会津若松城 [7/9] 鶴ヶ城の北に位置する会津藩松平家の墓所へ

会津若松城前回までの会津若松城 訪問記。

本丸と二ノ丸を繋ぐ廊下橋門の食い違い虎口および廊下門、内堀を見る。石垣だけになっても未だ堅固な要塞ぶりを誇る廊下橋門に驚く。さすがは新政府軍の猛攻に一ヶ月耐えた鶴ヶ城。

Part7では北出丸西側を少し散策して城を出る。会津藩松平家の歴代藩主墓所を訪ねる。


<訪問記>

aidu-9720s北出丸の端にある、武徳殿へ。これは江戸時代の建物ではなく、昭和はじめに武道奨励のために建てられたもので、今でも有料で剣道などの練習で利用可能とのこと。

aidu-9721北出丸の西側にも大きな枡形と石垣が残っている。

aidu-9722北出丸から内堀を西に出るルート。

aidu-9723北出丸の西入口。東の入口と同様に大きな枡形が形成されている。戊辰戦争では、新政府軍は鶴ヶ城城下まで攻め入るも、1ヶ月間の攻城戦で遂にこの北出丸を突破できなかったとか。(最終的に降伏開城で終戦)。

aidu-9724北出丸の石垣と内堀。

aidu-9727本丸の石垣と内堀。

aidu-9730北出丸の西虎口、枡形内部。大腰掛と呼ばれる、敵を迎え撃つための設備。東側の虎口にも同様の設備があり、かなり堅固な構造だ。

aidu-9733北出丸には巨大な忠魂碑が建つ。大きな塔の上に羽を広げた鷲が乗る忠魂碑は、仙台城 本丸の忠魂碑と同じスタイルだ(参考)。

以上で城内散策を終え、城下町の散策へ出かける。西出丸(駐車場)、二ノ丸(庭球場)、三ノ丸(駐車場等)は近代化により遺構がかなり破壊されているらしいので、今回はパス。また訪問できた機会にゆっくりと見てみたい。

会津の城下町にも多くの遺構が残る。レンタサイクルを駆使して、有名な見どころを時間いっぱい回ってみたい。時刻は14時半、約2時間の城内散策だった。電車は16時22分を予定しているので、あと2時間ある。そこでまずは、城の北にある「会津武家屋敷」の更に奥にある「会津藩松平家墓所」へ。続いて会津藩の庭園だった「御薬園」、そして戊辰戦争で白虎隊が自刃した「飯盛山」を訪ねる。

aidu-9736bukes城から北へ向かうこと約15分。「会津武家屋敷」に到着。中は会津藩家老 西郷頼母の屋敷を中心とした歴史ミュージアムとなっているようだが、時間の関係でスルー。入場料850円。

aidu-9739bosho会津武家屋敷から更に北へ進むこと5分。「← 会津藩主松平家墓所」の看板が見えてきた。

aidu-9740墓所の入口には、「まちに歴史あり」の説明看板が建つものの、実にひっそりした感じ。

aidu-9742まちに歴史あり 説明板。会津藩最後の藩主 松平容保公の写真とともに、戊辰戦争の会津局面に関する説明がなされている。新政府軍の一ヶ月に渡る猛攻にも鶴ヶ城は耐えたが遂に降伏開城、会津藩士は本州最北端の下北半島に斗南藩として移封となった。容保公は死一等を減じられ蟄居、その後は東照宮の宮司などを務めたという。

aidu-9743では松平家の墓所を訪れよう。住宅街のこの道を真っ直ぐ進む。正面に見える山一帯が墓所とのこと。

aidu-9744突きあたりまで来ると「松平家塋域入口」の石碑がある。「塋域(えいいき)」は墓所を意味する古い言葉。

aidu-9745墓所入口。説明板が建っている。奥には冠木門あり。

aidu-9746国史跡 会津藩主 松平家墓所 説明板およびマップ。石段をあがると、歴代藩主の墓石がずらりと並んでいるようだ。また、神獣が台座となっている亀趺坐(きふざ)と呼ばれる石塔もある。一番奥にある容保公の墓所までは徒歩40分、と書いてあってその広さに驚く。

aidu-9747墓所 説明文。神式による墓所とのこと。保科家(会津松平家)初代藩主 保科正之は猪苗代町に葬られたそうで、彼以外の2代〜9代(容保公)までの墓所がここにあるそうだ。正之公の墓所と区別するため、ここは院内山であることから「院内御廟」と呼ばれる。

aidu-9748では冠木門を通って、院内御廟に参拝しよう。

aidu-9749山の上までずっとゆるやかな石段が続く。木々は鬱蒼と茂っているが、道は綺麗に整備清掃されている。

aidu-9751一部石段が崩れているような場所もあった。

aidu-9752途中、道が別れる。左へ登っていけば歴代藩主墓所へ、右へ進めば拝殿へ。右側の道はあまり整備されていないのか草ぼうぼう。ここは左の歴代墓所を目指そう。更に登る。

aidu-9753坂道ではないところでも、石が敷き詰められた石畳となっている。

aidu-9756あと一息。

aidu-9758歴代藩主の墓所へ到着。広く削平された土地に、神獣の石像が建ち並ぶ。

aidu-9758a-9769最初の説明板にも書いてあった「亀趺坐」と呼ばれる、亀のような神獣が墓碑を背負う姿の石柱。これは全ての藩主の墓石に一対一で築かれていて、神獣が見つめる方角に墓石が建っているという。

aidu-9758b-9770亀趺座 神獣。すごい迫力。

aidu-9759神獣の見つめる方向、土塁の上に建つ石碑が、藩主の墓石となる。墓石の建つ場所の土塁には、土崩れを防ぐためか下部に石垣が築かれている。腰巻石垣。

>> 会津若松城 [8/9] へ続く。<<


“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら
<弘前城/根城/八戸城/盛岡城/志波城/多賀城/仙台城/山形城/米沢城/二本松城/会津若松城>

訪問時期:2014年10月
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