前回までの会津若松城 訪問記。
大天守をいろいろな角度から見て楽しむ。鉄御門から帯郭へ出た場所、本丸鉄御門前から、月見櫓跡から、御三階跡から。角度によって全く異なる表情を持つ會津鶴ヶ城、ステキすぎる!
Part6では本丸を出て、廊下橋付近を散策します。
<訪問記>
御三階跡 付近から見た大天守。松の木とのコラボも良い感じ。
廊下橋の真上あたりにある石垣。カーブを描いている。上にあがる石段があるので、あがってみよう。
本丸石垣の上から見下ろす、廊下橋門の食い違い虎口。
本丸石垣の上から見下ろす内堀。本丸と二ノ丸の間。蓮がスゴい。対岸の土塁は割りと緩やかな角度で積み上げてあり、二ノ丸から本丸への距離は結構ある。
本丸石垣の上から見下ろす、廊下橋。普通の橋で復元されているが、以前は廊下橋だったとのこと。奥は二ノ丸、現テニスコート。有事の際は簡単に落とせそうな構造になっている。
本丸石垣(土塁)の上。奥にまっすぐ進むと茶壺櫓跡、月見櫓跡まで続く。
では本丸から廊下橋を通って二ノ丸へ向かおう。ここからは直接は行けず、天守横にあった埋門から本丸外周の帯郭へ出て、廊下橋へ向かう。
複雑な形をしている石垣。
比較的丸いままの石が積み上げられて石段を形成していた。しかし残念ながら立入禁止。
埋門から本丸外周の帯郭へ。東へ伸びる石垣に沿って、二ノ丸方面へ。かっちりとした打込み接ぎ石垣。
適度に苔むしていて、人も少なくて(天守付近や本丸内にはたくさん居る)いい感じ。
いよいよ廊下橋へと続く、廊下橋門のあった食い違い虎口へ。迷路のように組み上げられた石垣を目前にして、思わずスゲーと声が出る。
恐らくこの道が曲がる部分の手前あたりに門があったのだろうか。橋を渡ってくる敵を撃つための巨大な雁木(石段)が伸びる。
廊下橋門を守る石垣。右に少し移る赤い欄干の橋が廊下橋。(今は「廊下」橋ではない。)
廊下橋あたりから食い違い虎口を見返す。この折れ曲がりっぷり、石垣の迷路っぷりに、目が釘付けだ。なかなか前に進めない。
廊下橋渡ったところあたりからの一枚。微妙に石段になっている。
20mもの高さを誇る、長大な本丸石垣。元々の丘の形だろうか、堀につきだした丸い形の土塁の上は、ちょうど茶壺櫓台あたり。往時はあの上にちょうど2層の櫓が建っていたのだろう。
廊下橋を渡って二ノ丸側から、内堀越しの本丸石垣を見る。お見事。
二ノ丸はこのとおり、テニスコートと化している。残念。かろうじて「二の丸」という石碑が建っていて、ここが元二の丸だと気付く地元民も多いだろう。
二の丸から見る本丸方面。廊下橋、虎口入口、その向こうにそびえる大天守。往時はこの橋の上にはその名の通り長屋が建っていたので、虎口や天守などはここからは見えなかったかもしれない。
廊下橋正面より。ここから攻め入った新政府軍は、とても突破できる雰囲気ではなかったことだろう。もちろん木橋なので、戊辰戦争時は落とされていた?かもしれない。
廊下橋中央あたりから見る。往時は廊下橋の真ん中なので、こんな景色は見えない。廊下橋でなかったら、石垣上に配置された会津兵からの銃撃で蜂の巣だろう。
綺麗に切り揃えられた石材。よく見ると、矢穴が余り見当たら無い。
廊下橋門の食い違い虎口内にあった巨石。やや小ぶりだが、鏡石か。
>> 会津若松城 [7/9] へ続く。<<
“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら。
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訪問時期:2014年10月
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