島原城 [中編] 本丸内には外観復元の隅櫓やキリシタン墓碑など。

島原城前回までの島原城 訪問記。

熊本港から有明海を渡って島原港へ。本丸は江戸時代、内堀に囲まれて二ノ丸経由でないと入れなかったが、現在は西側の内堀と石垣を破壊する形で車道が直接本丸に乗り入れる形に改変されている。そこが現在の島原城入口とのことで、そこから入城。独特な層塔型の大天守を色んな角度で見てから、まずは北にある梅園の石垣を散策。

Part2では旧廊下橋があった二ノ丸への入口および本丸内の櫓へ。


<訪問記>

shimabara-0729本丸北側の梅苑の石垣。屋敷や御殿が建っていたのか、低い石垣が迷路のように構築されている。今は梅苑。とはいえ二ノ丸からの入口にあたる場所、鏡石とも思える巨石があちこちに埋め込まれていた。

shimabara-0730ここにも巨石が埋め込まれている。

shimabara-0734sここが本丸と二ノ丸(奥)とを遮る堀。今は石段で堀の下へ降りて二ノ丸へ上がる形になっているが、当時は水堀で本丸〜二ノ丸間を御廊下橋(屋根付きの橋)がわたらされていた。堀底は菖蒲園になっており、石垣の形を見て当時の様子を想像する他ない。

shimabara-0735二ノ丸との堀に面した本丸の石垣隅部。加工度は低いが、しっかりと積み上げられている。堀に面した側は草ぼうぼうで石垣は見えない。

shimabara-0736本丸北東部の石垣。草の生えっぷりがスゴい。思えば堀底を歩いて二ノ丸〜三の丸を自由に行き来できたので、行ってみればよかった。内堀の中を自由に歩き回れる近世城郭も珍しい。次回はぜひ。

shimabara-0738二ノ丸から本丸へ入ってすぐあたりにある石垣に埋め込まれた巨石(鏡石)。よく見ると下部には石を割った時に付けられた矢穴が残っている。

shimabara-0743s二ノ丸方面から梅園を抜けて本丸中央部へ戻る。再度 大天守がお出迎え。向かって左側へ向かい、復元された本丸内の三棟の櫓を見て回ろう。

shimabara-0744a-0749まずは北東端にある「丑寅櫓」、現在は「民具資料館」として内部が無料公開されている。民具とはいうものの江戸時代ではなく明治〜昭和期のものとのこと。大天守と同じくシンプルな層塔型。

shimabara-0745丑寅櫓の少し南側にある「御馬見所」。看板によると江戸時代は三之丸にあったものを廃城後に保存のためここに移築したとか。幕末に建てられた建物で、藩主が藩士たちの訓練状況を見るための場所だったという。

shimabara-0746御馬見所。有形登録文化財。残念ながら内部非公開。城内の建物では唯一 江戸期から残る建物。

shimabara-0750a-0754本丸内 南東端に復元された「巽櫓」。現在は「西望記念館」として運営されている。東側にあるのに西望とは、と思いきや、北村西望という島原出身の彫刻家の作品展示場として使われているため、この名が付いたとのこと。時間の関係もあり中には入らなかったが、櫓の周囲にも西望氏の著名な彫刻が展示されているので、馴染みの深い彫刻をメインにいくつか見てみよう。

shimabara-0752目を閉じて祈る青年像。島原の乱で反乱軍の棟梁して担ぎあげられた若きキリシタン「天草四郎」の像。島原の乱の激戦地となった原城跡にもある像だ。

shimabara-0753馬に乗りながら後ろ向きに弓を射る青年像、岐阜城下にある「若き織田信長公」像も、西望氏のものだったのか!

shimabara-0754a-0756辰巳櫓から伸びる土塀に沿って西へ。途中には鐘撞堂があった。実はこれも昭和の復元。

shimabara-0755西櫓は少し高台の上に建っている。櫓の前には歴代藩主のノボリが建てられていた。国技館のようだ。右から二番目の「松倉長門守重次(勝家)」が、島原の乱を引き起こし江戸で斬首された藩主。

shimabara-0758では西櫓へ。大天守同様 本体に破風は無いが、入口が切妻破風によるものとなっている。中は名城画やコケシ等の展示施設。

shimabara-0758a-0763西の櫓。シンプルな島原城において、一番オシャレな建物。昭和35年に外観復元。

shimabara-0761西の櫓前は前述のとおり高台になっていて、大天守がよく見える絶好の記念撮影スポットになっている。左の方には城内の出土品が展示されているようだ。

shimabara-0764左は籠城用の梅干かめ。廃城時に市民が貰い受け保存していたものとか。右は石造りの水道管、三の丸に設置されていたもので、中央を繰り抜いた石を漆喰で接合し水道管として水源と城内を結んでいたとか。松平氏治世の18世紀末のもの。

shimabara-0765キリシタン墓碑。こうした独特のカマボコ型墓碑などが市内で120ほど見つかっているとか。奥に説明板がある。

shimabara-0766キリシタン墓碑 説明板。右側のものはなんと慶長八年(1603年)のものだとか。

shimabara-0767西の櫓の高台から見る島原城 大天守。真下から見るより少し高いところから見たほうがよく見える。

後編では大天守内を見学します。

>> 島原城 [後編] へ続く。<<


訪問時期:2014年10月
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