名古屋城 [1/8] 二之丸東二之門から二之丸〜庭園へ

家康が天下普請で那古野城跡に新たに建てた近世城郭・名古屋城。尾張名古屋は城で持つと言われるほどの名城で、金の鯱がトレードマークとなっている。明治維新後も大天守・本丸御殿を始めとする国宝24棟など多数の建造物が残っていたが、昭和20年に米軍の無差別爆撃によりほぼ全焼。門3棟と櫓3棟のみが残る。大天守はコンクリートで再建され、本丸御殿は現在 木造による復元工事が行われている。大天守を木造復元し直すプランも進行しているとか。銅板瓦の緑色が印象的。

名古屋城<基本データ>
●名称: 名古屋城 (別名 名城[めいじょう])
●所在: 愛知県名古屋市 (マップ)
●築主: 徳川幕府 (天下普請)
●築城: 1609年 (慶長4年)
●遺構: 櫓3棟、門3棟、石垣、堀、再建/復元建造物
●関連: 名古屋城HP


<訪問記>

名古屋城への行き方はいくつかあるが、今回は名古屋駅より地下鉄で登城。地下鉄の場合「市役所駅」が最寄り駅となり、城の南東にある正門ではなく、城の東の二之丸東二之門からの入城となる。

nagoya-7090地下鉄市役所駅を出る。出口が結構本格的な御城風の意匠になっていて驚き。

nagoya-7090a-7089名古屋城のある一帯は「名城公園」として整備されている。市役所駅 出口前にあるマップで全体像を確認。現在地は右下。ちなみに現地では名古屋城を「名城(めいじょう)」、名古屋駅を「名駅(めいえき)」と呼んでいるそう。

nagoya-7090b-7599そして目の前には、いきなりの深い堀に石垣。空堀になってしまっている。石垣の向こうは二之丸。

nagoya-7090c-7600目線を右へ。奥に見える枡形の入口および堀を渡る土橋が、二之丸への入口にあたる東二之門。あそこへ向かおう。

nagoya-7091外堀に沿って北上。

nagoya-7093堀の下へ降りる道が造られていたが、残念ながら立入禁止。整備用か。

nagoya-7094二之丸東二之門の正面へ。門は残っていないが、巨大な石垣による枡形跡が残る。よく見ると、右側の石垣は布積み(横一列に積み上げる)なのに対し、左側は落し積み(斜めに積み上げる)というチグハグなスタイル。築かれた時代が違う? (天下普請時の)担当大名が異なる? 詳細不明。

nagoya-7095二之丸へ渡る土橋の上から堀の下を覗く。堀の真ん中に土塁が築かれている?

nagoya-7096反対側には土塁ナシ。ただ二之丸近辺には明治時代に陸軍 第三師団(名古屋鎮台)が置かれ、かなり改修されたとのことなので、その名残かもしれない。

nagoya-7097では二之丸東二之門跡を通って二之丸へ入ろう。

nagoya-7098天下普請による名古屋城内には、目に見える範囲だけでも、かなりの刻印が見られる。加藤清正、黒田長政、福島正則、細川忠興 等々、西国の外様大名が数多く担当した。

nagoya-7099二之丸東二之門枡形を内側から。ここには巨大な櫓門があったのだろう。

nagoya-7100名古屋城 マップ。赤線で囲まれた紫の部分は立入禁止エリア。

nagoya-7103s二之丸の南半分は無料エリア、北半分から本丸にかけては有料エリアとなっている。二之丸の中央付近にあるこの東門から先が有料。ここ、あるいは南東部の正門で切符を買って、中に入る。入城料500円、徳川園(尾張藩の日本庭園跡)との共通券640円。

nagoya-7104名古屋城 説明板。明治になって城は陸軍省の所管となり、第三師団の司令部や兵舎が置かれたものの、明治26年には宮内省に移管され名古屋離宮となり、軍とは関係ない施設となっていたが、昭和20年の米軍無差別爆撃によりほぼ全焼。岡山城、広島城、大垣城などと同じ運命を辿った。そう考えると、無差別爆撃があり街中が大被害を被ったにも関わらず燃えずに残った姫路城(国宝)などはほぼ奇跡に近いと思わざるを得ない。(子供の頃に教えられた、文化遺産を配慮して爆撃をしなかったという話は虚説)

nagoya-7105東門を入って二之丸へ。まっすぐ進むと本丸へ到達するが、まずは二之丸を見て回ろう。二之丸には二之丸御殿と庭園があったという。御殿も庭園も明治の兵営増築のため取り壊されたが、発掘調査等により庭園は復元されている。

nagoya-7106では二之丸の庭園を見に行こう。東門のすぐ北側(右側)には二之丸東庭園が広がる。

nagoya-7107二之丸東庭園 説明看板。二之丸御殿の庭園の1つであった東庭園は、北と西に築山を設け、南には大きな池、その間に6つの茶席を持つ巨大な庭園だったとか。しかし明治になり陸軍第三師団の兵営増築のため築山や池は壊されてしまう。昭和50年になって絵図に基づき発掘調査を実施、池・茶席・暗渠等の跡が発見され、それらを元に整備を行い東庭園として開園したとのこと。

nagoya-7108二之丸東庭園。枯山水。

nagoya-7111庭園の周囲を回遊する形で整備されている。道に沿って奥へと進む。

nagoya-7113茶席跡 説明板。往時あったという六つの茶席のうちの一つ、霜傑亭跡が絵図通りの場所で見つかったという。

nagoya-7114茶亭の1つ、霜傑亭跡。平面復元。

nagoya-7116北暗渠跡。絵図にある御庭の外側の暗渠式排水路跡。暗渠(あんきょ)とは、地下に潜る形の水の流れ道のこと。古文書「金城温古録」に書かれる雨水を引き入れるための水道石樋の遺構だとか。

nagoya-7117北暗渠(水道石樋)跡。発掘調査したときのままの姿で保存展示。

nagoya-7119二之丸北端まで来たので、外堀に沿って西へ向かおう。

nagoya-7121二之丸北側の外堀。こちら側は水堀になっている。石垣は一部修復中なのか、番号が付けられた状態になっていた。

nagoya-7122二之丸北側には、穴が開いた変わった土塀が残されていた。なんだこれは?と思いつつ先へ進むと説明板があった。

nagoya-7122a-7126南蛮たたき鉄砲狭間。練塀(ねりへい)とは泥土と瓦を交互に積んで突き固めた、非常に堅固な土塀のこと。穴は鉄砲狭間。初めて見た。

nagoya-7123南蛮たたき鉄砲狭間付き練塀の向かい側は、二之丸庭園。奥へ進んでみよう。

nagoya-7124s残念ながら庭園修復工事のため、訪問時は立ち入れなかった。二之丸庭園は明治の陸軍により大半は破壊されたが庭園の一部が将校集会所の中庭として残されたため、それが戦後整備されて今の庭園となったようだ。名勝 二之丸庭園。

>> 名古屋城 [2/8] へ続く。<<


訪問時期:2015年1月
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