出石城 [前編] 高さ13m超の高石垣を誇る山麓の城跡 出石城へ。

応仁の乱で有名な山名氏の拠点だった但馬國出石(いずし)。織田軍侵攻による山名氏の滅亡後、関ヶ原で活躍した小出氏が所領した慶長期に、それまでの山城(有子山城)を廃して山麓に近代城郭”出石城”が築かれた。出石城は一国一城令で但馬唯一の城となり栄えるが、明治の廃城令で建物は破壊された。堀・石垣のみが残り、昭和になって模擬隅櫓が建設され、平成には模擬城門と模擬橋が建設された。城下町には武家屋敷も残る。有名な「辰鼓楼」は明治のもの。仙石氏時代に信州上田から持ち込まれた蕎麦が「出石そば」として人気となり、今に伝わる。

出石城<基本データ>
●名称: 出石城
●所在: 兵庫県豊岡市 (マップ)
●築主: 小出吉英
●築城: 1604年 (慶長9年)
●遺構: 石垣、堀、武家屋敷
●関連: 但馬國出石観光協会HP


<訪問記>

izushi-0000a-0321出石城跡は、山麓に段々に築かれた梯郭式(はしごのように曲輪が上から下に順に繋がる構造)であり、建物は明治に破壊されたが、今も高石垣や堀跡が残る。城跡の向かって右側に城門と橋があるので、そこから城内へ向かおう。ちなみに奥に見える山が、応仁の乱で細川氏と戦った但馬山名氏の居城「有子山城跡」。中世山城だが破城されなかったため石垣等がしっかりと残る。こちらへの登城記は「有子山城跡 訪問記」を参照。

izushi-0000b-0327では城の入口「登城門」へ。平成6年(1994) 建造。古絵図によると江戸時代にここに川は無く、橋もなく、石垣の空いた場所には「埋門」があった。石垣の向こうは「下の曲輪」、手前は「三の丸」。

izushi-0000c-0329登城門の前に架かる橋は「登城橋」と名付けられている。平成の建設とはいえ、ゆるやかなカーブを描く木の橋に横一直線の石垣の壁、太い柱が目立つ城門が、いい雰囲気を出している。大手門が無い以上、訪問客にとってはここが現在の城の入口なため、埋門よりも木の門の方が確かに良い、かもしれない。ただ、やはり、現地にその旨の説明書きは必要かと。

izushi-0000d-0323石垣は江戸期の現存。なかなかにカッコいいので、橋をわたる前に左右の角度からも楽しむ。

izushi-0000e-9987登城門。主柱の裏側に細い控柱があり、その上にも小さな屋根が載せられている、いわゆる「高麗門」形式。裏側の写真は失念。江戸時代の姿(埋門)とは異なる、いわゆる「模擬建造物」。

izushi-0000f-9988登城門左右の石垣を見る。ゴツゴツしたアラレのような、なかなかに荒々しい石垣。

izushi-0000g-9989登城門を越えて城内へ。上までずっと緩やかな石段が続き、左側にはそれぞれの曲輪への入口がある。手前から順に、下の曲輪、二ノ丸、本丸(復元櫓が建っているところ)、最上段(ここからは見えない)は稲荷曲輪。右側は西の曲輪。

izushi-0000h-9993二ノ丸の石垣。登城門の左右の石垣と雰囲気は似ているが高さが段違い、堅固な石垣。色黒な石材と、苔むした緑色とのコラボレーションが、いい感じ!

izushi-0000i-9995更に一段上の本丸上に建設された隅櫓(西)。当時は本丸西側には隅櫓は無く、多聞櫓だけだった。つまりこれは「模擬建造物」。隅櫓(西)の下の石垣には普請時の刻印が残るというが、見つけられなかった。

izushi-0000j-9996二ノ丸へ上がる石段と石垣。古絵図によると往時からの石段のようだが、かなり綺麗なので、修復はされているだろう。

izushi-0000k-9999二ノ丸へ。本丸隅櫓(西)の真下に「二の丸跡」の石碑が立つ。桜の巨木が隅櫓を覆い隠していて、少し残念。

izushi-0001二の丸。古絵図を見ると本丸と二の丸の間には斜めに大きな渡櫓が掛けられ、それぞれに建つ御殿間を行き来できるようになっていたが、今は一部の石垣にそれらしい段差が残るだけ。

izushi-0003二ノ丸を東へ抜け、城の東側を走る長い石段へ。この道は「稲荷参道」と呼ばれ、パンフによると37基の鳥居が建つ。この道を上がると、山上に残る山名氏の中世山城跡(有子山城跡)へ続く。

izushi-0004二ノ丸の東側には「山里丸」跡が残る。ここの算木積みの石垣は、城内で最も美しく加工され積みあげられた石垣。数寄屋や庭園があったとされるが、あまり整備されていないのか、草原と化していた。

izushi-0008稲荷参道を上がって、本丸跡へ。本丸には再建された模擬隅櫓および土塀だけでなく、出石城時代の遺構が残る。細かく見ていこう。

izushi-0011まず目につくのは、左側(山側)にそびえる巨大石垣。稲荷曲輪の石垣で、なんと高さ13.5m、但馬随一の高さを誇る。更にその手前には、僅かながらも本丸庭園跡(池泉跡)が見られる。草ぼうぼうだが、綺麗に整備すれば未だ庭園の姿をとどめていそうな気もする。惜しい。

izushi-0012本丸東端に建つ隅櫓(模擬)。当時もここに隅櫓は建っていたが、姿形は想像の模擬建造物扱い。

izushi-0013本丸西側に建つ御堂は「感応殿」。藩主仙石氏の祖・仙石”権兵衛”秀久公の偉業を偲んで、明治期に旧臣が造営した。中には秀久公の木造が安置されているというが、閉じられていて見られない。

izushi-0014感応殿 説明板。祀られる仙石秀久公は秀吉の古参家臣で、最後は信州小諸城主だったが、秀久公の死去後に仙石家は信州上田城主を経て、ここ但馬出石城主に移されてきた。以後 163年間、ここ出石の領主として明治を迎えた。

izushi-0015横には「出石そば発祥の由来」という立派な石碑も立つ。出石町を代表する名物「出石そば」は、信州上田から移ってきた仙石氏が、そば職人をここ出石に連れてきたことから始まった。蕎麦の黒い実をそのまま挽く「丸挽き」と、そば粉とツナギが10:1の「十割り」が特徴のそばを、出石焼の小皿に入れて頂くのが「出石そば」。

izushi-0018本丸西側から本丸を見返す。稲荷曲輪の高石垣の壮大さに改めて驚く。石垣の麓では発掘調査が行われていた。

izushi-0019a-0016稲荷曲輪の大石垣、西端。発掘調査で掘った穴の中にも石垣は続いていた。本当はもう少し高い?

izushi-0019a-0021稲荷曲輪の大石垣 少し角度を変えて。中央部が少し膨らんでいる(=はらんでいる)ようにも見える。そろそろ整備が必要か。

izushi-0020本丸西端から、模擬隅櫓と本丸・二ノ丸石垣、そして出石の城下町を眺める。定番・必見の眺望。

>> 出石城 [後編] へ続く。<<


訪問時期:2014年10月
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