島原城 [後編] 大天守内は島原の乱・吉利支丹の史料が大量展示!

島原城前回までの島原城 訪問記。

本丸大天守の周囲に外観復元された、丑寅櫓、辰巳櫓、西の櫓を見て回る。櫓の中は開放されているが、島原城とは関係のない銅像や絵画等の展示がなされているようで少し残念。

後編では大天守へ入ります。


<訪問記>

shimabara-0773s西の櫓 付近から見た大天守。個人的にはこの角度から見る島原城天守が好き。でもやはり、大天守の真ん前が駐車場という実に無粋な配置は如何なものか。大天守の外観を楽しむなら車の居ない朝一に来るしか無さそうだ。

shimabara-0775大天守の前に建つ島原城由来 看板。新興大名松倉家が分不相応なこの大城を建てたが故に住民が過酷な年貢に苦しみ、また吉利支丹の厳しい弾圧(大量虐殺)を行ったことで、37000人もの市民が殺される結果となった「島原の乱」が起こったという、一番この城を有名にした事実が記載されていない。むしろ「一揆軍の猛攻をしのいだ名城」みたいな雰囲気で書かれているのは、いかがなものか。。。

shimabara-0775a看板に描かれていた「ありし日の島原城」。油絵? いい感じ。石垣が大きく折れ曲がっているので、本丸の東南側からの姿。破風の無い、ひょろっとした大天守の姿は、丹波亀山城を思い起こす。

shimabara-0776a-0778sでは大天守へ。外観復元のため、内部はコンクリート造り。展示物に期待。なお大天守前では忍者や袴姿のスタッフさんが観光客との写真撮影に応じていた。撮影用か、ちょっとした甲冑セットなんかも置いてある。こういうの、大事です。100名城スタンプは大天守入口の受付で。

shimabara-0776b-0780大天守内へ。吉利支丹および島原の乱に関する史料が大量に展示されている。なお大天守内は以前は撮影禁止にしていたが、最近撮影OKにしたと担当者の方が仰っていたので、がっつり撮影。

shimabara-0776c-0779島原切支丹地図。

shimabara-0777島原藩所有の大砲。島原藩の砲術師範である宮川氏と御用鉄砲鍛冶の国友氏が、幕末に造ったもの。百匁石火矢大筒「貞夫一 (ていふいち)」。江戸時代に試射したら3km先の山に着弾したとか!

shimabara-0782島原の乱パネル。興味深いのは下部、島原半島の地域別に見る各村の一揆参加状況。島原半島全域の吉利支丹が反乱したのかと思っていたが、一揆に参加したのは主に半島南部の「南目」と呼ばれる地域のみで、北に行くほど参加率が下がり、北部はほぼ不参加だったようだ。

shimabara-0783島原の乱 詳細説明。27000とも37000とも言われる反乱軍だったが、一度は討伐軍を撃退するも、第二陣の大軍および食料弾薬不足により壊滅、ほぼ全滅したと言われる。

shimabara-0784島原の乱の最後の大舞台となった原城跡ジオラマ。島原の乱は「島原半島で起こった反乱」という意味で、島原城で起こった反乱というわけではない。原城跡は島原半島南端に築かれていた城で、有明海を背に石垣で堅く守られていたが、一国一城令で廃城となり、石材などが島原城建設に伴い運ばれたとされていたが、反乱軍はその原城へ籠城、3ヶ月に渡って討伐軍と戦ったという。廃城といっても使わなくなっただけで、そのままにされていたのだろう。島原の乱後、幕府は全国の廃城済み城跡を徹底的に壊すよう各藩へ指示、全国に多く残っていた城跡が破壊されてしまう。

shimabara-0787島原藩に伝わる甲冑も多く展示。

shimabara-0787a-0785島原藩家老板倉家に伝わる甲冑。板倉家は1900石の筆頭家老で、藩主の松平家が三河に居た頃から仕える古参家臣だったとか。

shimabara-0790では最上階の展望台へ。

shimabara-0791最上階 廻縁。外観復元とはいえ、細かく見ると鉄のレールで扉がスッスと動く仕組みだったりする。

shimabara-0792大天守から南西方向を見下ろす。見えている櫓は「西の櫓」。

shimabara-0795大天守からは裏側の大扉から外へ出る。天守台に二箇所も入口を設けることは通常は無いと思うので、こちらは外観復元時の新設かな?

shimabara-0810a-0719s大天守の観覧を終えて外へ出てくると、運良く車が一台も停まっていない状態だったので、再度撮影。本来は大天守の周りには本丸御殿などが建ち並んでいたため、こうして大天守がポツーンと建っていることは無かっただろうが、それでも大天守の周りに何台も車が停まりまくっているよりかは断然良い。

shimabara-0821sこの角度も捨てがたい、島原城大天守。車は居ないが人が集まってきたので、写真撮影はこれぐらいにして、島原の乱繋がりで次の訪問地 原城跡 へと向かった。

破風が一切無いシンプルイズベストな姿で有名な島原城。どうしても切支丹や島原の乱関連の展示が多いので、乱の舞台となった原城跡と合わせて訪問したいところ。なお江戸時代の遺構はほぼ「石垣」と「堀」なので、本丸内だけでなく、その周囲の高石垣や近くに残る武家屋敷なんかも見て回りたいところ。(今回は時間の関係で武家屋敷は泣く泣く断念)


訪問時期:2014年10月
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