平戸城 [1/4] 城の南側に残る一ノ大手門跡(亀岡神社参道)より登城

古くより肥前國を拠点にしていた松浦党(まつらとう)の一派である松浦鎮信は、戦国末期に平戸城の前身となる日之岳城を築いた。しかし江戸初期までに日之岳城は焼失、大火による焼亡とも、家康への恭順を示すための焼却とも言われる。その後 1704年になって幕府の許可を得て日之岳城跡に新たに「平戸城 (当時は「亀岡城」と呼称した)」を再築、山鹿素行(やまが そこう)を祖とする兵学「山鹿流」にて14年の歳月を掛けて完成させた。城は明治維新で破却され、門と櫓1棟が現存する。昭和になって跡地に天守や櫓群が復興された。

平戸城<基本データ>
●名称: 平戸城 (別名 亀岡城)
●所在: 長崎県平戸市 (マップ)
●築主: 松浦鎮信 / 松浦棟
●築城: 1599年 / 1704年
●遺構: 北虎口門、狸櫓、石垣
●関連: 平戸城公式サイト


<訪問記>

hirado-0956平戸城 遠景。平戸城は実は九州本土ではなく「平戸島」の最東端にある。この写真は九州本土から平戸島へ渡る橋の上から撮影。

hirado-0960平戸城(亀岡公園)マップ。城の周辺には学校などがあることから多くの駐車場がある。今回は天守の真下(北)にあたる、元 外郭 に車を停め、ここから散策をスタートする。とはいえ、駐車場からいきなり本丸へ上がる道が整備されているが、ここからではなく、ぐるっと反対側まで回って「大手口」から登城することにしよう。写真の地図では、現在地は左下、大手口は一番上にあたる。右回りでぐるっと回り込む道を進む。

hirado-0961a-1132外郭から見上げる平戸城 天守。なおこの天守は「模擬天守」で、当時は本丸にこんな建物は無く、いくつかの櫓が建っているのみだった。天守の代用としては二ノ丸に建てられた三層の乾櫓(昭和に復興)が担当したという。

hirado-0964では外郭から大手口へ向かって進んでいこう。この道は古絵図にも載っている街道で、松浦氏の居宅や御花畑などが並んでいたようだ。現在もこのとおり石垣が残る。

hirado-0966かなり草に覆われてはいるが、はらんでもいないしっかりとした石垣。ちなみにこの上は松浦氏の末裔の方の居宅とのこと。

hirado-0970道に沿って南下。道の向こう側(西側)に門が見える。左の工事中のビルは平戸市役所。

hirado-0972左右に土塀が有り、いかにもな薬医門だが、市役所の門とのことで遺構ではないそう。門の奥に見える石の橋は、平戸城築城時(1702年頃)に架けられた石造アーチ橋「幸橋(さいわいばし)」。何と重要文化財。オランダ橋とも言われる。

hirado-0973a-0969s対岸に見える白亜の洋館は「平戸オランダ商館(復元)」。江戸初期にオランダとの貿易の拠点として建てられたが、その後の鎖国政策で貿易拠点が出島に限定されると1640年に建物は破壊された。現在の建物は、1639年築造の倉庫の破壊直前の姿の復元で、付近には建物だけでなく井戸や発掘遺構、オランダ塀や復元石垣などもあるという。機会があればまた訪れてみたい。

hirado-0976s外郭と大手口のちょうど中間点ぐらいにある石段は、旧 三の郭(現 亀岡運動広場)へ通じる石段。

hirado-0977石段の途中にあった案内図。

hirado-0980パンフや地図等には載っていないが、三の郭への門跡が残るというので、住宅街の小道へと入る。奥のグラウンドの入口に門跡が残る。

hirado-0981a-0985グラウンドの入口へ到達。向かって左側の石垣は壊れてしまっているようだが、右側には石垣が残る。

hirado-0982グラウンド入口、旧三の郭門跡の石垣。虎口を形成していたようだ。

hirado-0984L字型に構築された石垣。櫓門が建っていたのだろうか。説明板等はここには無し。

hirado-0987道に沿ってどんどん進む。途中、あの「ジャ◯ネットたかた」の発祥の地(社長の実家)もあった。そうこうしているうちに、大手口へ到着。大きく「平戸城」と書かれた看板の指す車道は駐車場へ向かう道。旧 大手道はその右側、亀岡神社への道だ。

hirado-0989旧 大手口。御殿跡(二の郭)は現在 亀岡神社境内となっている。

hirado-0990石段を上がって、亀岡神社 一の鳥居へ。古絵図を見る限り、この参道は当時の道のようだ(ただし石畳や石段は神社の普請かと)。

hirado-0993亀岡神社 一の鳥居。

hirado-0994城とは関係ないが、九州地方の石鳥居の上部の石(笠木)およびその下の石(貫)は、ほとんどがこのように三分割されている。真ん中の石はまさに「載せてあるだけ」なのだが、地震等で落ちることもないとか。不思議。

hirado-0995参道は、中央部は神社の参道のためか石畳となっているが、周囲は往時のままと思われる土ベース。端っこはこのとおり「土塁」となっていた。その下は古絵図のとおり「空堀」、だが、草ぼうぼうで写真ではよく分からない。

hirado-0997参道をそのまま真っすぐ進むと二の鳥居へ。大きな石垣がある。ここが平戸城 一ノ大手門跡 だ。打込み接ぎの素晴らしい石垣が残る。

hirado-0998鳥居をくぐる。石垣の間にはしっかりとした礎石が残り、ここに巨大な門が築かれ堅固な防衛施設だったことが伺える。参道の石畳のとおり、大手虎口らしく道は門を入って左へと折れ曲がる。

hirado-0999a-1002s平戸城 一ノ大手門 礎石。柱穴もしっかりと残っている。

hirado-1001一ノ大手門を越えて大手虎口の中へ。右側を見ると、石垣の上の土塀に張り付くための石段(雁木)が残っている。この向こう側は往時は空堀だったので、空堀へ入ってきた敵兵を攻めるための設備。

Part2では、大手虎口を越えて二の郭の御殿跡へ向かいます。

>> 平戸城 [2/4] へ続く。<<


訪問時期:2014年10月
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