島原城 [前編] 本丸石垣西面をぶち抜いて造った車道から本丸へ

1616年(元和二年)、島原藩主となった松倉重政は、7年の歳月を掛けて島原城および城下町を築いた。破風など飾りを一切もたない「層塔型」天守として有名な島原城は4万石の松倉家には過分な大城だったため領内では過酷な税の取り立てが行われ、キリシタンへの熾烈な弾圧もあり「島原の乱」が起きたとされる(乱時の藩主だった二代松倉勝家は乱発生の責任を取らされ斬首!)。その後 4氏19代を経て明治を迎え、城は払下げ・解体された。昭和になって大天守および櫓群が復元された。

島原城<基本データ>
●名称: 島原城
●所在: 長崎県島原市 (マップ)
●築主: 板倉重政
●築城: 1624年 (寛永元年)
●遺構: 石垣、堀
●関連: 島原城ポータルサイト


<訪問記>

島原城は長崎県の南東端、有明海に面した雲仙岳のある半島にある。陸路でもグルリと回れば到達できるが、今回は熊本港から有明海を渡って島原港へ上陸するルートを取ろう。

shimabara-0701有明海を渡るフェリーの上から。正面奥の一番高い山一帯がいわゆる雲仙岳。島原城は向かって右の山裾の方にある。

shimabara-0704肉眼ではフェリー上からも十分見えていたが、写真だと全く見えないので、ズーム。高さ35mの大天守が木々の上に顔を出している。

shimabara-0705a-0808s島原へ上陸。島原港から北へ向かい、島原城下へ。島原城は江戸時代は水堀で囲まれた本丸・二ノ丸が廊下橋で連結され、本丸は二ノ丸からでないと入ることが出来ない構造になっていた。現在は三の丸(本丸・二ノ丸の周囲)から直接堀を渡って本丸(天守前)へ到達できる橋が西側に造られている。今居る橋が、それ。

正面に見える三層櫓は、昭和35年に再建された西の櫓。

shimabara-0705b-0800橋の上から本丸周囲の堀を見下ろす(北向き)。江戸時代の人はこの角度から堀を見ることは出来なかった。

shimabara-0705c-0801同じく、橋の上から南側を見る。こちらは堀に水が残っていた。よく見ると、こちら側は堀の下へ降りる道が作られていた。城に入る前に堀へ降りてみよう。

shimabara-0705d-0802堀へと降りる坂道の途中から本丸を見上げる。正面の石垣は江戸初期の築城時のものだが、その左側に積まれた土塁は廃城後のもの。道の新設にあたって、石垣も一部壊されたということか。

shimabara-0705d-0803堀から本丸西の入口を見上げる。本丸周囲の高石垣は野面積み(打込み接ぎ?)だが、橋の土塁の脇から僅かに見える石垣は落し積みに見える。それにしても、なぜこんなに土塁が大きく積まれているのだろう?

shimabara-0705d-0806堀の下まで降りた。南西端から本丸を見る。石垣の南側は完全に草に覆われてしまっているようだ。よく見ると、新設された西側の橋の土塁の下側には僅かに石積みも見られる。なお本丸の周囲をぐるりと巻いている銃眼付きの土塀も残念ながら昭和の復元。

shimabara-0705d-0810本丸南西側から超広角レンズで全景を撮る。本来は左側に見える「本丸西橋」は無く、両方とも水濠が奥まで続いていた。いっそ土橋は壊して簡易な木の橋に掛け替えるか、あるいは江戸時代のように二ノ丸側から廊下橋で入るように戻してはどうだろう?

shimabara-0706a-0813堀の見学はこれぐらいにして、いよいよ本丸へ向かおう。本丸西側の石垣をぶちぬいて本丸へと続く車道。奥に見えるは天守ではなく西の櫓。

shimabara-0706e-0814本丸へと続く車道。内側の石垣は明らかに本丸周囲とは異なる、正確に切られた石が整然と並ぶ、いわゆる切込み接ぎ。せめて雰囲気をあわせて野面積みにしてほしかった。道は左へと曲がる。

shimabara-0706f-0815本丸へと続く道。江戸時代の道ではないが、一瞬そうかと思ってしまうほど、虎口のような折れ曲がり方をしている。奥には大天守が垣間見える。

shimabara-0706g-0796車道を振り返る。本当に往時の食い違い虎口のような折れ曲がり方。ただし直角ではなくS字カーブになっているのが昭和風。

shimabara-0707a-0718いざ、本丸へ。西側車道から本丸へ入ると、正面にいきなりそびえ立つ五層大天守がお出迎え。これはすごい迫力だ。破風などの屋根の飾り要素が一切ない、まるでピラミッドのような層塔型天守。一番下の層にだけ瓦を埋め込んだ「なまこ壁」が施されている。瓦と瓦の間の漆喰がナマコのような形をしていることから「なまこ壁」と呼ばれる。一般的には金沢城の城壁で有名。天守台は江戸時代のもの。

shimabara-0707d-0819s天守内の見学は最後にして、まずは本丸内を散策しよう。大天守の周りには何もなく、駐車場となっていた。訪問時、車がひっきりなしに出たり入ったりしていたが、ちょうど居なくなったタイミングで撮影。島原城の目玉であるはずの大天守の真横に車を停めるこの構造は如何なものか。

shimabara-0708大天守 北面へ。こちら側には出窓がついていた。出窓の下の石垣に貼り付けてある白い看板は、日本テレビの「鉄腕DASH」で水鉄砲合戦をしたときのもの。島原城は重文でも国史跡でもなく島原市史跡なので、石垣の上にバラエティ番組の看板を数年に渡って設置するなんていう暴挙が許されているのだろう。だめだこりゃ。

shimabara-0711気を取り直して大天守の東面へ。こちらには大天守の出口があったが、往時からあるのかは不明。

shimabara-0721天守の北側には梅園があり、そこには石垣が多く残っている。石垣の迷路を越えると、二ノ丸へと続く廊下橋があったようだ。橋はもう無いが(堀を伝って二ノ丸へは行くことができる)二ノ丸方面へ向かってみよう。

shimabara-0723島原城梅苑内へ。屋敷か土蔵かが建っていたのか、低い石積みで迷路のように入り組んだ通りになっている。道に沿って奥へ向かおう。

shimabara-0725島原城梅苑内の石垣。

shimabara-0726島原城梅苑内。

>> 島原城 [中編] へ続く。<<


訪問時期:2014年10月
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