名古屋城 [6/8] 天守台に彫られた「加藤肥後守内小代下総」の刻銘とは

名古屋城前回までの名古屋城 訪問記。

再建された大天守の中へ。中はエレベータと吹き抜けの螺旋階段があり、一気に最上階まで上がってから、階段をつたって1フロアずつ展示を見ていく。中は御殿や城門などが模した歴史テーマパークという感じで綺麗に整備されており、見応えあり。


<訪問記>

大天守 3階へ。

nagoya-7431大天守3階のテーマは「城内・城下の暮らし」。フロア内には城下町が再現されている。空を表す青いライトと、ろうそくの火を表す赤い店内ライトが、とても綺麗。

nagoya-7433御書物處。本屋さん。

nagoya-7434武具屋。武器、甲冑、馬具に加え、床の飾り物、手あぶり(小型の火鉢)なども扱っていたとか。まるで、ドラクエの武器屋さん。

nagoya-7435葵の御紋入り、御駕籠。内装も、金ピカ!

nagoya-7436本丸御殿 対面所。現在復元中の対面所が、既に大天守内にあった。復元完了後は、ここはどうなるんだろう? 縮小して再現したもので、実際は18畳あった。

nagoya-7438藩の政務を行っていた「御用部屋」。

nagoya-7439大天守1階へ。本丸御殿の大模型。焼失する前、昭和戦前期の姿を模型化したもの。なかなかの迫力、だが、ケースに光が反射して、ちょっと見づらい。破損&ほこり防止のためには仕方ないか。

nagoya-7440表書院(手前)と、玄関(右奥)。創建当初は柿葺(こけらふき)だったが、後に瓦葺き+一部銅板葺きに改められたという。ちなみに復元御殿は創建当初の姿(柿葺)。

nagoya-7443復元が済んだ玄関部分。昭和戦前期は瓦葺き+一部銅板 仕様だった。また車寄の左右は土塀で遮られていた模様。

nagoya-7444もう1つの目玉展示物、名古屋城下町ジオラマ。西北隅櫓(清須櫓)方面より。

nagoya-7446西之丸・正門方面から大天守を望む。

nagoya-7450不明門方面から大天守をズーム。模型とはいえ、なかなかの迫力。

nagoya-7451他にも、大天守1階には収蔵品などが展示されている。こちらは、米軍の無差別爆撃により焼失した大天守の、銅瓦・飾り金具。葵の御紋が打ち出されている。

nagoya-7452米軍の無差別爆撃により大天守を始めとする木造建造物が焼失し、石垣と焼け野原だけが残った名古屋城跡。見るも無残。でもよく写真を撮って残してくれたと思う。昭和20年5月14日、午前8時5分から9時25分にかけて無差別爆撃が行われ、わずか80分間で多くの人命および国宝・文化財が失われたことを、私たちは忘れない。

nagoya-74561660年(万治三年)鋳造の刻銘がある、青銅製の鯱。江戸城の建造物に付けられていたが、1910年(明治43年)に江戸城 蓮池御門が名古屋城の正門として移築された際に同時に運ばれ、隅櫓の鯱として用いられていた。近年の修理で取り外されたという。

nagoya-7459本丸御殿の天井画は、戦時中、襖絵など取り外せるものと一緒に城内の「乃木倉庫」に疎開されていたため、戦火に耐えて現存している。狩野探幽一門による画。大天守一階では、天井画や襖絵がいくつか展示されている。

nagoya-7460本丸御殿 上洛殿 天井画「立花図」。重要文化財、だが、ここにあるのは写真なため撮影OKとのこと。他にも襖絵、障壁画などが複数展示されていた。しかし全ての御殿内絵画が疎開できたわけではなく、壁貼付図など「取り外せないもの」は、御殿と運命を共にし焼失したという。

nagoya-7468大天守1階の様子。鉄筋コンクリート造の大天守だが、木造ぽい雰囲気を出しているので、観覧中は違和感はそれほど感じない。

では大天守を出て、再度 城内の散策へ。

nagoya-7471本丸北側へ向かう。大天守の東側は石垣で小さな枡形が築かれていて、その先に御深井丸へ通じる門があるようだ。再建大天守に付けられたエレベータ棟の真横あたり。

nagoya-7472このあたりの石垣にも刻印(刻紋)がビッシリ。

nagoya-7474枡形内へ。本丸表門や東門に比べ、かなり小さな枡形だ。

nagoya-7475本丸北側の「不明門」。門の上に土塀が走っている、珍しい構造。これも戦争で焼失し、再建。

nagoya-7476不明門 説明板。名前のとおり、普段は厳重に施錠され「あかずの御門」と呼ばれていた。門の外側には槍の穂先を並べた「剣塀」があるとのこと。

nagoya-7477こちらが名古屋城本丸 不明門の「剣塀(つるぎべい)」。これは侵入しづらい。そして大天守の石垣は、熊本城よろしく「扇の勾配」。さすがは清正公。

nagoya-7479本丸 不明門を外側から。門左右の石垣には、かなり巨大な直方体の石材が積まれている。門だけでは高さが足りないため、門の上に更に土塀を作り上げて、剣塀も付けて、堅固な守りにしているのだろう。

nagoya-7479a-7482不明門 付近から見る内堀。修理中区域の石垣だろうか、たくさんの石材が並べられている。この先東側へは立入禁止だった。

nagoya-7484不明門の先の内堀を渡る土橋を越えたところに「石垣の刻名」という説明板が建っていた。大天守の石垣は熊本城主 加藤清正公の担当だったこともあり、大天守の石垣の1つに「加藤肥後守」と彫られているとか。探してみよう。

nagoya-7484a-7480天守台北東端の隅石、下から5つ目の石に、彫ってある。とはいえこの写真では分かりづらいので、アップで。(肉眼ではよく見える)

nagoya-7484b-7481横向きに「加藤肥後守」「内小代下総」と彫ってある。後半の「内小代下総」とは、加藤家家臣 小代下総守 という意味(「内」=家臣)。要は、清正公が彫ったわけではなく、清正公の家臣だった(肥後国人の)小代氏がこの石を積み上げたようだ。

nagoya-7486さて大天守の北側、御深井丸の東側には、旧大天守の礎石がそのまま移築整列保存されている。大天守再建に際しコンクリート造りとすることから構造が変わるため、礎石はここに移され、あったとおりに並べられ展示されている。

nagoya-7489大天守 オリジナル礎石。焼けてヒビ割れた跡が、痛々しい。

nagoya-7493慶長の大天守 旧礎石と、その向こうにそびえる昭和の大天守。夏場は草木が生い茂ってしまうため、冬場の枯れ木状態のときだけ見られる構図。

Part7では、内堀に沿って大天守を異なる角度から眺めたり、御深井丸(現存清須櫓、乃木倉庫)を散策したりします。

>> 名古屋城 [7/8] へ続く。<<


訪問時期:2015年1月
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