原城 [1/4] 本丸北面には破壊された生々しい石垣残骸が延々と続く

室町〜戦国期に肥前を治めていた有馬氏により15世紀末頃に築かれた原城は、有馬氏の本拠地である日野江城よりも堅固な城だったという。江戸時代に有馬氏が転封となり、代わりにやって来た松倉氏により近代城郭・島原城が築かれ、原城は一旦廃城となった。しかし松倉氏の失政により勃発した巨大一揆「島原の乱」で反乱軍の拠点となり一躍有名となる。原城に籠城した反乱軍は後詰も補給も無い中で3ヶ月絶えるも最後は壊滅、原城も徹底的に破壊された。近年の発掘調査で大量の人骨や十字架等に加え、巨大な虎口や屋敷跡、竪穴住居跡などが発見された。

原城跡<基本データ>
●名称: 原城 (別名 日暮城)
●所在: 長崎県南島原市 (マップ)
●築主: 有馬貴純
●築城: 15世紀末
●遺構: 石垣、曲輪、空堀
●関連: 長崎県HP南島原市HP


<訪問記>

原城跡へは以前は島原鉄道に乗って行くことができたが、平成20年に島原外港以南の路線が廃止されてしまったため、公共機関は今はバスしかない。原城跡の本丸前には無料駐車場があるので、車で行く場合はそこを目指そう。

harajo-0823a-0827本丸前の駐車場へ。いきなり目の前に広がる、低く長い石垣。往時は本丸全体を堅固にぐるっと囲んでいたそうだが、島原の乱後に徹底破壊されてしまったため、今は僅かに低い石垣が残るのみ。それでも近年の発掘調査と整備事業により、多くの石垣が目に見える形で整備されている。

harajo-0824まずは駐車場に設置してある原城跡 説明板から。ボタンを押すと各国語で音声ガイドが鳴る仕組みになっていたようだが「音声ガイド故障中」の寂しい表示が。各国語版を用意したのだから、故障表記も英語でも書かないといけない。現在地は本丸の北西部にあたる。

harajo-0825音声ガイドが聞けないので、文字を細かく読んで予習しよう。原城は室町時代に肥前を治めた有馬氏により築かれたが、今みられる石垣は慶長期に築かれたもののようだ。往時は屋敷や三層の櫓もあったという。1615年に廃城となったが、恐らく殆どはそのままになっていたため、廃城から20年後の一揆で拠点とされ3ヶ月も籠城に耐えたのだろう。

harajo-0826a-0823本丸へ入る前に、まずは駐車場裏に広がる巨大な「空堀」跡を見る。原城本丸は有明海に面しているため、この位置に巨大な空掘を築くことで本丸を孤立した「島」状態にすることが出来たという。パンフによると、この堀は島原の乱の際に反乱軍によって築かれた可能性が高いとか。

harajo-0826b-0822空堀 説明板も立っていた。防衛設備だけでなく、籠城時に非戦闘員を匿う場所にもなっていたとのこと。こんなところに収容された吉利支丹(非戦闘員)たちは、生きた心地がしなかったことだろう・・・!

harajo-0826c-0949本丸前の空堀。空堀の向こう側は、パンフによると「鳩山出丸」という曲輪だったようだ。

harajo-0826c-0950本丸前の空堀。車道は当時からあったかどうかは分からないが、なかったとしたらまさに陸の孤島。

harajo-0828本丸への入口は現在は2つ発掘されており、西側の「本丸大手門跡」、東側の「池尻口門跡」がある。逆ルートかもしれないが、破却された石垣がずっと続く城壁部分が気になって仕方ないので、東の池尻口門方面へ向かおう。駐車場から本丸へ向かって左のこの細い道を進む。

harajo-0830本丸石垣。隅部が壊された「破城」のスタイル。石の表面が土色に変色していることからも想像できるとおり、発掘調査が行われるまで辺り一帯は完全に土に埋もれていたとか(現地ガイド氏 談)。よくぞ掘り起こしてくれました。

harajo-0832では城壁に沿って奥へ進もう。横矢掛けとも言うべき石垣の曲がりの部分に、崩された石が散乱している。隅部は完全に壊され土が露出している。看板が立っている。

harajo-0832a-0834石垣内隅部。石垣の上部が崩され、その下が石に積まれている。石垣の巨石の裏に詰められる栗石と呼ばれる小さな石が露出している部分もある。この栗石は織豊期以降の石垣技術のため、原城の石垣も織豊期の技術が使われている(つまりそれ以降の構築)ということが分かる。面白い!

harajo-0833石垣内隅部 説明板。石垣を壊し、出た石を投げ込み(曲輪の上から壊し、下に落とすイメージか)、埋めてしまったという。中には瓦片も多く出たことから、1615年(一国一城令)の破城では島原城築城のために持って行かれた資材以外は壊すことなくほぼ放置状態、島原の乱時にはまだ建物も残っていたことが伺えるという。

harajo-0834a-0842城壁側から北東方面を見る。正面の低い部分は蓮池、島原の乱時は先ほど見た堀切とあわせて右側の本丸を孤島化していたという。そのまま有明海まで低い部分が続いている。左側の高い部分はパンフによると二ノ丸跡。

harajo-0835 では城壁散策に戻る。隅部の壊されっぷりが半端ない。栗石がゴロゴロ。痛々しい。しかし土に埋もれていた部分をよくここまで発掘してくれました。南島原市おつかれさまです。

harajo-0845城壁の壊されっぷりをガン見しながら奥へ進んでいく。というか、破壊された石垣が生々しく壮絶すぎて、なかなか前へ進めない。この迫力!

harajo-0846更に奥へ。石垣の手前(外側)には犬走りとも思える土台が築かれている。このあたりの石垣の破損は少なめなようだ(積み直しかもしれないが)。

harajo-0847やや複雑な折れ曲がりをした城壁部。ここから上に上がれそうな感じもあるが、往時もそうだとしたら、この真上は本丸中心部(天草四郎家)なので、それはないか。

harajo-0848栗石が露出しているのか、単に古い石垣なのか、大小入り混じった不思議が印象の原城跡 石垣。このあたりは発掘して出てきたものを古絵図に合わせて積み直した?

harajo-0849このあたりの破壊っぷりも凄まじい。

harajo-0850手前の石垣と奥の石垣との定番構図。城跡の広さを感じられる。

harajo-0851そして池尻口門跡へ。坂の上が門跡。このあたりの石垣は上部が壊されているだけで、下部は比較的キレイに残っている。

harajo-0852池尻口門跡 付近から西側、本丸大手門方面を見る。右端の車が停まっているあたりがスタートした駐車場。城壁に沿って歩いてきただけでPart1が終わってしまうほど、見どころの多い城壁だった。オススメ。

Part2では池尻口門跡から本丸へ入ります。

>> 原城 [2/4] へ続く。<<


訪問時期:2014年10月
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