二本松城 [6/6] 丹羽家菩提寺の大隣寺には二本松少年隊が静かに眠る。

二本松城前回までの二本松城 訪問記。

見事に復元された本丸石垣の上へ。まさに二本松の街が一望の眺望。往時は更にこの上に天守が載っていたので、最高の眺めだっただろう。本丸周囲や本丸下の石垣遺構を見て、下山しながら残りの遺構を見て回る。


<訪問記>

nihonmatsu-9374日影の井戸から少し降りる。山の斜面は削平され、巨大な段々畑のようになっている。地図によるとこの奥には煙硝蔵(えんしょうぐら)と呼ばれる火薬庫跡があるようだ。行ってみよう。

nihonmatsu-9375ぐるっと回って一段あがったところが煙硝蔵跡。説明板と、地面には礎石らしき石が転がっている。

nihonmatsu-9376二本松城址 煙硝蔵 説明板。発掘調査で石が長方形に並べられた建物礎石が3棟分見つかったとか。丹羽家家紋入りの瓦片が見つかり、また地面に玉石を敷き詰めていたことから乾燥状態に保つ目的があったと見られることから、火薬等を収納した煙硝蔵であったと想定している。

nihonmatsu-9377搦手門方面へ向かう。途中の曲輪の中に小さな石段が築かれ、石碑が建てられていた。

nihonmatsu-9378二本松藩士自尽の地 説明板。戊辰戦争で二本松城は新政府軍7000名に攻められ天守が炎上し落城となった。この地では二本松藩の主戦論者であった家老、城代、小城代の三名が責任をとって自刃したという。

nihonmatsu-9380搦手門跡を越えて、車道沿いに進み、見晴台までやってきた。パンフ掲載の地図によると、この見晴台から更に車道ルートで下山し、東北自動車道の手前で南下すると、丹羽家の菩提寺であり二本松少年隊の墓もある「大隣寺」を経て駅へ向かう事が出来そうだ。

nihonmatsu-9381見晴台から見る山の眺望。分厚い雲が空を覆っているので、雨が降る前に何とか駅へたどり着きたいところ。

nihonmatsu-9384見晴台からは下り坂なのでスタスタ進む。東北自動車道の手前で左折。大隣寺 到着。デジカメのタイムスタンプによると、見晴台発9:25、大隣寺着が9:38だった。約15分。ではお参りしよう。

nihonmatsu-9385大隣寺 境内案内図。石段を上がると山門跡の先に本堂があり、本堂の奥が歴代藩主の霊廟、本堂の左側に少年隊の墓があるようだ。

nihonmatsu-9386大隣寺 石段の横には、二本松少年隊 副隊長・隊士 戦死の地 という石碑が立っていた。激戦地となった大壇口の戦い(大隣寺から南下したところ。時間の都合で未訪問)での死闘後、ここまで辿り着くも息絶えたとか。副隊長33歳、隊士なんと13歳。

nihonmatsu-9387石段を上がり、境内へ。石段を上がったところには山門跡とされる礎石が整然と並んでいた。

nihonmatsu-9388大隣寺 由来板。二代藩主 丹羽長重公が、初代藩主を弔うために白河城下に建立したのが始まりで、その後 丹羽氏がここ二本松へ移封となったことにあわせ、大隣寺もここへ移された。寺紋は丹羽氏の家紋と同じく「違棒(×印)」。

nihonmatsu-9389大隣寺 本堂。屋根の上、棟の部分に丹羽家家紋の違棒が見える。

nihonmatsu-9390では本堂左にある二本松少年隊の墓へお参りしよう。入口には石塔が建つ。

nihonmatsu-9391二本松少年隊の墓 説明板。会津藩の白虎隊とは異なり、突如押し寄せることとなった新政府軍に対応すべく少年兵62名がその懇願により急遽配置されたという。特に大隣寺から南へ降ったところにある大壇口へ出陣した銃手 木村銃太郎 率いる25名の門下生が有名で、25名のうち14名が戦死したという。その14名の少年兵および隊長・副隊長の墓がここに。

nihonmatsu-9392a-9395戦死群霊。二本松少年隊、という名は、大正時代に元 少年隊の方が当時の様子を記した冊子を発行したことに始まるという。当時は緊急配置だったため特に名付けられていなかったため、このような名前になっているのだろう。左右に並ぶ小さな墓石が少年隊の墓。

nihonmatsu-9393二本松少年隊の墓。

nihonmatsu-9394二本松少年隊の墓。今も献花が絶えることはない。

nihonmatsu-9395a-9399大隣寺から約15分で二本松駅へ帰着。なお二本松駅から線路に沿って西へ15分ほど進んだ場所に、少年隊の激戦地であった大壇口古戦場跡が残るが、今回は時間の都合で未訪問。なお二本松駅舎の左側に大きな石垣があったが、詳細不明。二本松城を意識した駅舎というのがウリらしいので、イミテーションか。

nihonmatsu-9397駅前には、刀を突き出す二本松少年隊の勇姿が。合掌。

幕末戊辰の役で有名な二本松城は、巨大櫓門・箕輪門と本丸石垣が見事に復元され、見どころも多い。二本松少年隊の悲劇にまつわる遺構を見て回りながら、半日ほどかけてゆっくりと巡りたい城跡だ。(今回の訪問記は徒歩2時間半コース)


“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら
<弘前城/根城/八戸城/盛岡城/志波城/多賀城/仙台城/山形城/米沢城/二本松城/会津若松城>


訪問時期:2014年10月
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二本松城 [6/6] 丹羽家菩提寺の大隣寺には二本松少年隊が静かに眠る。” への2件のフィードバック

  1. こんにちは。いつも「お城に恋して」に来訪いただきありがとうございます。

    二本松城は何度も行ってますが、煙硝蔵までは行ったことはなかったです!
    二本松駅の向かって左側の石垣は昔からあったような気がするのですが、由縁は私の親戚の二本松地元民でも知らないようです。
    大手門の位置から考えると、たぶん装飾だと思うのですが・・・。

    来年もよろしくお願いします。

    1. ゆーかさん コメントありがとうございます。
      二本松城跡、時間の関係で北側の土塁跡などは見れませんでした。かなりの広さがありますね。またゆっくりと巡りたい場所です。駅左側の石垣は、いろいろサイト等を見てますと、あの駅舎自体が二本松城を模して造られたものらしいので、そのシンボルとして石垣を模した壁を造ったのかな?という結論に至りました。今から思えば、疑問に思った時点で現地の駅員の方に聞けばよかったですね・・・。
      またよろしくお願い致します。

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