本丸大手)。この辺りは曲輪が二段構成になっていて、それぞれに石垣が巻かれている。

hizen_nagoya-1312二段構成になっている場所から見下ろす本丸大手虎口。虎口へ侵入しようとする敵兵を見張るための建物が建っていたのだろうか。屏風絵では本丸隅櫓の影になっていて描かれていない。

hizen_nagoya-1313本丸石垣に沿ってそのまま奥へ進む。三ノ丸内部はほとんど見ていなかったので散策しよう。とはいえやはり目につくのは破却された本丸石垣隅部。

hizen_nagoya-1316三ノ丸中央部には城内高台部で唯一とされる三ノ丸井戸跡が残る。場所的には御殿の中だ。

hizen_nagoya-1316a-1318三ノ丸井戸跡 説明板。破却時に埋められたようで、どれほどの深さがあったものなのかは不明。三ノ丸はほぼ盛土のため、湧水部分まではかなりの深さが掘ってあったとのこと。ここも調査の結果、上部1.5mほどは雑然と積まれているがそれより下はしっかり積まれていることから、上部は後年に積み直されたと想定されている。

hizen_nagoya-1317三ノ丸井戸。水はもう無く、土で埋められいるからか、すぐに枯葉の層が見えている。

hizen_nagoya-1320s更に三ノ丸の奥へ。本丸の南側を迂回する形で二ノ丸方面へ向かう事ができる「伝馬場」跡の入口へやってきた。このあたりは訪問当時修復工事の最中だったのか、職人の方が石垣に登って作業中だった。おつかれさまです。

hizen_nagoya-1323伝馬場への入口には櫓台跡が残る。

hizen_nagoya-1324三ノ丸櫓台跡。登ってみようとしたが柵で覆われていて入れなかったので入口だけ。登れる櫓台も多いので、恐らくまだ整備(石垣修復工事)が済んでいないからだろうか。

hizen_nagoya-1325a-1321三ノ丸櫓台 説明板。城内最大規模の櫓台という。伝馬場側の石垣には鏡石(巨石)が埋め込まれている。また櫓に隣接する形で古い石垣の上に門礎石が見つかっていることから、伝馬場へ通じる道に門が築かれたのは築城より後の拡張期だったようだ。

Part4では伝馬場を通って二ノ丸をちらっと見て(タイムオーバー)、最後に博物館の展示物を一部紹介します。

>> 肥前名護屋城 [4/4] へ続く。<<


訪問時期:2014年10月
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