名古屋城 [8/8] 尾張徳川家屋敷跡に造られた回遊式庭園「徳川園」へ。

名古屋城前回までの名古屋城 訪問記。

御深井丸に現存する乃木倉庫と西北隅櫓を見学後、内堀に沿って南下しながら大天守と西南隅櫓を見る。空堀となった内堀からそびえたつ巨大な石垣や、曲輪を隔てる「鵜の首」と呼ばれる細長い堀など、名古屋城の堅固な防衛設備を間近に見て感動。

Part8では西之丸正門二之丸東二之門(現存)を見学後、尾張藩の庭園跡に造られた日本庭園「徳川園」を軽く見学に行きます。


<訪問記>

nagoya-7564西之丸の西南端にある「正門」。元々ここには西之丸西門があったそうだが、地震で倒壊。明治時代になって名古屋城跡が「離宮」となると、江戸城の蓮池御門が移築され「正門」とされた。正門は元離宮となった後もずっと残っていたが、昭和20年、例によって米軍の無差別爆撃により焼失。昭和34年の大天守再建とともに、正門も再建された(鉄筋コンクリート造)。

nagoya-7572s西之丸正門を出て、名古屋城跡の入口となる場所へ。恩賜元離宮名古屋城、の石碑が建つ。ここは西之丸から三之丸へと繋がる場所にあたり、巨大な枡形を形成している。枡形の外側は、外堀。

nagoya-7575s外堀は巨大な土橋で渡らされている。橋の入口あたりには、特別史跡 名古屋城 の看板が立っていた。

nagoya-7576a-7573西之丸正門前の外堀の様子。こちらは西側、水が残っているが、手前の方は干上がって長いようで、草原と化していた。西之丸側は石垣だが、三之丸側は土塁。

nagoya-7577同じく西之丸正門前の外堀、東側。こちらは完全に水が抜かれ、一面の草原。三之丸側は土塁なので、もしここに鹿を放したら、土塁を上がって逃げてしまいそうな気もする。ではこの外堀に沿って東へ向かおう。

nagoya-7579西南隅櫓の正面あたりには、石垣の折れ曲がりがあった。石垣に張り付いた敵を横から射るための「横矢掛け」と呼ばれる構造。

nagoya-7580a-7582三之丸と二之丸を隔てる外堀。三之丸の土塁はかなり緩やかな角度になっている。見えないが、右奥は、元大手馬出と二之丸とを隔てる「鵜の首」。左側にもかつて存在したが、離宮時代に埋め立てられた。現場の石垣をよーく見ると、石垣の積み方からどのあたりが元鵜の首だったか分かる人には分かるかもしれない。

nagoya-7581では、三之丸から二之丸へと繋がる「二之丸大手門」へ。土橋の先には門が残る。

nagoya-7583名古屋城 最後の現存門、「二之丸 大手二之門」。他の現存門(二之門)と同じく、鉄板に覆われた巨大な高麗門。

nagoya-7584二之丸大手二之門 説明板。

nagoya-7584a-7587二之丸大手二之門 内側から。平成24年に解体修理された旧東二之門(本丸東門跡に移築)に比べ、漆喰や鉄板が古いまま。ガードレールが設置されていることから、ずっと開けっ放しなことが分かる。

nagoya-7585二之丸大手枡形へ。正面にはなかなかの鏡石が鎮座している。

nagoya-7588二之丸内から二之丸大手枡形を見返す。ここにはかつて、二之丸大手一之門と呼ばれる巨大な櫓門があったが焼失。

nagoya-7590s二之丸(南)内は巨大な敷地を利用して体育館が建っていた。二之丸は中央部で遮られ、北側は有料区域(名古屋城)、南側は無料区域(体育館)のようだ。

nagoya-7591体育館を横目に東へ進んでいくと、最初に入ってきた二之丸東門跡へ到達。入るときはあまりじっくり見なかった、枡形石垣をジックリ見学。なかなかきれいな、切込み接ぎ 布積み。

nagoya-7592二之丸東門 枡形の入口。右側の石垣は明らかに雰囲気が異なる(斜めに石を積んだ「落し積み」)。恐らく、明治の濃尾大地震でここの石垣が崩落し、その後 積み直したものだろう。

nagoya-7593二之丸東門枡形は少し堀に出っ張るような形で造られており、出っ張った所には堀に入ってきた敵を攻撃できるよう、雁木(石垣の上にあがるための石段)がしっかり作られていた。なおここにあった二之丸東二之門(現存)は体育館建設時に解体撤去された(!)が、建材は保存されており、その後 本丸東門跡に移築再建された。江戸時代の現存文化財より、新しい体育館が大事な、そんな時代の出来事。

