会津若松城 [2/9] 本丸帯郭から見上げる威風堂々たる大天守。

会津若松城前回までの会津若松城 訪問記。

JR会津若松駅より南へ。城までの商店街沿いに、会津藩主だった蒲生忠郷公および蒲生氏郷公の墓所があるので立ち寄りご挨拶。そのまま北出丸から城内へ入る。

 


<訪問記>

aidu-9447北出丸と本丸を結ぶ土橋。かなり広い。奥に天守の頭が見えてきた。

aidu-9449本丸入口。天守が虎口の向こうに見えるが、ここは往時 門があったので、当時は見えなかったはず。

aidu-9452大木が邪魔して見えないので、少し斜めから石垣越しの天守を眺める、の図。

aidu-9453ここは本丸入口、太鼓門 跡。鶴ヶ城の大手門にあたり、石垣の上には多聞櫓が建ち、中には巨大な太鼓が納められ、藩主登城や非常時等に鳴らされたとか。

aidu-9454鶴ヶ城歴代城主家紋一覧。葦名氏時代、伊達氏時代は前身の中世城郭「黒川城」。蒲生氏郷公によって天守を持つ近代城郭が建てられた。蒲生氏の後は上杉氏が入るも、関ヶ原で西軍となったことで戦後に米沢へ移封、蒲生氏が返り咲く。しかし三代藩主が世継無しで急死したことから伊予松山へ移封となり、加藤氏を経て、保科氏(会津松平氏)による200年の治世となった。

aidu-9458太鼓門跡の虎口を抜けると、赤瓦の大天守が姿をあらわす!すごい迫力!ちなみに入口は反対側なので、ここからは入れない。目の前にあるけど攻められないこのもどかしさ!

aidu-9458a-9460天守に行く前に、本丸の西側に隣接する西出丸へ向かう虎口を見てみる。石垣で迷路のように道が折れ曲げられている。

aidu-9458b-9467まったく奥が見えない、カギ状に折り曲げられた道。

aidu-9458c-9463西出丸方面から虎口を見る。ちなみに西出丸は現在 鶴ヶ城の専用駐車場(200台収容)となっている。

aidu-9458d-9465見事な折れ曲がりっぷり。食い違い虎口、大好き。

aidu-9458e-9461石垣の上を見ると、何やら櫓が建っている。石垣の上には本丸側から雁木(石段)で登ることができるので、登ってみよう。

aidu-9458f-9475石垣の上へ。これは城内に時を知らせる鐘が設置されていた、鐘撞堂とのこと。

aidu-9459鐘撞堂 説明板。戊辰戦争のときは砲火が集中し時守が相次いで倒れるも、開城の間際まで正確に時を報じ続けたという。

aidu-9468s鐘撞堂のある石垣の上から見下ろす、西出丸への虎口。石積みの排水溝が見えるが往時のものかは不明。でも、たぶん、そう(根拠なし)。

aidu-9469鐘撞堂のある石垣の上から見る、本丸天守。威風堂々。

aidu-9474ズーム!赤瓦が目を引く。なお天守の鯱瓦は往時もあったかどうかは不明という(明治初頭に撮影された写真には載ってないため。ただし戊辰戦争時の砲弾で落ちた可能性もある)。

aidu-9479再度、石垣の下へ降りて、太鼓門の前から天守を見上げる。見事。

aidu-9481ぐるっと天守の周りを回るようにして本丸中心部へと向かう。パンフに載ってる地図を見ると、今いる場所は本丸ではなく、天守のこちら側は「帯郭」と書いてるようにも見える。

aidu-9482大手門の櫓群(太鼓門、多聞櫓)のある石垣の上へ簡単にアクセスできるよう、石垣に沿って細い石段が造られている。V字型に造られたこの階段は「武者走り」とも呼ばれるとか。忍び返しや武者走りなど、城によって構造は異なるものの同じような名称で呼ばれる設備が多くて、覚えづらい。目的から名称が付けられる場合、このように形は違うけれど同じ名前になるケースも多い。

aidu-9483鶴ヶ城 武者走り 説明板。石垣に向かって石段を積み上げる、よく見られる雁木ではなく、石垣に平行に石段を造ることで、地表面での専有面積が狭くて済むという利点がある。

aidu-9486本丸埋門跡。本丸周囲の帯郭から、本丸へ入る部分は、通常の城門より低い門構えの「埋門」形式となっていたそうだ。築城当時はここが表門だったが、加藤氏による層塔型天守が建てられた頃の鶴ヶ城ではここは裏門(搦手門)として使われていたとのこと。

aidu-9487a-9489では埋門跡を通って本丸へ。入るといきなり右手に大天守がそびえる!ちなみに天守内のみ有料で、入口の横にある小屋でチケットを購入して入ろう。410円。

aidu-9488sお城にはゆるキャラが設定されていることが多い(ひこにゃん、しろまるひめ 等)。だが会津若松城のゆるキャラは一味違う!なんとロボット型。その名も「お城ボくん(おしろぼくん)」。色んな意味ですごい。

aidu-9491お城ボくんのあたりから見た、本丸中心部。いまはこのとおり芝生公園になっているが、往時はここに本丸御殿が建っていたのは他の城と同様。

aidu-9492会津若松城へは、石垣をくり抜き地下倉庫から入城するスタイル。伊予松山城もこのパターンだった。ちなみに岡山城もこの形だが、岡山城は往時は横の塩蔵から入城し、現在の石垣を繰り抜いた入口は観光用に新設された入口だった。

Part3では天守(鉄筋コンクリートの外観復元)の中を通って、木造復元された南走長屋〜干飯櫓をめぐる。

>> 会津若松城 [3/9] へ続く。<<


“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら
<弘前城/根城/八戸城/盛岡城/志波城/多賀城/仙台城/山形城/米沢城/二本松城/会津若松城>

訪問時期:2014年10月
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