此隅山城 [前編] 比高130mの山上に残る但馬最大規模の山城跡。

此隅山城[このすみやまじょう]は、室町幕府下で但馬守護として一大勢力を誇った山名氏が築いた城。14世紀後半に築城され、15世紀末には此隅山城が山名氏の守護所(本城)となったと伝わる。山名氏一門で但馬だけでなく因幡・播磨・備前・美作など周辺国を治め、全盛期は全国66カ国のうち11カ国を領し「六分一殿」と称された。しかし応仁の乱やカリスマ当主 山名宗全の死去などで次第に勢力は衰え、1569年の織田軍による但馬侵攻で此隅山城は落城。その後新たに有子山城を築くも、1580年 羽柴秀吉による再度の侵攻で有子山城も落城、当主の山名祐豊は程なく死去、息子の氏政は因幡へ逃亡し、但馬山名氏は滅亡した。此隅山城は落城で廃城となったが、土塁・堀切が今もよく残っている。

此隅山城<基本データ>
●名称: 此隅山城 [wikipedia]
●所在: 兵庫県豊岡市 (マップ)
●築主: 山名時義 ?
●築城: 1372年 ?
●遺構: 土塁、堀切、曲輪
●関連: -


<訪問記>

此隅山城跡への登山道はいくつか整備されている。せっかくなので登りと下りを別ルートにしてみよう。出石城下で入手した此隅山城パンフ記載の縄張図を元に検討した結果、行きは「いずし古代学習館」裏、帰りはその東の「袴狭登山口」に決定。

konosumi-0330「いずし古代学習館」到着。学習館は入場無料の歴史展示施設、付近の山城に関する資料も展示されているので、此隅山城の帰りに寄ってみよう。建物の裏手の山が此隅山城跡。登山口はこの建物の向こう側、2つの建物の間の道から山麓へ行けばいいようだ。

konosumi-0332建物の間から山裾へ。山の周囲は動物避けのため網柵が張り巡らされているので、入口以外からは入れないことに注意。此隅山史跡 見学路入口、と大きく書いてある。赤い扉を開けて中へ入る。開けたら、閉めよう。実際の登山口は、柵の内側、左端に見える説明板の横に階段がある。

konosumi-0335此隅山城 説明板。なかなかに詳細な縄張図と、説明文が記載されている。縄張図を持っていない場合は、この地図をデジカメ・スマホに収めて見ながら歩こう。登山口は合計3つ、今回は左上(今いる場所)から入って右上から出よう。南に抜けるルートもあるが、戻るのが大変。山頂の主郭を中心にして、放射状に伸びる尾根に沿って曲輪が段々に築かれている、いわゆる「放射状連郭式」山城。

konosumi-0337では、説明板の左にある階段から、此隅山城跡へ上がろう。草が刈られ、登り易く整備されている印象。地元の方々おつかれさまです。こういった城跡整備のボランティア活動に、いずれ参加したい。

konosumi-0338山上には、あちこちにこうした方向板や、解説の説明板が建てられていた。迷い易い中世山城で、これは非常に助かる。主郭まで約500m。

konosumi-0340このあたりは古墳だったようで、古墳上の地形として説明板が建てられていた。現地ではどこがどう円墳なのかよく分からなかった。まあ古墳を見に来たのではなく城跡を見に来たので、特にこだわることもなく奥へと進む。

konosumi-0341しばらくは尾根道が続く。なんとなく道があるような無いようなという状況なので、木に巻かれたビニールテープなどを参考に上へあがっていく。

konosumi-0343尾根道。緩やかな上り道に安心していると・・・

konosumi-0345急に坂道が現れた。方向板は、坂の上を指している。有子山城のようにトラロープも出現。主郭まで300m。

konosumi-0347坂をあがりきると、ちょっとした削平地。説明板が建っている。

konosumi-0348「城郭遺構 曲輪」。山城ビギナーにも優しい此隅山城。イイネ。防御陣地のルビが何故か「んち」になってるのが気になる。

konosumi-0350曲輪の奥には、尾根道をさえぎるように掘られた「堀切」。真ん中は土橋のようにも見えるが、埋もれてしまって分かりづらい。パンフの縄張図には、小さく記載されていた。

konosumi-0355更に奥へ進むと、大きく削られた堀切が出現。此隅山城 最大の堀切だ。堀切の向こうの尾根の上が、主要部西部にあたる。

konosumi-0356「城郭遺構 堀切」説明板。尾根を分断するように開削された溝。溝というには巨大すぎる気もするが、分かり易い説明だと思う。「竪堀」は「かたぼり」ではなく「たてぼり」と読む(山城あるある)。斜面の上下方向(垂直)に掘ったものが竪堀で、水平方向に掘ると「横堀」となる。

konosumi-0358主要部西部へ。ここには曲輪の周囲に土塁が残っている。曲輪の周囲に沿って土塁も折り曲げられている。パンフによると土塁西部の方形状の削平地には何かの建物が建っていたのでは?とのことだ。

konosumi-0359「城郭遺構 土塁」説明板。わかりやすい。

konosumi-0362土塁のある曲輪の更に西奥にも、見張り台的な曲輪があるようなので向かってみる。

konosumi-0364s主要部西端に建っている看板。かつて山城の南西にあったという「御屋敷」跡と「宗鏡寺砦」を望む、とある。いろいろ説明文が書いてあるが、ちょっと汚れすぎていて読みづらいのが残念。ということで、アップで紹介。

konosumi-0365s城跡西端の説明板 文面詳細。但馬守護山名氏の守護所(居館)が置かれた山麓西側の「御屋敷」跡と、それを北東南の三方から囲むように存在する「西曲輪(ここ)」「千畳敷」「宗鏡寺砦」の詳細が書かれている。また御屋敷跡の西側からは堀と土塁で囲まれた15-16世紀後半の古い武家屋敷跡や、此隅山城落城時の日付が書かれた木簡片も出てきたとか。

konosumi-0366此隅山城に集結する但馬山名軍の想像図。木々が伐採され、山麓からも城の状況がよく分かる。今いる場所が図中央少し上の高い見張り櫓が描かれている部分で、正面左の長い柵で覆われている場所が「御屋敷跡」かな。

こういう絵を見るたび、どこか一箇所でいいので当時の山城の姿を山まるごと復元してほしいと思うが、実際にやるとなると「土砂崩れの危険性」や「維持管理の大変さ(常に草刈り)」が想定され、実現は難しいなとも思う。ちなみに同じ図は麓の「いずし古代学習館」内にも展示されていたので、ゆっくり観たい場合はそちらで。

konosumi-0368現在の西曲輪からの眺望。訪問時は10月、まだまだ木々が生い茂っていて、御屋敷跡や千畳敷などは判別しづらい。

konosumi-0370では主郭へと向かおう。斜面に造られた道を進む。

konosumi-0372ここから主郭までは、小さな曲輪が連なっていてそれらを乗り越えていく感じとなる。

後編では主郭の散策、および山麓のいずし古代学習館を少し見学します。

>> 此隅山城 [後編] へ続く。<<


訪問時期:2014年10月
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