名古屋城めぐりは以上でおしまい。本当はこのまま外堀に沿って北側を一周し、外堀越しに見る本丸や大天守、西北隅櫓等を見て回りたかったのだが、事情により次回とした。代わりに、元尾張藩主の庭園跡という「徳川園」を訪問した。

nagoya-7603a-7665地下鉄「大曽根」駅から徒歩 約15分。徳川園へ。こちらは「大曽根口」という入口だが、なんともう1つの入口である「黒門口」の前には、ここにかつて建っていたという尾張徳川家の邸宅の門(通称 黒門)が現存するという。しかしここから入ってここから出たため、見逃してしまった。残念。パンフレットは現地でちゃんと読もう。(参考:徳川園HPより黒門写真

nagoya-7604大曽根口から入った徳川園。巨大な池を中心に築山、滝、茶屋などが並ぶ回遊式日本庭園だが、係の方のお話によると、ここは完全に平成の庭園だという。二代目藩主の頃にこの地に建てられた尾張徳川家の邸宅・庭園(大曽根屋敷)は、13万坪を誇る巨大屋敷だったという。明治になって徳川家より名古屋市へ譲渡され「徳川園」として一般公開されていたが、またまた例によって米軍の無差別爆撃により崩壊。戦後はただの公園となり、ビルなども建てられていたらしいが、平成13年に日本庭園として再整備を行い、新生「徳川園」として公開された。そのため、ここにある庭園は、尾張徳川家時代にものではなく、すべて現代の作とのこと。

nagoya-7607冬に備えて藁の家に入る花々。かわいらしい。

nagoya-7611茶室 瑞龍亭。織田有楽斎を始祖とする尾州有楽流に因んだ様式になっているとか。

nagoya-7613茶室 瑞龍亭から見た庭園内の様子。

nagoya-7621s観仙楼。レストランやホールとして使われている。池の周りに建つ黄色いモノは「こもまき」された木々。害虫駆除の伝統的手法らしいが、近年の研究では効果があるどころか逆効果(害虫の駆除を殺してしまう)ということも分かっており、皇居外苑など最近は行われなくなった場所もあるとか。

nagoya-7633池の中にはたくさんの鯉が住む。

nagoya-7643観仙楼の横には「龍門の滝」と名付けられた滝がある。看板によると、尾張家江戸下屋敷(戸山屋敷)内にあった当代随一の大庭園にあった龍門の滝が、早稲田大学敷地内の発掘調査で遺構が発見され、その石をここに運んで戸山屋敷の龍門の滝を蘇らせた、とのことだ。龍門の滝跡で発掘された石材は計360個、江戸城築城時の余り石とも言われているとか。

nagoya-7646龍門の滝。このあたりに配置されている石材が、早稲田大学敷地内から見つかったという、戸山屋敷の遺構。滝はときどき流量が急激に増す仕掛けが施されており、その際は飛び石が全て水没するという。

nagoya-7648龍門の滝付近には、このように「矢穴」の跡が残る石材も配置されていた。

nagoya-7650築山の周囲には土砂崩れ防止のための石垣が低く積まれている箇所もあった。尾張家庭園の遺構を再利用しているのかどうかは不明。

nagoya-7656園内もう1つの滝、大曽根の滝。個人的にはコチラのほうが好み。

nagoya-7658カーブする園内の道にそって築かれた石垣。

nagoya-7659実に、いい感じ。

nagoya-7602-tokugawaenこのあたりの地名は何と「徳川町」。徳川園の住所ももちろん徳川町。すごい。

尾張名古屋は城で持つ、と言われた名城 名古屋城。戦争による焼失が痛すぎるが、それでも多くの外観復元や、近年の復元御殿など、名古屋の方々のお城に対する愛情がよく分かる場所だった。今回見逃した、外堀周囲の散策や尾張徳川家邸宅の「黒門」など、そして着々と進む復元御殿など、見どころはまだまだある。いずれまた来たい!


訪問時期:2015年1月
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